土曜日に久しぶりに完全フリーになったので、折畳み自転車を車に積んで探索に出かけました。
小倉駅付近に車を駐車して、とりあえず向かったのが延命寺川に架かっていた橋りょうの遺構。
ここは何年も前から行きたかった場所。国道を通る時に何度かチラ見して、いつかは・・・
と思いながら、タイミングが合わず今までズルズル来てしまいました。
よそのサイトで取り上げられてるのを閲覧したり、
お知り合い様から画像を見せてもらったりした事はあるんですが、やはり自分の目で見るのはいいですね。
ここはよく見ると完全な橋台跡が1基と橋台跡らしきアヤシイ遺構が3基ありました。
材質や積み方・形状、あと直感(笑)から、全て同じ種類の橋台跡と考えられます。
鹿児島本線を背にして、旧街道の橋から河口を見たところ。
①が最初の画像。それの門司側に②。
そこから少し海側へ離れた所の国道199号線の橋に隠れるようにして残っている③④の橋台跡がありました。
↓①と④の橋台を見たところ
↓国道を車で走ると絶対に見えない位置にある④の橋台跡。
↓そして、その反対側にある③の橋台跡。ここも国道からは見えない。
↓完全な状態で残っている①の橋台跡の反対側にある②の橋台跡。
②③④ともに上部が削られていました。
②については古い石積みの護岸の天端に合わせて削られていました。
元々はそれぞれ①と同じような橋台だったのかもしれませんね。
①の橋台のそばには例の杭が点在していました。今はどうなのかわかりませんが、JR貨物の所有のようです。国道199号線の歩道を走っていると、建物の隅や店舗の隅など至る所に「工」杭が残っていました。
橋台跡のそばにあった案内図には線路がまだ残っています。この地図の橋りょう表記が正しければ、②の橋台は川沿いの道よりも門司側にあったように見えます。もし古くからある道ならば橋脚だった可能性も!?
↓国道から橋台跡・鹿児島本線を見たところ
そもそもこの線路は何かというと、小倉鉄道が敷設した線路でした。この橋台跡から小倉側に線路跡を辿ると(現在は藪&撤去済)、鹿児島本線の旅客・貨物上り本線の下を通り、東小倉駅の側線の中へ続いています。
東小倉駅は、もともと、小倉鉄道(添田線→日田線→日田彦山線一部+添田線)の起点駅として、1915年4月1日に開業しました。開業の年の10月25日、小倉鉄道 東小倉停車場構内海陸連絡線竣工につき使用開始の件を申請。10月28日許可。11月2日より石炭の輸送を開始します。これが、東小倉駅から鹿児島本線をアンダークロスして海側へ続く「海陸連絡線」と呼ばれる引込線。さらに小倉鉄道は駅の北側にある高浜海岸に約24,000坪の埋め立て地を築き、そこに延長1,800フィートの鉄筋コンクリート高架桟橋や延長765フィートの地平線を設けて貨物運輸を行っていました。また、約14,000坪の貯炭場に80,000トン以上の貯炭が出来る設備を造ったそうです。(※S15小倉市誌参照)
これらの経緯、古い地図、過去と現地の状況から、東小倉駅から鹿児島本線の下をくぐり、①の橋台から②の橋台へ延命寺川を渡り、その先でスイッチバックして、③の橋台から④の橋台へ再び延命寺川を渡り、高浜海岸の桟橋へ続いていたと思われます。桟橋や③と④の橋台跡がいつまで使用されていたのかまでは、ヘタレなんで分かりませんでした(汗)
ちなみに信号機位置図(S52)には、桟橋引上と記された線路が載っています。
小倉鉄道時代から続いていた桟橋へ続く線路の名残なんでしょうね。この路線図でもスイッチバックする形でヤードに続いていますが、分岐点は延命寺川の橋台跡より東小倉側にありました。近年まで残っていましたが、今はヤードも分岐点も残っていません。
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