皇后崎のねじりまんぽ

Category:レンガスキー コメント(4)
皇后崎の「ねじりまんぽ」を見てきました。
5月のGWにgolgodenkaさんがこちらに遠征された際、探索中に偶然発見されたそうです。その時のレポはこちら。
発見時に写真をメールしていただき、その時初めて存在を知りました。
今まで聞いた事もない物件でしたので、大変驚きました。
もしかしたらこれは超大発見ではないでしょうか?

場所はこちら↓
http://maps.google.co.jp/maps?hl=ja&ie=UTF8&ll=33.866716,130.751673&spn=0.001793,0.004023&z=19&brcurrent=3,0x3543c923f52a5115:0xe29fb29743bb3388,0

1974年の空中写真では・・

kogasaki_air.jpg

ちょうど皇后崎電停の北側になります。子供の頃は電車で何度も通った場所なのに全く記憶にありませんでした・・。衝撃の発見報告から1ヶ月過ぎましたが、ようやく現地に行けました。ついでに北九州線の折尾〜熊西も探索してきましたけど、これは後日UPします。

まずは皇后崎電停跡から見てみます。

kogasaki_10.jpg

矢印のような向きで用水路に対して斜めに架かっているのが見えます。
熊西側の線路敷跡から近づいてみると・・

kogasaki_01.jpg

見事な煉瓦アーチ!! しかもねじりまんぽ!!
事前にわかっていても、この浮れよう。
偶然発見したgolgodenkaさんもこれ以上の喜びだったことと思います。

kogasaki_02.jpg

折尾のアレと比べると小規模ですが、しっかりねじれてます。

↓こちらは陣の原側

kogasaki_03.jpg

工事の際に削られたのか、前からそうだったのか不明ですが、かなり欠けています。
手前側は土が被っていたようにも見えますね。

↓熊西側のアーチ内部。

kogasaki_04.jpg

この斜め具合がたまらんですよ。よく見ると、煉瓦の割れ目から植物が生えています。恐るべし植物パワー(笑)
しかも、ご丁寧にモルタルで修復しています・・・え? 誰かが管理しているの!?

↓こちらは陣の原側

kogasaki_05.jpg

エフロが発生してますが、大きなヒビ割れも無く、年代物の割には綺麗に残っています。

kogasaki_06_55deg.jpg

ピントが葉っぱに合ってしまってますが・・水路とアーチ橋の角度はこんな感じになっています。
正確じゃないけど、斜架角はだいたい55度くらい(汗) 今度行った時はちゃんと計測しよう・・・。

明治時代に刊行された「斜架拱」では、ねじりまんぽについて詳しく解説しています。様々な数値を導き出すための公式や架拱方法、製図法などが掲載されています。カタカナ・旧漢字で非常に読み難いですが・・。国会図書館のサイトで閲覧出来ます。PDF化も可能です。
その公式の中に斜架角と起拱角(水平に並んだ煉瓦→スプリングラインと斜めに積まれた煉瓦との角度)の関係式がありました。
不正確(汗)斜架角55度(θ)で起拱角(β)計算してみると・・
tanβ=cotθ/(1/2*π)=2/(π*tanθ)=0.445766
β=24.0256876
起拱角は24.02度か・・なるほど・・・確認しようとしたけど平面的に撮った写真が無い・・。
完全に撮り忘れ。浮れてたせいでしょうな・・。今度はちゃんと見ます。撮ります。測ります。


陣の原側の削れてる部分に、平の面に刻印がある煉瓦がありました。
元々は上から何段目かだったみたいです。削られた際に目地も綺麗に剥がれ落ちたんでしょうね。

kogasaki_06.jpg

ググってみると、大阪窯業株式会社の刻印のようです。
当時、大阪の堺や岸和田には多くの煉瓦工場があり、全国各地に資材供給していたそうです。

アーチ橋の目の前には鹿児島本線が通っています。
ソニックの手前には、鹿児島本線貨物、筑豊短絡線の2線が通っていてます。

kogasaki_08.jpg

↓反対側を見ると目の前には西鉄皇后崎変電所の建物が見えます。

kogasaki_09.jpg

帰り際に、北九州線跡と鹿児島本線に挟まれた所の家の方が外にいらっしゃったので
「あの煉瓦アーチ橋って何ですか?」と尋ねたら「わかりませんねぇ」とのことでした。

このアーチ橋、一体何者なのでしょうか?

日本で確認されているねじりまんぽの殆どが鉄道用だそうです。
それを前提にいろいろ考えて(妄想して)みました。golgodenkaさんと被りますけど・・(汗)

1.鉄道説
1-1.鹿児島本線から分岐?
位置的にはそう考えてもおかしくなさそうですが・・。この付近の鹿児島本線開通→複線化の線路は、現在の筑豊短絡線・鹿児島本線貨物が通っている部分にあたるので、空中写真を見ても分かるように煉瓦アーチとの距離が短く、角度的にも分岐もしくは曲線を敷くには厳しそうな感じに見えますが・・。

1-2.都市伝説的(笑)な運炭線跡? 〜golgodenkaさんにメールした内容とほぼ同じ〜
かなり前に某掲示板で書き込まれた内容・・・
http://snow.jamfunk.net/kyukei/log/004/1020192442.html の248
http://mimizun.com/machi/machi/kyusyu/1125301559.html の150以下
これらの情報では、黒崎から上津役まで運炭線があったらしい・・・ということです。掲示板上でも解明されてないようでした。私はROM専でしたが(汗) 仲間内でも色んな情報が飛び交いましたが、決定的な情報が無く今に至っています。熊西の歴史が記載されたサイト内の米軍写真(外部リンク)を見ると、ねじりまんぽから川沿いを通りS字を描いている怪しげな所があります。道路にしては不自然な形だと思います。筑鉄の萩原電停あたり(青山付近)に続いているのですが、その先を辿ることが出来ません。仮に運炭線だったとして、北九州線開業後(1914年(T3)に九州電気軌道によって開通)も存在したならば西鉄と平面交差してしまいます。そんな話は聞いた事がないので、あったとするなら明治後期あたりまでかもしれません。しかし、鹿児島本線への進入は形状的に厳しいので、この仮説はハズレかも・・・。運炭線自体も情報が殆ど無いため詳細は不明です。

2.道路説
2-1.わざわざねじりまんぽ?
golgodenkaさんがUPされてる旧版地図を見ると、新地(現在の三菱)あたりから鹿児島本線と交差して割子川沿いを進む道が確認出来ます。位置的にも煉瓦アーチ橋と合ってる感じです。しかし、道路橋だとしても、当時はこんな田舎に車が通るとは考え難いし、せいぜい馬車か人ぐらいで荷重はかからないでしょうから、小さな川にわざわざ煉瓦のアーチ橋、ましてや「ねじりまんぽ」で施工しなくてもよさそうな気がします。木橋で十分の事足りるような感じですけど・・。

2-2.歴史的道路?
1-2の米軍写真を掲載しているサイトの熊西・皇后崎あたりの歴史を読むと、当時は黒崎から折尾へ続く道があったらしい。さらに色々ググってみると、長崎街道黒崎宿の乱橋から分岐して撥川(ばちがわ)に沿った幹線道路があり、新地へ続いていて、その黒崎から折尾へ続く道と合流していたようです。情報を統合すると、黒崎〜新地〜皇后崎〜陣の原〜長崎(折尾東口電停跡周辺)〜則松〜吉田(水巻町)〜中間〜底井野〜赤間と結ぶ、長崎街道と唐津街道のバイパス的役割を持った道だったようです。他にいくつかルートがあったようですが、その中でもここは「内往還」と呼ばれるそうです。
その「内往還」のルート上にこのアーチ橋があったということでしょうか。

2-3.ついでに改修?
明治以前からある道ならば当然、木橋でしょう。その後、九州鉄道が開通する事となり「内往還」と交差することになります。割子川の橋梁(第1・2穴生川橋梁?)新設工事を行う際、もしくは、九州電気軌道が敷設工事する際に、「もしかしたら昔は殿様が通っていたかもしれない道なので、ついでに立派に改修してしまえっ! じゃ、流行の斜架橋で」ってなった!? そりゃない?

なんだか全然まとまらない記事になってしまいましたが(汗)
様々な謎を持ったねじりまんぽでございました。



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コメント(4)

>チョビさん
どうでしょう?北側は草に覆われてるので鹿児島本線から見えそうで見えない?
車窓よりも現地で実物を見ると感動しますよ。

>blue fieldさん
小さい字でスミマセン(汗)
私は一日中Macの前で作業してるので目が疲れやすくなったせいか、
微妙に老眼が始まってるせいか、小さい字が見え難くなりました(汗)
私もgolgodenkaさんもだぶんそうでしょうが、叫びたい衝動を抑えて抑えて・・
遠慮気味に「おぉぉぉ!」とは言ったハズ(笑)
ぜひ現物を見てみてください。きっと叫びます。

>golgodenkaさん
先日よりお世話になっております。
小野田氏の「鉄道と煉瓦」にあるねじりまんぽ一覧にも記載されていませんよね。
webでも未見です。激レア物ですよ。ホント。
その周辺の西鉄の煉瓦遺構は意外にも?一部残ってたましたね。
工事が始まった時は撤去されるものだと思ってましたが・・。
>想像と思い込み
これこそがこの趣味の原動力!?違うか〜(笑)
想像が的中した時の感激は何ものにも変えられませんよね。
>マンホールの並び方
ねじりまんぽに夢中でそこまで気が付きませんでした・・・。
周りも観察する冷静さが必要ですね(汗)
>内往還
私もこの線が濃厚だと思います。
しかし、なぜねじりまんぽで施工する必要があったかは謎・・。

張本人です(笑)。

ねじりまんぽについて書かれた書籍や Web でも見かけないので、やはりレアですね。そもそも西鉄が現役当時は近づけなかったはずでしょうし。しかしこういうのは現地で見ると気合いが入りますね。

西鉄の廃止とかその後の工事によって撤去されなかったのはほんとに幸いだと思います。

ところで、建設の経緯については 2-2 ではないかと私は想像しています。先日大正時代の地形図も入手しましたが、そこにはやたらぶっとい道(あくまで地形図上として)が描かれていました。

まさに『内往還』なのかも知れません。近代以前はさっぱり分からん分野なので、今のところ想像と思い込みだけが頼りですが。

そう言えば、最後の写真のマンホールの並び方とコンクリートのピット(?)の向きがねじりまんぽの角度そのままに見えます。暗渠なのでしょうか。

だとしたら、おおかたこのような公共性の高い設備だと、昔からものをリニューアルして作られたりするのではないかと鬼のように勘ぐると、こんな感じ ?!

1. そもそも内往還だった
2. 後にその下に水路も掘った
3. 線路通すぞー
4. じゃ、水路と道路と渡せるりっぱな橋こさえてドブ川を越そう
5. 祝ねじりまんぽ完成

以上、根拠も裏付けも無い瞑想劇場でした。多分違います・・・今後も要調査ですね。

いつもなら昼寝タイムの昼休みに、小さい字を隈なく読んじゃいました。こりゃ大発見じゃないですか?
最近レンガーチを徹底的に探索しておりますが、こんなものに遭遇しちゃったら叫んじゃいそうです「ねじりまんぽっー!」って(爆

捜索お疲れ様です。いつも通勤時に『ねじりまんぼはどこだ〜』と車内から見ていたんですが、こんな場所にあったんですね!

非常に謎の物件ですね。

解けない謎だけに気になりますね…

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