先日、たまたま近くを通ることがあったので、大分交通豊州線があった豊前善光寺駅へ行ってみました。
今日の廃線跡@大分交通豊州線(豊前善光寺) pic.twitter.com/9TYzGW14Lf
— おっちー[otchee] (@web_otchee) 2016年7月5日
大分交通豊州線については、ネットで検索すれば色々とヒットします。たぶんそっちの方が詳しく探索&調査されてると思うので、そちらを参照されてください(汗) 簡単に説明すると、大分交通豊州線は四日市駅(後の豊前善光寺駅)〜豊前二日市駅間を結んでいた軌間762mmの軽便鉄道。1914年(大正3年)に日出生鉄道によって開通→豊州鉄道→大分交通豊州線と名称が替わり、1953年(昭和28年)に廃止されました。計画では四日市から安心院(あじむ)まで敷設し(実際は豊前二日市まで)、陸軍演習場があった日出生台(ひじゅうだい)を目指していたそうな。だから日出生鉄道。
「鉄道廃線跡を歩く」に載ってたような・・けど内容忘れたなぁ・・院内の方で駅跡を示す駅名標を見たことがあるなぁ・・どっかの川に橋脚が残ってなかったけ?程度の知識で事前準備無しの探索でした(いや、所用のついでに寄ってみただけなので探索とは言えんか・・)。
↑この橋台跡はJR豊前善光寺駅のすぐ目の前にあります。「鉄道廃線跡を歩く」によると機関庫へ続く線路だったそうな。下の空中写真から想像するに画像右側(西側)に機関庫があったんでしょうね。(橋台跡の画像は南側を向いています。) 大正初期の敷設なのに橋台が煉瓦ではなく石材なのは、沿線の院内に石工が多かった地域性からか!? それともコストの問題?桁を固定していたと思われるアンカーボルトが残っています。
現在のJR九州・豊前善光寺駅(※開通当時は豊州鉄道四日市駅、後に九州鉄道合併→国有化。日出生鉄道→豊州鉄道とは別会社。ダブった時期は無い)。かつてはイイ味出した木造駅舎だったようだが、老朽化のためにシンプルな駅舎に建て替わっている。下の空中写真を見るところ豊州線の駅は、この真正面にあったようです。
では、現役時・廃線後・現在の空中写真を見比べてみよう!
1948年(S23)の空中写真。豊州線がまだ現役の頃。
1962年(S37)の空中写真。日豊本線・豊前善光寺駅前への道路(点線)はまだ出来ていない。
現在の様子はこんな感じ↓
上のGoogle Mapsを南にスクロールさせてみてください。駅前から真っ直ぐに続く道路と線路跡が交わる地点が分かりますか?下の画像はそこから駅方向を見たところです。
一直線の道路と緩やかなカーブを描く線路跡。イイですねぇ。
他の空中写真を比較すると、駅前の直線道路は1962(S37)〜1967(S42)年の間に造られたようです。
今回は探索しに来てるわけじゃないので、院内にある駅名標や遺構が呼んでいましたが、華麗にスルーしてきました(笑)
帰っていろいろと調べていくうちに、国立公文書館アジア歴史資料センターのサイトで「日出生鉄道工事施行の件」という資料を見つけました。
以下の画像は「JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C02031557700、大日記乙輯 明治45年(大正01年)(防衛省防衛研究所)」から。
全7枚の資料画像の中に施工予定路線図があったんですが・・・ざっくりしすぎでしょ、これ(笑)
目指す日出生台とは違う方向に進んでますが・・・。安心院の市街地を通す必要があったんでしょう。
7枚目画像の摘要欄に興味深い内容が記されていました。
(略字等は新字体にしています)
●停車場/四日市、善光寺、城井、四日市町、法鏡寺、拝田、三又、香下、高並、円坐、東院内、南毛、安心院
●社長/水之江文二郎
●資本金/三十万円
●工事費/同額四日市、東院内、安心院ノ三駅は更メテ設計認可ヲ得ルモノトス
東院内駅ハ「スイッチバックステーション」ナリ
え?なんですと?わんもぁぷりーず!
東院内駅ハ「スイッチバックステーション」ナリ
は?マジでか!?Σ(゚Д゚)
そんなこと、グー●ル先生にもウィ●ペディアにも載ってなかったぞ。
東院内とは豊前二日市駅のことと考えて良いのだろうか?
どんな配線のスイッチバックにしようとしたんだろう・・
さて、ルートの妄想をしてみようかねぇ(笑)
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