先日、宮若市石炭記念館で開かれている「貝島炭礦専用鉄道」写真展に行ってきました。
写真の殆どが「けむりプロ」による「貝島炭礦鉄道1961-1964 」として出版されていたものからでした。実はこの写真集すっかり買うのを忘れてました・・。貴重な写真の数々で驚き。何度も見返しました。特に庄司(現・飯塚駐屯地)の採砂場の写真と解説が興味深かったです。石炭記念館のおいちゃんに写真集の実物を見せてもらいましたが、思った以上にしっかりしたモノで、これは早く入手せねば!と思いました。せっかくなので、何冊か置いて販売してくれればよかったのになぁ。写真集編集時には制作サイドから石炭記念館に貝島炭礦専用鉄道について色々と問い合わせがあったそうですよ。
その後、久しぶりに筑前宮田駅跡とその周辺にある貝島炭礦専用鉄道跡を探索してきました。
JR宮田線・筑前宮田駅のホーム跡。ガードレールの奥に続くモジャ地帯が線路跡。
駅の敷地は市道「勝野長井鶴線」新設ため分断されています。写真は道路からホームを見たところ。
新設された道路のそばに貝島炭礦専用鉄道の遺構が残ってますが、いつまで持つか分からんですねぇ。
↓下の写真の場所にはかつて橋台が残っていました。
↓これは2004年11月。六坑側の盛土から撮ったもの。
↓これは1997年12月。
六坑へ続いていた盛土は一部崩されていますが、まだ残っていました。
ここもいつか市道が通るんでしょうなぁ。
その先にある橋台と橋脚も残っています。
さらにその先の八木山川を渡っていた鉄橋の橋台も残っています。
ここにも道路橋が架かるんやろうなぁ。
来る度に少しずつ工事が進んでるような感じです。またチェックしに来ます〜。
>倫堕さん
ようやっとココにも魔の手が忍び寄ってきたかって感じです。
そう遠くない未来に道路になるでしょうが、道路供用開始後には、ココは線路跡で、あっちには橋台があったんだよなぁ、お!ここには鉄道時代の面影が!とか言いながら通るんでしょうね(笑) 筑豊の廃線はどこもこんな感じですが・・。
その時は、またご一緒しましょう。
貝島炭礦専用鉄道跡、風前の灯ですね。
かつて、案内してもらったのが、いい思い出になりそうです。
宮田線跡は大丈夫かな・・・とも思いますが、油断したら
なくなってしまうのが、この世界の常。
上山田線の嘉穂信号場から下山田寄りも、既に道路はあるし、
大丈夫だろうと思っていたら、あんなになるとは、思いもしませんでした。
>松尾俊和さん
見せてもらった写真集は今となっては貴重なシーンばかりで、解説も分かりやすかったです。
今と比べると、全く変わってしまった場所、昔の面影を残す場所、様々でした。
私も早く入手せねば(汗)
懐かしい写真ありがとうございます。
写真集、私の生まれた年(1961)当時の写真と言うことで、是非手に入れたいと思います。
>ちくまえ。さん
私もこの日を逃してたら行けてませんでした・・。
そのTVは観てませんが、良さそうですねぇ動画。廃止路線の現役時の動画ってホント好きです。
あの辺は、風景的に大きなモノはボタ山と炭鉱施設が無くなったぐらい?だし、
特に鉄橋跡は見比べると「おぉココだ!」と分かりそうですね。
写真集はまだ入手してませんが、ゲットした際は何かの機会(ながはた?笑)にお持ちします。
行くの忘れてました。
先日TVで六坑からの積み出し動画が放送されてましたが八木山川を渡る鉄橋のシーンでしたよ。
同じアングルでスマホで撮ってみましたがそのアングルでは閉山時とさほど変ってない感じですね。
写真入手出来たら見せてくださいm(_"_)m