バス停跡の最近のブログ記事

三岳入口バス停跡

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忘れた頃に登場する廃バス停シリーズ(正しくは廃バス停待合所)。書いてる本人も忘れてたという、やる気あるのかコラ?シリーズなんですが、先日、久しぶりに通ったある道路沿いに非常に萌える廃バス停を捕獲しました。

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来とるやろぉ〜、かな〜り来とるやろぉ〜。木造ばい。よがんじょんばい(笑) ドリフの家かよって。
しかも「ザ★昭和」な看板が中に外にペタペタと貼り付けられています。
竹林を背後に堂々たる荒廃っぷりです。「自然にかえろう!」と書かれた看板がありますが、この待合室自体が自然にかえるのは時間の問題と思われ・・・。

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竹林と田圃が広がる長閑なこの場所は、タケノコで有名な北九州市小倉南区合馬。ググってみると、平成15年まで西鉄バスの合馬線が走っていたそうな。で、このバス停は「三岳入口」とのこと。西鉄廃止後はコミュニティバスが走っているそうだが、私の範疇じゃないので今は知らん。待合所に貼られたダイヤを見ると平成20年改正のままでした。

さて、外観をチェックしよう。合馬側から見たところ。

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出た! 「キョーレオピン」と「ぢ」 この手の看板よく見ますよね。ボーリング会社の「掘りませんか?」のコピーもなんか笑えます。中の葬祭場の看板には上富野電停の文字が。間違いなく「ザ★昭和」やね。


↓こちらは中谷側。

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ホテルね。畑トンネルのすぐそばにあるアソコね。ん?八幡区だと?間違いだよね?西と東に分かれたのは昭和49年やぞ。まさかそんな昔から貼ってある看板なん・・・? アピロスとニチイも懐かしい。

そして、中がまたスゴイ。

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病院の看板の電化製品風な書体に萌えなんですが、その上を見ると「西鉄バス」の文字が。
そして色々とお願いが記されています。

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キップって何? 売場のない所は車掌より!? いつ頃の看板なん!?
車掌が居る「ツーマンバス」は北九州市営バスの特定路線で昭和50年代に乗った記憶があるけど、西鉄のツーマンはいつ頃まであったんでしょうか? この看板は内容的に、このバス停だけじゃなく、他のバス停でも使われてた感じですね。

大力バス停・転回場跡

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国道322号線の八丁峠の麓に「大力」というバス停がありました。
古い路線図によると、10番/飯塚〜大隈・26番/碓井天道線の2路線が発着していたようです。
現在は嘉穂町バスから引き継いだ嘉麻市のバスが運行されています。

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バス停の奥に見えている空き地が転回場跡。西鉄杭は見当たりませんでした。

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転回場の前には個人商店があるんですが、その庇に隠れて↓が残っていました。

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西鉄バスが走っていた証ですね。古い割には、なかなか状態が良いんじゃないでしょうか。

穂波高田口バス停・転回場跡

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古い路線図を見ると、このバス停には17番/大分坑線・3番/潤野鯰田線・特急が通っており、潤野鯰田線に穂波高田口止りがあったようです。そのせいか、交差点の角に転回場がありました。

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転回場跡地には西鉄の用地杭が数本残っていました。

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飯塚方面のみですが、ここにもあの待合所がありました。
ここのは広告が一切ない、とてもスッキリしたタイプ。

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上安恒バス停跡同様、三ツ山の穴あきブロックがワンポイントになってますね。

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↓交差点から転回場・飯塚方面を見たところ。

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もうかなり前に廃止になったように思いますが・・・いつやったっけ?(汗)

高田バス停跡

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弁分経由大分坑線のバス停跡。
西鉄バス撤退後は市のコミュニティバスが新しいバス停を建てています。

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ここはベンチが置けるくらいなので比較的広め。古い看板がイイ感じ。
隅っこに添えられた植木鉢?ポッド?に、まだここが「人と関わりがある場所」だということを感じます。

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側面には・・・やはり、定番の「大木切ります!」(笑)

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かなりくたびれてる飯塚オートのベンチさん。上段の背板には枠のようなものが付いています。
数字の板をはめ込むタイプの「開催日のお知らせ」だったのかもしれません。

上安恒バス停跡

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バス停跡と言っても、元からポールだけしか無かった場所は、路線が廃止されて撤去されると、何も残りません。なので、昔の道路地図や路線図から想像するしかありません。道路のバスベイがあるところはなんとなく想像出来るんですが・・・。
その中でも、ひと際目立ち、探索するきっかけになったのが・・・

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このタイプのバス待合所。一目見て、あ、バス停やな。ってわかりますね。
この手の待合所は市街地からちょっと離れたバス停でよく見かけた気がします。
素材も木、コンクリートブロック、アルミ、鋼製と多種多様。
最近、何故かコイツが無性に気になって気になって仕方がありません(汗) バス待合所フェチやね(笑)

この路線(弁分経由大分坑線)、西鉄バス撤退後は市のコミュニティバスが新しいバス停を建てています。

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出た! 屋外広告の定番「大木切ります!」(笑) 「マルフク」があれば完璧!?

この待合所の中には、しっかりと西鉄時代の物が残されています。

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バス停跡シリーズは、基本的に待合所跡萌えで進行します。

西鉄バス停跡を行く

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かなり前から気になる存在で、最近になって本腰を入れつつある!?(笑)ものが・・・
筑豊周辺エリアのバス停跡探索
鉄道廃線はどうした!とお叱りをうけそうですが・・・華麗にスルーします(ウソです)

バス停といっても、筑豊では西鉄か国鉄バ・・・いやJRバスしかありません。
ここ数年で次々と路線が廃止されていった感じですね。
そして、廃止されたルートがコミュニティバス路線化してるところが殆どじゃないでしょうか。

私はバスヲタではないので、詳しい事情、車両のこととかはわかりませんが、廃止されたバス停には何故かとても魅力を感じます。鉄道廃線とどこか通じる点があるんでしょうね。大学時代、単身福岡に戻ってきた際、バス路線図付き福岡県道路地図を持って原付でウロウロしてたので、大概のバス路線道路は通っているハズです。

いつまで続くか分かりませんが、「西鉄バス停跡を行く」シリーズスタートです。

さて、ここはどこでしょう?

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そこそこ広い空き地に西鉄の用地杭が数本残っています。道路との間にはフェンスが建てられています。
答えは・・・

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「大分抗」・・・ん、何かに抵抗でもしてる? 正しくは「大分坑」じゃろ?

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西鉄路線廃止後に市のコミュニティバスが通るようなったので、このようなバス停が設置されているんですが、何か非常に残念なバス停になってますな・・・。単純な校正ミスなんやろうか? 担当者・制作者・出力者、誰も気が付かんかったんやろか? まぁ、炭鉱自体が無くなって相当年数が経ってますから、「大分坑」を知らない世代が多いのは当然でしょうね。まさか、明治坑は「明治抗」になってないよね!?(笑)

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