2009年2月アーカイブ

寝台

Category:切符 コメント(3)
2月初めの飲み会の帰り。
寒い中、下車駅で嫁の迎えを待ってる間に、なんとなく駅の料金案内を見上げると、
寝台料金の案内が掲載されてた。(どこにでもあるんだけどね)

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カルテットってまだあったっけ?あと客車3段も。電車は載ってないのね(笑)

ふと思った。そういえば、ここ何年も寝台料金って払ってないなぁ。(タダ乗りじゃなくて・笑)
寝台列車はヒルネでは乗ったけど、寝台は新婚旅行で「北斗星」に乗ったっきりじゃなかろうか?
その時は「A個室ロイヤル」だったので、B開放って十数年乗ってないよなぁ。
ヒルネ利用と違った旅の雰囲気をまた味わいたいけど、九州からじゃもう乗れなくなるんですよね。
ラストランへのカウントダウンが始まっています・・。寂しいですねぇ。

初めて乗った寝台列車は「あさかぜ1号」1977年の秋、叔父の結婚式で東京へ行った帰りでした。
憧れのブルートレインなので、何もかもが輝いて見えましたね。
寝起きの車窓に見えた「戸田駅」と親父に連れられて行った食堂車での朝食は、今でも鮮明に覚えてます。
その後も何度か関東〜福岡を往復する機会があったんだけど、時間的制約等で乗れなかった。
大学受験から就活の間は、ここぞとばかりに乗ったもんです。

少ないけど手元に切符も残ってました。

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ファンとしては臨時でもいいから残してほしい気持ちはありますが、
実際、臨時でも通常運行でも乗る機会はあるか?と言われればノーとしか言えません・・。
普通に考えると、利用客がいなければ廃止は当然のことでしょうし。
「時代に合わなくなった」の一言で片づけるのも寂しい気がしますが、現実はそういうことなんですよね。

廃線同様、何年経っても人々の記憶の中では走り続けることでしょうね。


●遠賀川橋りょう #6

背丈以上に成長してた雑草群が、いい具合にヘタっていたので垣生側の河川敷にある煉瓦橋脚を見てきました。(ちょっと前だけど)

・筑前垣生側橋脚1基目(11P)

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・筑前垣生側橋脚2基目(10P)

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・筑前垣生側橋脚3基目(9P)

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・筑前垣生側橋脚4基目(8P)

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・筑前垣生側橋脚5基目(7P)

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7Pは、他の橋脚よりもアーチ部分が下にあり隅石の数も多く、井筒部分も低い位置にある。
なぜココだけこんな構造になってるんでしょう?
歩いている時には気付かなかったけど、この辺は少し地面が低くなってるんやろうか・・。

河川敷に残る1基、6P(中間・垣生側から6基目)は茂みが凄くて近づけず断念。

各橋台とも煉瓦の積み方・数に微妙な違いがあったり白華具合も様々で、
それぞれ違った表情してるので、じっくり見ると楽しいですねぇ。



妄想倉庫

Category:Design コメント(0)
先月より、おっちー母がナ○コで買った倉庫(物置)が庭に鎮座しております。

押し入れに入らないものをなおす!と言ってたわりには中に大したものが入ってない・・。
屋外の倉庫なんて、いずれは錆びて朽ちてホコリまみれになるじゃないか・・。
隙間から変な虫とか入ってくるだろうし・・。私物を中に置くのはイヤだなぁ。

そこでぇ、そんなあなたに今日ご紹介する品はこちら!
「高耐久高品質ルネッサンスデラックス煉瓦倉庫」
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この煉瓦倉庫の耐久性は、「三匹の子ぶた」で実証済みの安心設計! 100人以上乗ってもたぶん大丈夫!
入り口と窓の上の曲線がおしゃれですね! 今回は特別日本向け仕様の瓦葺き!
気になるお値段は・・・

・・・って妄想はこの辺にして(汗)

いや、ホント、こんな倉庫が欲しいなぁと思って描いてみました。(かなり前だけど)
モデルはランプ倉庫です。
通常ならレンガの壁なんかはテクスチャ作ってペタッと張り込んで終了なんだけど、
これは1コ1コ積んでいきました。連続部分はコピペですけど。

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ふと思った。レンガ+日本瓦で和洋折衷な建物ですなぁ。
アイスでいえば「雪見だいふく」みたいなもんか?(笑)

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作り終わって気が付いた。これってフランス積みやん。
モデルがググって引っ張ってきた画像なんで詳細は知らないんだけど、明治初期のものだよね?
個人的にはイギリス積みの方が好きなんだけど・・。モデリング中に気付かない私、おバカ(汗)



ファミマ

Category:車両 コメント(3)
ファミリーマートの500mlペットボトルにこんなオマケが付いてたので即買い。
ファミリーマート限定『鉄道博物館収蔵車両 鉄道ヴィネットコレクション』fm1.jpg

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普通の食玩みたいな1両を小さくしたモノじゃなくて、小さいながらも遠近感を持たせた凝ったモデルになってます。
これには感動!こりゃ凄いって思ってたら製作はやっぱり海洋堂でした。

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ボンネット好きにはたまらんねぇ。

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全部で5種類あるんだけど、結局全部買い占めちゃいました。
パッケージに中にどの車両が入ってるか表示してるので、
チョコエッグみたいにお目当ての車両が出るまで買い続けなくていいからグー。
大人買いしましたけどね・(汗)

私が立ち寄った店では「カルピスウォーター」にしか付いてなかったので、5本買いました・・。
出先(日曜のライブ)だったので朝から晩まで飲み続けましたよ・・。乳酸菌取り過ぎですか?(笑)
今はアクエリアスとかお茶類にも付いてましたorz

ちなみに大きさはこんな感じ。

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左の車両は25年ぐらい前に買ったNゲージの20系。右が今回の20系「あさかぜ」

鉄な方はコレクションの1つにどうでしょう?


LIVEしました

Category:音楽 コメント(3)
西小倉駅前のライブハウスで行われたライブイベントに出演しました。
先週より帰宅後は練習漬けだったので、blogもメールも何もかも放ったらかしにしてました・・。
子供の時の宿題や大学の課題制作と同じでギリギリにならないとやらない人なのもので(汗)

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今日はこのイベントに出ました。↓

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事前告知用チラシですが、これもらった時は、タイトルからしてメタルイベントか?
うちはどっちかというとアメリカンポップロックなんだけど・・・大丈夫かなぁ・・。そう思いましたよ。
しかし、いざやってみると、そんな心配は無用でした(笑)
各バンドともハイレベルでメンバー・会場ともに楽しめたイベントでした。


また此奴↓が本番中に暴走してフリーズしやがった。本来の音色を出せないからサブシンセでカバーしたけど。

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困ったもんだ。
1989年製で気が付きゃ20年前のモデルになるけど、いつまでたっても手放せないシンセの1つ。

シンセといえば、最近うちの娘がこれ↓をオモチャにしてる。
あなたはアンマンマン(まだ言えない)のキーボードがあるやろ・・。

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鍵盤を割れそうな勢いでバシバシ叩き、ツマミはグリグリするし、ボタンを押しまくる。
確かに鍵盤はオモチャのキーボード並に小さいけど、アナログモデリングシンセなんで、
アンパンマンキーボードよりも数万倍エグイ音が出るんだぞ・・・orz
ボコーダーで喋ってやろうか「TOKIO」って(古ッ!)



二瀬駅付近用地杭

Category:廃線・未成線 コメント(8)
今日は嫁のアッシー君&子守りで終わった1日でした。
そんな中、僅かな時間でも何かを探したり、車で通ったりしてたわけですが、
かなり前からロックオン済みだったブツを見てきました。

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二瀬駅跡付近の公民館の建物そばにアヤシげな杭があるのはわかっていました。
しかし、車道からは「工」が見えないので、まさかね・・と思っていたら大当たりでした。
頭部は鉄筋(リブ無しの丸鋼)が見えるほど欠けてて、時間の経過を感じさせられます。
このテのやつはカブリ厚が少ないんですかねぇ。
ちなみに二瀬駅ホーム跡は画像内12時方向、二階建ての家の隣にあります。

この杭のそばに枕木杭のようなモノもありました。

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3本だけですけど・・。
そう見えるだけかもしれません(笑)

そういえば、門司港トロッコが搬入されたようですね。
ニュースでやってました。開業が楽しみです!

ちくまえ。さんのエントリーのレスとして、こちらでエントリーしますー。
事前に↑をお読み下さいませ。

国会図書館の近代デジタルライブリーで閲覧出来る書物の中に、明治〜大正の鉄道に関するものがいくつかあります。その中から著作権保護期間満了のものを転載します。

まずは、google mapから謎の運炭線をトレースしてみます。

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ザクッとしたトレースですが、3.76kmあります。

鉄道院鉄道統計資料 大正5〜8年度/鉄道院編より
大正5年度/第十編/第五 專用鐵道のページを見てみると、

貝島礦業合名會社(社は異字体)
運輸未開始線/九州線 長尾驛(今の桂川)〜大分、哩程/2M27C
軌間/3呎6吋、使用の目的/石炭運搬、免許年月日/明治40年6月17日
とあります。

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2M27Cをキロメートルに換算すると、3.7618416km。google mapの数値とピシャリ合致します。
軌間の3フィート6インチも約1,067mmで狭軌。
ということは専用鉄道の未成線だった!ってことになりますね!

大正13年度の鉄道省鉄道統計資料にも専用線のページがありますが「動力」の項目が増えています。しかし、emダッシュになってて明示されてません。蒸気を予定してたわけじゃないのかな?社名は合名会社から株式会社に変わってます。

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↓大正14年度の鉄道省鉄道統計資料には未開業線として記されています

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ちくまえ。さんの記事内にある「嘉穂炭鉱史」によると『大正7年に貝島氏が笹江炭鉱の開発を始めた』とあるみたいだけど、専用鉄道の免許は明治40年に取得しているので、その頃から開発の話はあったのかもしれませんね。
昭和に入ってからの鉄道に関する資料が無いので、以降のことはわかりません・・・。




嘉穂信号場 090208

Category:廃線・未成線 コメント(3)
今日はひな人形と格闘してたので(笑)、フリータイムは夕方のみ。
ええ、それでも行ってきましたよぉ。あの場所へ・・。

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たぶん、予定通りには終わらないような・・・

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旧盛土部分には間知ブロックが積まれてました。

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アーチ橋があった部分はこのように。画像下部には新設された暗渠があります。

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さて、今度来た時は何が変わってるやろか・・・。
久しぶりのこのシリーズを・・。
写真は去年のものです。

●遠賀川橋りょう #5

・中間側橋脚4つ目(4P)

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他の橋脚と同じ造りで、連続美を形成していますが、アーチ部分をよく見ると・・

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巻厚が他は4枚ですが、ここは5枚になっています。
画像じゃわかりませんが、垣生側の橋脚も5枚になってます。
おそらく、遠賀川の流路にかかる橋脚は全て5枚で、河川敷の橋脚は4枚になってるのではなかろうか。


昨年、昔、中間に住んでおられた方から、この遠賀川橋りょうに関するメールを頂きましたのでご紹介したいと思います。



私の故郷である中間の遠賀川鉄橋を見て懐かしさが込み上げております。さて、遠賀川鉄橋のレンガ橋脚が不規則に積上げられ、寸法が違うのは、私が小学校の 時、校外授業で中間駅を見学した折に、駅員さんから聞いた話ですが、筑豊炭田が最盛期に中間市は石炭の採掘の 為に地盤沈下が激しく、遠賀川鉄橋(他の鉄橋etc)が傾き掛けたそうです。汽車を安全に走らす為、鉄橋のレンガ土台を何回も作り替え、鉄橋を架け替えた そうです。そして、私の父方の親戚の叔父(故人)が国鉄マンでSLを運転していた当時、遠賀川鉄橋を石炭列車を牽いて渡る時は、列車が微妙に傾いて走るの で「いつか 、こける!」と恐怖心でSLを運転していたと幼い頃に良く聞いておりました。御参考には程遠いですが遠賀川鉄橋は石炭産業による地盤沈下との苦難の戦い歴 史だったのです。特に架け替えた跡が分かるのは、筑豊本線と旧香月線がオーバークロスしていた場所に残っているレンガ橋脚です。(前に堀川があります が・・・)何回 もレンガを積替えた跡が残っております。


大変興味深い内容のメールありがとうございました。
最後に出てきた橋梁(石仏架道橋)の橋台はとても複雑な形をしています。
何度も見に行きましたが、その形故、ついついじっくり見てしまいますね。
3線跡を往くシリーズで紹介したいと思ってます。


子連れ大回り

Category:車両 コメント(2)
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嘉穂信号場チェックの後、嫁が仕事のため、私と娘の二人だけで夕方まで過すことに。とりあえず家事を終わらせる。さて、昼から何しょうかねぇ・・。最近電車を見ると反応する(笑)娘のために、いや、私の鉄分補給のために(笑)列車に乗ろうと時刻表をパラパラ。夕方には帰れる時刻とルートを瞬時に決定。いざ駅へ。
娘は初めて乗る電車に「でぃしゃ!でぃしゃ!」と興奮気味。後藤寺線で乗ったキハ31は0系新幹線のシート仕様で、座り心地がいいのかご満悦の様子。乗り換えた日田彦山線のキハ147も昔ながらの弾力のあるシートでマターリしてました。西小倉到着後、予定してた快速が来ない・・。え?事故の影響で運休?orz 仕方なくルート変更して帰ることに。817系のシートはどうもお気に召さないようで、終始落ち着きがない娘でした・・。
やはり、親と一緒で国鉄型にしか萌えないのでしょうか?(笑)

今回の子連れ大回りで思ったこと・・
●おむつ替えが大変●自分のトイレが大変●乗り換え時間は余裕を持たせる●長時間は無理

2歳前の子供との大回りは無謀だったのかもしれんけど、お互いにいい経験になったんじゃないでしょうか?(笑)

嘉穂信号場 090201

Category:廃線・未成線 コメント(3)
今は休みが日曜日のみなので、趣味には時間を使いにくいですが、なんだかんだ言いながらもとりあえず毎週チェックしてます→嘉穂信号場

今日は単独行動が許される朝のうちに見てきました。

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パッと見、工事が進んでないように見えますが、来る度に何かが変わってます。

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日吉巻揚踏切跡から先は今の工区から外れてるようなので大きな変化はありません。

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アーチ橋があった箇所は暗渠になり上部は土が盛られて地続きになってました。

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踏切脇のこの外柵。よく見ると、端末・中間柱にレールが使われています。
さらによく見ると・・

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1925年(大正14年)モノでした!

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