先日、久しぶりにフリータイムが出来たので(正確には買い物を頼まれた)、筑前宮田駅跡の様子を見てきました。
↑筑前宮田駅旅客ホーム端末部から駅舎方向を見たところ
構内は駐車場として利用されているようです。役所関係の車が多いように見えました。
↑駅構内跡を分断してる建設中の道路から旅客ホーム全体を望む
ようやくまともな?跡地利用をされているように思います。草ぼうぼうだったり、残土置き場になってたりしてましたもんねぇ。あ、仮設住宅があったこともありましたねぇ。
↑旅客ホーム前
↑旅客ホームの一部は爆裂して鉄筋が露出してます。
崩れる落ちそうなコンクリートって、なんでこう魅力的なんでしょう。丸鋼の鉄筋や骨材がたまりません。
↑ホーム上屋を支えていた古レール製柱の痕跡がいくつか残っています。
↑貝島炭鉱専用鉄道のコンクリート橋が辛うじて残っています。
すぐ横で道路工事の真っ最中なので、こいつらもどうなるのか分かりません。
↑駅前を貫通する道路と専用鉄道がクロスしていた所に残っていた橋台が無くなっていました。
↓同じ場所の2013年の写真
別角度から
↓その先の線路跡の盛土も一部が削られていました。
この盛土は八木山川の橋台跡まで続きます。川の向こう側は廃線敷を利用した道路があります。いつかは繋げる計画なんでしょうねぇ・・。
↑道路建設の計画が素直に廃線敷をトレースするならば、この橋台・橋脚も消える運命になりますな。撮影地点付近が宅地造成されたので遺構が見やすくなりました。初めて行った時は橋脚の向こう側から探索しました。
駅周辺をひと通り見て、次に貝島炭鉱専用鉄道の六坑〜二坑間の掘割跡を見に行きました。すると、驚いたことに完全に埋められていました。前に来た時点で何かの工事が始まっており、駅構内を分断している道路の延伸部分なんだろうと思っていました。造っていたのはテニスコートでした。もしかしたら現在のテニスコートが道路に引っかかるからかなぁ・・と空中写真を見ながら思いました。
↓2015年12月(上段)と2013年(下段)の様子
↓少し奥からの様子。
おまけ
ちょうどこの位置にボタ運搬軌道跡が残っていました。この下が専用鉄道の掘割です。写真は1997年ですが、その後もしばらく残っていたと思います。
>ちくまえ。さん
いや、ホント、来るたびに何かが変わってます。これまで放置っぷりが嘘のようです(笑)
各遺構が消えていくのは惜しいですが、今後も変わっていく姿を見続けていきましょう。
お土産のダムカードはいつでもいいですよ〜。急ぐものでもないですし。
DVD? 何だろう?ムフフなやつですか?(笑)
お疲れです、ココ数年各炭鉱跡地の変りっぷりは急速ですな。
(埋められる前に歩いといて良かった)
中央露天跡は今や立派な発電施設に変わりましたし...
廃線も炭鉱跡も地形すら変えられると以後のトレースなどは
資料がないとほぼ不可能な時代が来てますばい。
あ、忘年会開催もすでに困難な時期なのでダムカードと
映像DVDはポスト投函するかもしれませんのでよろしく
お願いします。