廃線・未成線の最近のブログ記事

当初、子どもと行く予定でしたが、朝になって急に行くだの行かんだの言い出し、結局私だけ行くことになりました。
奴等は起床後、9時過ぎまでテレビの前から動かないのでダメですな(笑)
てことで、今回は久しぶりのソロ参戦でした。

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テントには油須原線開通時の貴重な垂れ幕(コピー)が。いいですよね。こんなアイテム。
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朝イチには間に合いませんでしたが、今回は比較的少ない!? 来たやつにすぐ乗れました。
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雲ひとつ無い最高に気持ちのいい天気となりました。絶好のトロッコ日和です。
このカーブがたまらんですなぁ。
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のんびりした環境の中、足元から脳天まで響く振動を感じながら進んでゆきます。
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沿線住民の方が手を振ってくれました。こちらの乗客も振り返します。和む光景ですね。
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折り返し地点が見えてきました。絶妙なブレーキさばきで停止目標に停めてくれます。
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進行方向が逆になります。今度は熊ヶ畑駅跡方向へ進んでゆきます。
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唸りを上げるエンジン(駆動用)とコンプレッサー(汽笛用)。
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ホントにいい天気だ。山がこんなに綺麗に見えるなんてね。いいところだ。
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ホームから見えていたカーブを逆から進みます。
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ホームに戻ってきたけど・・あれ?次の客が居ない・・。(おかげで次もすぐ乗れたけど)
熊ヶ畑トンネル(本物)を抜けた、お隣の川崎町でイベントやってるから、そっちに客が流れたのかなぁ・・。
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さぁ、熊ヶ畑トンネル(車庫)へ入りますよぉ〜
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トンネル通過中〜
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抜けた先の熊ヶ畑駅跡(駅の痕跡は無し)の手前で折り返します。
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何度も書いてるけど、この辺、鉄道用地が広いんですよ。現役時、熊ヶ畑駅は片面1線しかなかった。計画時は交換設備を設置する予定だったんでしょうね。
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再び熊ヶ畑トンネル(車庫)を抜けます〜。
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到着〜。
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このあと、待ち客が少なかったせいもあって、また乗りました。だって楽しいもんねぇ。
その後、プラレール広場にお邪魔し、いつもお世話になっている@Kenichi_Partyさんにご挨拶。
しばらく鉄・バス談義をしたのち、久しぶりに線路を歩いてみました。
熊ヶ畑駅跡手前でケーブル埋設の注意看板が落ちていました。
漆生線跡にも残っているタイプじゃなくて比較的大きいサイズのものでした。
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マクラギも交換された部分がいくつか見られました。
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マクラギは熊ヶ畑トンネルから持ってきてるそうなんですが、結構使ってしまっているらしく、今後どうしていいものか考え中とのこと。運搬のため軽トラでトンネルに入るのはいいが、マクラギを抜いているせいでバラストが凹んでいて、上下にグワングワンなって運転が大変!という話も聞きました(笑)色々苦労されているようです。トロッコ運営スタッフに鉄道に詳しい者(元従事者等)が居ないため、特に保線についてアドバイスが欲しいとのことでした。元保線マンがいればぜひご協力を!

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また、秋もよろしくお願いします!

先日の漆生線探索を本家サイトの遺構へ行こう内にUPしました。
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先日、宮若市石炭記念館で開かれている「貝島炭礦専用鉄道」写真展に行ってきました。
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写真の殆どが「けむりプロ」による「貝島炭礦鉄道1961-1964 」として出版されていたものからでした。実はこの写真集すっかり買うのを忘れてました・・。貴重な写真の数々で驚き。何度も見返しました。特に庄司(現・飯塚駐屯地)の採砂場の写真と解説が興味深かったです。石炭記念館のおいちゃんに写真集の実物を見せてもらいましたが、思った以上にしっかりしたモノで、これは早く入手せねば!と思いました。せっかくなので、何冊か置いて販売してくれればよかったのになぁ。写真集編集時には制作サイドから石炭記念館に貝島炭礦専用鉄道について色々と問い合わせがあったそうですよ。
その後、久しぶりに筑前宮田駅跡とその周辺にある貝島炭礦専用鉄道跡を探索してきました。

JR宮田線・筑前宮田駅のホーム跡。ガードレールの奥に続くモジャ地帯が線路跡。

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駅の敷地は市道「勝野長井鶴線」新設ため分断されています。写真は道路からホームを見たところ。

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新設された道路のそばに貝島炭礦専用鉄道の遺構が残ってますが、いつまで持つか分からんですねぇ。

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↓下の写真の場所にはかつて橋台が残っていました。
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↓これは2004年11月。六坑側の盛土から撮ったもの。
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↓これは1997年12月。
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六坑へ続いていた盛土は一部崩されていますが、まだ残っていました。
ここもいつか市道が通るんでしょうなぁ。

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その先にある橋台と橋脚も残っています。

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さらにその先の八木山川を渡っていた鉄橋の橋台も残っています。
ここにも道路橋が架かるんやろうなぁ。

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来る度に少しずつ工事が進んでるような感じです。またチェックしに来ます〜。

10月23日(日)に嘉麻市熊ヶ畑で、かかし祭りとトロッコフェスタinYAMADAが開催されました。今回も行ってきましたよ。当初、子供たちも嫁氏も所用のため、久しぶりの単独参加の予定で、廃線探索もしてこようかな・・と思ってましたが、生憎の雨のため子供らのイベントが中止になり、急遽、息子氏と2人で参戦しました。娘氏は・・・お察しということで(汗)
当日は朝からハッキリしない微妙な空模様。家を出た時は雨は止んでいましたが、熊ヶ畑へ向かう途中からパラパラと・・。現地に着いたのは9時15分頃。傘をさそうか、さすまいかって程の小雨が降っていました。9時30分になってトロッコの受付へ行ってみたところ、雨のため運行を見合わせているとのこと・・。
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運行は雨が上がり次第とのことで、しばらく止みそうもないので、雨天決行の「かかし祭り」会場のプラレール広場へ。テントの水滴が恨めしい・・・
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まずは、いつもお世話になっている、プラレール広場の管理人様にご挨拶。今回も楽しませてもらいます。
その後、DML30さんも到着され、オトナも子供も一緒に線路建設!プラレールのレイアウトって、多少強引に持ってこれるところもあるけど、結構アタマ使いますよね。
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息子氏は何故か京成スカイライナーがお気に入り。実物は見たことないのに(笑)
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雨の様子を見ながら、しばらくの間、プラレールと鉄談義で盛り上がりました。11時前だったかな、ガタガタとトロッコの走る音が聞こえてきました。お客は乗っていなかったので試運転だったようです。そろそろかなぁ・・。それからしばらくしてお客を乗せたトロッコが通り過ぎて行きました。おぉ、運行開始したんだ!11時過ぎでした。急いでトロッコのりばへ向かいました。
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受付へ向かうと、もう長い付き合いのtimeさん一家と遭遇。なんという絶妙なタイミング。
受付のテーブルを見ると、おや?どこかで見たことある写真が・・・いつもありがとうございます(汗)
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先客が並んでいたので1本待って乗車。雨対策のためかシートカバーが付けられていました。
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AW-2のホイッスルを鳴らして出発。空は雲で覆われて、風を受けると少し肌寒い感じ。それでもみんな笑顔で乗ってます。楽しいもんね。
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走行中、トロッコの振動が頭のてっぺんまで響きます。
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いつもの所で折り返します。停目確認!
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毎年同じ車両に乗るので同じ構図になっちゃいますね・・(汗)
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トロッコの中でこのカーブが一番好きです。
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ホームを通り越して、いつもはトロッコ車庫の「熊ヶ畑トンネル」を通過します。
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トンネルを抜けると・・
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案山子達が見えてきました。今回も色んな事やってます(笑)
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そして、トロッコはいつものように熊ヶ畑駅跡手前で折り返して出発地点へ戻ります。
約8分の乗車時間ですが何度乗っても楽しいですね。

この後は、再びプラレール広場へ戻りました。息子氏は昼飯も食べずにプラレール遊びに夢中(笑) 広い所で好き勝手走らせられるのが楽しいんでしょうね。昼飯時を過ぎてもまだ遊んでて、こちらは、たいがいお腹もすいてきたので、半強制終了。
その後、昼食を調達し車内で食べ、西鉄後藤寺バスセンター跡の前を通って、平成筑豊鉄道のへいちくフェスタ2016へ行ってきました。





実は帰る直前にまた乗りました(笑) 次回もまた来ます!
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お盆休みソロツー@佐世保「ルート上に廃線があるのでついでに寄ってみよう」の続き。世知原線跡を追い、そのまま佐々方面へ向かって臼ノ浦線跡へ。この佐々。読みは「さざ」なんですが、現地に来るまでずっと「ささ」だと勘違いしてまして・・アストロロボ佐々・・などと、しょうもないことを考えてました。(初期のファミコンソフトでアストロロボSASAってのがあったんですよ。)

臼ノ浦線は松浦線の佐々駅から臼ノ浦駅を結んでいた典型的な盲腸線。ここも世知原線同様、運炭路線として敷設されました。1931年8月29日、佐世保鉄道により軌間762mmの軽便鉄道で開業し、その後、国有化、改軌され、世知原線と同じ1971年12月26日に廃止されました。詳細は廃線本やフリーな百科事典などを参考にしてください〜。

佐々駅を出ると、松浦線としばらく並走していたようです。昔の勝田線・篠栗線みたいな感じですね。写真の左奥が佐々駅、右中心に松浦鉄道に線路があります。双方大きくカーブして別れた所に臼ノ浦線の盛土が残っています。あとから調べたら橋台も残っているとのことだったが、この時期、遺構の奴等はすぐ隠れちゃうからなぁ(笑)
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大きくカーブした線路跡は道路になりますが、すぐに佐々川へぶつかります。そこには、かなり削られていますが橋台跡が残っています。
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こちらは対岸から佐々側の橋台を見たところ。2基ありますね。右側(下流側)の橋台は佐世保鉄道時代のもので、元々は佐々駅からではなく佐世保側から延伸開通しました。左側(上流側)は改軌と同時に分岐駅が佐々駅に変更になった際に敷設されたものです。
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国土変遷アーカイブで過去の空中写真を見比べると面白いです。特に米軍写真からは新線・旧線入り混じったΔ線状態っぷりが分かります。これだけでご飯3杯食べれそうな写真です(笑)
↓下の画像は1947年の米軍撮影写真(国土地理院の空中写真)をトリミング・加筆したもの。
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佐世保鉄道・国鉄時代のそれぞれの橋脚が平成まで残ってたっていうんだからビックリですよね、今は橋台のみが両岸に残っています。
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臼ノ浦側の橋台跡。こちらは佐世保鉄道開業時のもの。軽便鉄道だったせいか、な〜んか貧弱に見える!?
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こちらは改軌後、廃線まで使われた橋台跡。こっちのがガッチリしてるように見える!?
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佐々川を渡ると堀割を進みます。
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掘割を通り抜けると線路跡は住宅地と道路になります。空中写真では盛土と架道橋があったようですが痕跡は分からなかった。交差点周辺の土地形状にアヤシさを感じたぐらいかなぁ。さらに進むと線路跡道路と並行道路がピッタリ並ぶ所があります。廃線跡らしい光景ですね。幸袋線跡を思いだします。写真は臼ノ浦駅方向を見たところ。左の道路が線路跡。
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臼ノ浦駅跡は公民館になっていますが、駅へ上る階段がそのまま流用されています。横長い階段があるだけで駅っぽい雰囲気がありますね。
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公民館前にある駅名標は当時のものではなく、平成20年に地元の企業が建てた復刻版のようです。空中写真を見ると線路はこの先にあった貯炭場まで続いていたようです。
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↓臼ノ浦線跡のルートとそれぞれの写真の位置↓


本物の駅名標は役所の中に展示されていました。実は日本本土最西端訪問証明書をもらいに佐世保市役所小佐々支所を訪ねた時に偶然見かけたんですよ。もし、漁協に証明書をもらいに行ってたら見れなかった。盆休みとはいえ平日で役所が開いてたのがラッキーでした。
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お盆休みにたまたま一人になる時間ができたのでバイクで遠出してきました。目的地は前々から行ってみたかった、長崎県佐世保市にある日本本土最西端の地「神崎鼻」そして、日本本土最西端訪問証明書をもらうことがミッション。ルートを調べてみると、廃線となった世知原線と臼ノ浦線に沿って行けるようなので、今回の目的じゃないけどサクッと探索してみました。いつものように事前準備なしの行き当たりばったり出たとこ勝負の探索です(笑)

世知原線は炭坑の専用鉄道がルーツで佐世保鉄道→国有化となり、1971年12月26日に廃止されたました。詳細は廃線本やフリーな百科事典などを参考にしてくださいな。この地域の鉄道は買収、国有化、改軌、線路移設などなど経緯が複雑で面白そうです。

(進行上、世知原駅跡から進みましたが、吉井駅の分岐付近から進めていきます)

吉井駅から分岐してすぐの所に「工」杭がありました。
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アングルを変えて・・奥に松浦鉄道(元JR松浦線)のアーチ橋が見えています。
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世知原線の線路跡の大部分は歩行者・自転車専用道路になっています。並行道路と高低差がある区間があり、そこそこ勾配が続いてたんだなと感じます。途中、橋があったので何かあるかな?と思ってパッと横を見てみたらアーチ橋があったので急いでUターンして撮影。
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並行道路から自転車道を横断する箇所(かつて踏切だったと思われる)を何ヶ所か確認しながら進んでいく。こういった時はバイクが小回りが利いて良い!その中でホームのようなものがある場所を発見。バイクを停めて歩いて近づいてみた。
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おぉ、このスロープ状。こりゃどう見てもホームですなぁ。( ̄∇ ̄)ニヤリ
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もう少し先へ歩いてみると、スロープ状になった吉井側の末端部も確認できました。その場でググってみたら、祝橋駅とのこと。駅舎はどこにあったんだろう?
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祝橋駅跡から世知原駅跡の間に線路跡道路に対して土地が斜めになってる広い場所があって、何かアヤシイよなぁ(写真は無し)って思ってたんだが、帰宅後に変遷アーカイブで空中写真見てみたら、やっぱり何かあった。石炭積出場っぽい感じの設備があった。


世知原駅跡の近く、歩行者・自転車専用道路の起終点に橋が架かってたんだが、ん?上路ガーダー橋だった感じ?
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近くに来てみたけど桁が見えない・・(汗)
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柵に体ひっつけて思いっきり手を伸ばして撮ってみた。
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なんかエラく綺麗。塗装しなおしてるんかな?
それとも鉄道時代の桁じゃないとか?んなことないよねぇ・・。
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世知原駅跡の一部は公園になっていて、廃止を記念した動輪が設置されています。
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昭和19年から昭和45年まで活躍したC11の動輪ですってよ。
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かなり錆びてます。プレートも外れかけてますばい。管理してる人いるのかなぁ・・。
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↓世知原線跡のルートとそれぞれの写真の位置↓


来たついでに世知原炭坑資料館を見学してみました。
この建物は松浦炭鉱事務所だったそうです。なかなか洒落た建物です。
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展示物は炭坑関連が中心ですが、世知原線関連もあり、貴重な駅名標や現役時の写真、切符、ダイヤグラム、制服などが展示されていました。
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ここも筑豊と同じく、炭鉱のために鉄道が敷かれ、閉山と同時に鉄道の使命が終わった場所だったんですなぁ・・。

先日、たまたま近くを通ることがあったので、大分交通豊州線があった豊前善光寺駅へ行ってみました。

大分交通豊州線については、ネットで検索すれば色々とヒットします。たぶんそっちの方が詳しく探索&調査されてると思うので、そちらを参照されてください(汗) 簡単に説明すると、大分交通豊州線は四日市駅(後の豊前善光寺駅)〜豊前二日市駅間を結んでいた軌間762mmの軽便鉄道。1914年(大正3年)に日出生鉄道によって開通→豊州鉄道→大分交通豊州線と名称が替わり、1953年(昭和28年)に廃止されました。計画では四日市から安心院(あじむ)まで敷設し(実際は豊前二日市まで)、陸軍演習場があった日出生台(ひじゅうだい)を目指していたそうな。だから日出生鉄道。
「鉄道廃線跡を歩く」に載ってたような・・けど内容忘れたなぁ・・院内の方で駅跡を示す駅名標を見たことがあるなぁ・・どっかの川に橋脚が残ってなかったけ?程度の知識で事前準備無しの探索でした(いや、所用のついでに寄ってみただけなので探索とは言えんか・・)。

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↑この橋台跡はJR豊前善光寺駅のすぐ目の前にあります。「鉄道廃線跡を歩く」によると機関庫へ続く線路だったそうな。下の空中写真から想像するに画像右側(西側)に機関庫があったんでしょうね。(橋台跡の画像は南側を向いています。) 大正初期の敷設なのに橋台が煉瓦ではなく石材なのは、沿線の院内に石工が多かった地域性からか!? それともコストの問題?桁を固定していたと思われるアンカーボルトが残っています。

現在のJR九州・豊前善光寺駅(※開通当時は豊州鉄道四日市駅、後に九州鉄道合併→国有化。日出生鉄道→豊州鉄道とは別会社。ダブった時期は無い)。かつてはイイ味出した木造駅舎だったようだが、老朽化のためにシンプルな駅舎に建て替わっている。下の空中写真を見るところ豊州線の駅は、この真正面にあったようです。

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では、現役時・廃線後・現在の空中写真を見比べてみよう!

1948年(S23)の空中写真。豊州線がまだ現役の頃。
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1962年(S37)の空中写真。日豊本線・豊前善光寺駅前への道路(点線)はまだ出来ていない。
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現在の様子はこんな感じ↓

上のGoogle Mapsを南にスクロールさせてみてください。駅前から真っ直ぐに続く道路と線路跡が交わる地点が分かりますか?下の画像はそこから駅方向を見たところです。

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一直線の道路と緩やかなカーブを描く線路跡。イイですねぇ。
他の空中写真を比較すると、駅前の直線道路は1962(S37)〜1967(S42)年の間に造られたようです。


今回は探索しに来てるわけじゃないので、院内にある駅名標や遺構が呼んでいましたが、華麗にスルーしてきました(笑)


帰っていろいろと調べていくうちに、国立公文書館アジア歴史資料センターのサイトで「日出生鉄道工事施行の件」という資料を見つけました。
以下の画像は「JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C02031557700、大日記乙輯 明治45年(大正01年)(防衛省防衛研究所)」から。
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全7枚の資料画像の中に施工予定路線図があったんですが・・・ざっくりしすぎでしょ、これ(笑)
目指す日出生台とは違う方向に進んでますが・・・。安心院の市街地を通す必要があったんでしょう。
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7枚目画像の摘要欄に興味深い内容が記されていました。
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(略字等は新字体にしています)
●停車場/四日市、善光寺、城井、四日市町、法鏡寺、拝田、三又、香下、高並、円坐、東院内、南毛、安心院
●社長/水之江文二郎
●資本金/三十万円
●工事費/同額

四日市、東院内、安心院ノ三駅は更メテ設計認可ヲ得ルモノトス
東院内駅ハ「スイッチバックステーション」ナリ

え?なんですと?わんもぁぷりーず!

東院内駅ハ「スイッチバックステーション」ナリ

は?マジでか!?Σ(゚Д゚)

そんなこと、グー●ル先生にもウィ●ペディアにも載ってなかったぞ。
東院内とは豊前二日市駅のことと考えて良いのだろうか?
どんな配線のスイッチバックにしようとしたんだろう・・

さて、ルートの妄想をしてみようかねぇ(笑)

今年も行ってきました。トロッコフェスタinYAMADA。
平成28年4月24日・日曜日、例年通りつつじ祭りと同時開催です。
数日前の予報では雨となっており、前日の土曜日も少し雨が降ったので心配でしたが、雨も上がり無事に開催されました。

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現地に着いたのは9時45分頃。まだ早いのか天候のせいか、お客の姿はチラホラ程度。
トロッコは既に運行していましたが、乗り場には列が出来ていません。

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きっぷ売り場の前には熊ヶ畑駅が現役の頃の写真。

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おや?閣下からメッセージが(笑)

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きっぷを買って階段を上がり乗り場に進みます。すると今回の目玉アイテム「踏切警報機」がお出迎え!
車で熊ヶ畑に着き、視界に飛び込んできたこの踏切警報機に思わず、おおぉぉ〜!と声が出ましたよ(笑)。

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↓実は昨年秋はこんな姿でした。今回ついに立ち上がりました!

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スタッフさんによると、まだ、なんとか設置出来た状態とのことで、次回の秋までには作動するようにしたいと言われてました。約30年ぶりに熊ヶ畑に警報機の音が響く日は近い!?


トロッコが戻ってきたので、私らも乗り込みます。いつもはモーターカーの後ろの車輌に乗るんですが、今回は最後尾(上山田側・出発時は先頭)に乗りました。程なく信号が青になり出発。

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なかなか良い眺め。
天気のせいで少し肌寒く感じました。太郎ちゃんのメッセージのような爽やかな春風を感じたかったなぁ。

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線路は一部バラストが流れ出て?貧相な姿になっている箇所があります。

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手作り標識「スピード注意」
ここは若干スピードオーバー気味になるんでしょうか。

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手作り標識「注意ゆっくり」
目の前には折り返し地点が見えています。絶妙なブレーキさばきでゆっくり停止。

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そこから折り返していきます。

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写真を撮る人、風景を楽しむ人、子供をあやす人、載せられないのが残念ですが、トロッコに乗ってる時のお客さんの顔がみんな笑顔なのが素敵でした。

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出発した乗り場を通過して、普段はトロッコの車庫になっているトンネルを通り抜けます。

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わーい♪(笑)

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熊ヶ畑駅があった場所の手前で再び折り返します。

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廃線とは思えない、現役路線と見間違えるほど綺麗な線路です。
これもスタッフの皆さまの努力の賜物だと思います。ありがとうございます。

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再びトンネルを抜けて終点。
今回は少し肌寒かったけど、十分楽しめました。
この後、また乗って、帰る間際にもう1回乗りました。どんだけ好きなんだよ(笑)

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そして、いつもの「プラレールのへや」へ。
子供らが好き勝手な編成を組んで走らせるのを楽しく眺めてました(笑)。
いつも遊ばせていただき、ありがとうございます。

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次は秋ですね。楽しみです!
またよろしくお願いします。

遺構へ行こう【室木線】

Category:廃線・未成線 コメント(2)

今頃更新?シリーズの最後です(汗)
またまた年明けに探索したやつですが・・・室木線跡の探索を「遺構へ行こう」にUPしました。
特別、目新しいものはありませんが・・・

https://otchee.com/railroad/muroki201601/muroki201601.html

https://otchee.com/railroad/muroki201601/muroki201601.html

先日の上山田線に続き、また今頃更新?シリーズです(汗)
年明けに探索したやつですが・・・香月線跡の探索を「遺構へ行こう」にUPしました。

https://otchee.com/railroad/katsuki201601/katsuki201601.html

https://otchee.com/railroad/katsuki201601/katsuki201601.html

お久しぶりの更新でございます(滝汗)
昨年末に上山田線跡を廃線パトロールしてきた時の様子を「遺構へ行こう」にUPしました。

https://otchee.com/railroad/kamiyamada201512/kamiyamada201512.html



https://otchee.com/railroad/kamiyamada201512/kamiyamada201512.html

先日、久しぶりにフリータイムが出来たので(正確には買い物を頼まれた)、筑前宮田駅跡の様子を見てきました。

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↑筑前宮田駅旅客ホーム端末部から駅舎方向を見たところ
構内は駐車場として利用されているようです。役所関係の車が多いように見えました。


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↑駅構内跡を分断してる建設中の道路から旅客ホーム全体を望む
ようやくまともな?跡地利用をされているように思います。草ぼうぼうだったり、残土置き場になってたりしてましたもんねぇ。あ、仮設住宅があったこともありましたねぇ。


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↑旅客ホーム前


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↑旅客ホームの一部は爆裂して鉄筋が露出してます。
崩れる落ちそうなコンクリートって、なんでこう魅力的なんでしょう。丸鋼の鉄筋や骨材がたまりません。


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↑ホーム上屋を支えていた古レール製柱の痕跡がいくつか残っています。


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↑貝島炭鉱専用鉄道のコンクリート橋が辛うじて残っています。
すぐ横で道路工事の真っ最中なので、こいつらもどうなるのか分かりません。


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↑駅前を貫通する道路と専用鉄道がクロスしていた所に残っていた橋台が無くなっていました。
↓同じ場所の2013年の写真
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別角度から
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↓その先の線路跡の盛土も一部が削られていました。
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この盛土は八木山川の橋台跡まで続きます。川の向こう側は廃線敷を利用した道路があります。いつかは繋げる計画なんでしょうねぇ・・。

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↑道路建設の計画が素直に廃線敷をトレースするならば、この橋台・橋脚も消える運命になりますな。撮影地点付近が宅地造成されたので遺構が見やすくなりました。初めて行った時は橋脚の向こう側から探索しました。


駅周辺をひと通り見て、次に貝島炭鉱専用鉄道の六坑〜二坑間の掘割跡を見に行きました。すると、驚いたことに完全に埋められていました。前に来た時点で何かの工事が始まっており、駅構内を分断している道路の延伸部分なんだろうと思っていました。造っていたのはテニスコートでした。もしかしたら現在のテニスコートが道路に引っかかるからかなぁ・・と空中写真を見ながら思いました。

↓2015年12月(上段)と2013年(下段)の様子
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↓少し奥からの様子。
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おまけ

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ちょうどこの位置にボタ運搬軌道跡が残っていました。この下が専用鉄道の掘割です。写真は1997年ですが、その後もしばらく残っていたと思います。

はい、いつものように行ってきました!

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今回は少し早めに出て1番列車に乗るつもりでした。来る途中も試運転中のトロッコとすれ違い、これはイケるか!と思いましたが、到着時には既に待ちの列が・・・皆さん早い!


↓早速乗車券を買って列に並びます。乗車券のワードアートの装飾?YAMADAのAが切れとる。惜しい(笑)

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↑今回は協賛金箱が置かれていました。内容は見ての通りで維持に苦労されているようです。線路も決して良い状態ではありませんし、車輌達もボロくなってきているようです。以前聞いた話ではマクラギは熊ヶ畑トンネルから持ってきて(レールが盗難にあったのでマクラギだけ残っている)交換したりしているとのことでした。ちなみに内容のJR油須原線とあるのはJR上山田線のことです。油須原線は漆生線の漆生から上山田線との合流点の嘉穂信号場を経て、上山田線の終点だった上山田から先へ延伸して熊ヶ畑を経て、日田彦山線の豊前川崎、添田線の大任を経て田川線の油須原を結ぶ計画の路線でした。漆生〜上山田〜豊前川崎が先行開業したときの線名は、油須原線として工事したにもかかわらず、漆生線(開業区間/漆生〜下山田)、上山田線(開業区間/上山田〜豊前川崎)でした。そのせいか、真崎や熊ヶ畑で地元の方とお話した際、油須原線という名称が頻繁に出てきました。地元の方にとっては上山田線(※油須原線計画区間のみ)=油須原線なのだと思われます。なので、この表記も言わんとすることは分かります。が、やっぱりJR油須原線ってのは・・・(汗)


↓警報機の柱と思われるものが、ロープのストッパーの役目をしていました。

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↓この柱、実はトロッコ開催の数週間前にここで見かけてました。何に使うんだろう?と少し期待したんですが・・・

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↓軌道モーターカーの次位に連結されている、写真右側のトロッコですが、乗り口の改造工事が施されていました。これは乗りやすい。

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↓私らの乗ったトロッコが出発しました。(※9時台と11時台と2回乗ったので、写真が混ざってます)

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キロポストも健在です。読めんけど。

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すれ違う車に手を振ったり、長閑の風景を楽しみながら、のんびり進んで行きます。

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↓折り返し地点です。

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↓第4山田川橋りょう前後のバラストが流出して貧弱な線路になっているのが見えます。

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↓トロッコ乗降場を通過していきます。

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↓熊ヶ畑の駅接近標は今回はココに置いてました。

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↓なんちゃってトンネルだけど楽しいです。ここで必ずAW-2を吹鳴してくれます。イイ感じに響いてくれます。

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↓熊ヶ畑駅跡側にもたくさんの秋桜が咲いていました。熊ヶ畑駅を列車交換できるように計画していたのか、鉄道用地が広いです。

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↓熊ヶ畑駅跡手前で折り返します。遠くに案山子がいっぱい見えます。中には人間もいる!? 右端をよく見るとお相撲さんがいます。実際、関取が数名来ていました。

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↓乗った後はお子様お待ちかねのプラレール広場へ。今回もお世話になりました!

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現地でお会いしたdml30 (@AkiraDml30)さんと一緒に、子供らがプラレールで作るデタラメ編成を見ながら楽しんでました。
直方気動車区もぶったまげるゴチャ混ぜ編成で攻めてきます(笑)

↓外では様々なイベントが行われていました。その中で私の目を引いたのが、中学生によるバンド演奏。ギターは先生?っぽかったけど。ボーカルの声から分かる緊張具合や演奏の初々しさがイイですね。おっさんバンドマンとしては思わず応援したくなります。

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トロッコとプラレールでしか遊んでないけど今回もしっかり楽しみました。スタッフの皆様、今回もありがとうございました!
帰りに気になるものをチェック。トロッコの車庫の前に転がっている踏切警報機。スタッフの方と話した際、警報機の件も話しました。一式もらったそうで、実際に設置すると面白そうなんだが、基礎も作らなければならないし、ユニックで吊ったりしなければならないし・・・と何かと大変そうな感じでした。

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警報機を撮影して戻ろうとしたとき通過したトロッコには・・・

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かまししちゃん! そんな所でなんしょん?(笑)

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今年も行ってきました。トロッコフェスタinYAMADA。
平成27年4月26日・日曜日、例年通りつつじ祭りと同時開催です。

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10時20分頃着きましたが既に乗車の列が出来ていました。後ろの方に警察の方がいますが、何かあったわけじゃなくて(汗)、各種啓発チラシを挟んだクリアファイルを配っていました。ご苦労さまです。階段下では西鉄の方もティッシュとチラシの入ったビニール手提げを配っていました。ポケットティッシュを持ってきてなかったので助かりました。

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いつものようにかかしの駅長?がお出迎えです。

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おぉ、乗車券のデザインが変わってるぞ。爽やかですなぁ。

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我々の前に並んでいたお客さんを乗せた列車が戻ってきました。

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戻ってきたトロッコに乗車。ホームに立っているおじさんが鐘をカーンカーンと打つと、AW-2のホイッスルが鳴って出発。

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雲ひとつ無い素晴らしい天気でした。気持ちいい!

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架線には注意しましょう(笑)

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これぐらいの音で耳を塞いでるようじゃ、ヘタレって呼んでやるぜぇ!

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この木は今のところ車両限界には引っかかってない様子!? いつか支障が出そうですね。

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折り返し地点に到着。みんな一斉に身体の向きを変えます。

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次の折り返し地点へゴー!

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熊ヶ畑って自然がいっぱいで良いところですよね。

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ホームを通過して、トンネルに見立てた車庫を通り抜け、熊ヶ畑駅跡手前で折り返し。
やっぱり何度乗っても楽しいなぁ。

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トロッコの後はいつものプラレール。今回は下の子だけ。実は上の子は今回はトロッコには行かんと言って欠席。生まれてから毎回連続参加してたけど途絶えました。もう興味は無いかもねぇ。

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ツツジの観賞もお忘れなく。iPhone6のカメラで最大ズームにすると遠くの景色がいい具合に絵画っぽくなるね。

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先日の漆生線跡の探索をupしました。
【遺構へ行こう】漆生線(才田駅跡〜嘉穂信号場跡間)
https://otchee.com/railroad/urushio201503/urushio201503.html

ちょっと大きくしてみました。

【追加更新】
2014年分の探索もUPしました!
【遺構へ行こう】漆生線(才田駅跡〜嘉穂信号場跡間)
https://otchee.com/railroad/urushio201402/urushio201402.html

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↑今回は発見できず。

先日、鉄趣味つながりの方から「今任駅が出来てます!」とツイートが来ました。
え?今任って添田線の今任駅?しばらく理解できませんでした(笑)が、直メのやりとりで詳細がわかりました。
添付された画像には駅名標と駅舎らしき建物が写っていました。おぉ!?なんじゃこれは?
何もなかった駅跡に駅があったことを顕すモノが設置されるのは非常に喜ばしいことだが・・・
しかし、なんで今頃、駅跡に駅名標?何故だ?

この前の日曜日の夕方前に少し時間が作れたので、バイクの充電も兼ねて探索してきました。

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うわ〜、こりゃまんま駅舎じゃないですか。
当時の駅舎のデザインとは違うけど、イイ感じに出来てるんじゃないでしょうか。

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駅名標は触った感じじゃ木製っぽかった。今の字のひとやねの下が「テ」になってるところがイイね!

imato20150201-3.jpg 中は木製のベンチ、傘の付いた裸電球、碍子で張られた電線と、攻めてきます(笑)
これに木製ラッチがあれば十分雰囲気が出ると思うんだけどなぁ。完成したばかりなのか、まだ新築の香りが漂っていました。

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反対側の道路(かつての線路)側から見たところ。廃止直前の駅舎に比べたらかなり立派ですなぁ。

で、なんでコレが作られたのかというと、どうやらこういうことだそうです↓

なるほど。そういうことでしたか。そうなんです、当時の駅舎は少し大任寄りに建っていました。

建物横にブルーシートに隠れているものがありましたが、シートの上から触ってみると、ハンドルのついた昔ながらのポンプらしきものがありました。よく見ると足元には「飲まないで」の注意書きがありました。飲料には適さないんでしょうなぁ。もしや坑内水?

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どうせ作るなら駅舎風にという発想が素晴らしい!廃止されたのが1985年。駅があったことをよくぞ覚えてくれていたもんです。私は添田線は1度しか乗ったことがないので記憶がだんだんアヤシクなってきましたが・・・。

上山田線跡の大隈駅の駅名標といい、この今任駅といい、なんかイイじゃないですか、この流れ。
他の駅跡にも駅名標建てましょうよ!(笑)

2014年のまとめ(鉄編)

Category:廃線・未成線 コメント(10)

2014年もどうにかこうにか鉄分を補給しながら生きてこれました(笑)
撮って出しの簡単さからtwitterが多くなってますが、上げてなかったやつを振り返ってみた。
被っとるのもあるかもしれません。

■12月
宮田線跡勝野〜磯光間に残っているガーダー橋の生存確認。

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貝島の専用線跡の見物。写真右の工事は筑前宮田駅跡を横断してる県道工事の一環らしい。

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■11月
上山田線跡廃線パトロール。真崎駅跡のレール製パーゴラと軌道自転車が移設されていた。

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■10月
例年通り10月は1年で一番鉄分補給ができました。
生まれて初めて転車台体験。ただ回るだけなのに面白かった(笑)

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出張の際、通り道にあった余部鉄橋を見学。

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■9月
初心を思い出し(笑)、呼子へイカを食べに行くと言って呼子線跡を見物。

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■8月
夏休みで暇してる子供たちと電車に乗って遊びに行った。しかし、娘はSUGOCAに不満があるようで(笑)

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■7月
なぜか筑豊電鉄に乗って呑みに行くことが多かった。

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■6月
明治時代の鉄道敷設関係のデジタル資料を収集するも、
何もかもが中途半端な調査と多数の画像編集に時間がかかりすぎて放置状態に・・

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■5月
宮田線筑前宮田駅跡を横断する道路にガンを飛ばす(笑)

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■4月
宮田線跡勝野〜磯光間に残っているガーダー橋そばで工事が始まりドキドキする。

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■3月
上山田線跡嘉穂信号場〜下山田間にある日吉峠で、道路下の線路跡がドンドン埋められていくのを見てオワタと思う。

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■2月
漆生線跡嘉穂信号場→才田間の探索。この編集をスッカリ忘れてしまい今に至る(汗)

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■1月
KIGSであった大蔵線の展示を見に行く。持参の地図と見比べる。ほぼ一致。

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2015年もこんな調子だと思いますが、どうぞよろしく。

前記事の続き。
JR枕崎駅を見物したあと、旧枕崎駅跡にあるスーパーへ酒の買い出し行く予定でした。ここに駅舎があったんだなぁ・・とスーパーを眺めながら思い、ついでだから駅跡の端まで歩いてみました。だんだんと窄んでくる駐車場の敷地にまさに駅跡!と実感。さらに歩いて行くと目の前に踏切跡が!事前に下調べをしてないからもう大興奮です(笑)

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上の写真は旧枕崎駅跡のスーパー側から加世田方向を見たところ。
下の写真は旧枕崎駅跡を見たところ。

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加世田側には古レールを使った柵や警報機器類の基礎が残っていました。

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たまたま通りかかったおばちゃんに当時のことを聞こうと話しかけたんですが・・・
横断歩道の奥にある縁石に自転車がよくぶつかる事故の話を聞かされ、何とかしてほしいんですが、と。
こんな所で写真を撮っているのが珍しく、役所の人間にでも見えたんでしょうか?(汗)
いや、そんな話を聞きたかったんじゃないんだけどなぁ(汗) 人選をミスりました。

日没まで時間がないので、先を急ぎます。
踏切跡から先は駐車場になっていて、その横の道路を進んでいきます。

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線路跡は駐車場から住宅に変わり、少し登り勾配になった道路を進みます。しばらく歩いていると前方に遠くの景色が見え、この先が下りになっているのが分かりました。あれ?こんなアップダウンな線路だったんだろうか? そう疑問に思いながら交差点に出てきました。横を見ると、なぜか親柱と高欄。は?橋? しかし、前後には家が建っているし・・。

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ここで、気が付きました。線路はこの橋の下を通っていたのか!てことは、歩いてきた道路の横は掘割になっていて、今は埋められて宅地になっていたのか。一人納得してニヤリしておりました(笑) 加世田側の親柱には「鹿児島交通線」の銘板があり、さらにニヤリ。

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実にトマソン的な橋だ。

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埋められた線路跡を辿ってさらに先へ進みます。埋められた部分の先に元々のレベルにある線路跡らしきものが見えました。写真中央の木製電柱(これも鉄道遺構でしょうか?)のあたり。ヤブ漕ぎするつもりはないので(笑)、iPhoneでグーグルマップの地図(空中写真は超低解像度だったが何となく線が見えてくる)を見ながら線路跡を確認し、少し迂回して辿っていきます。

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再び線路跡へ近づいた所で「鉄道横断接近柱」のプレートが残る電柱がありました。踏切があったんでしょうかね。
このそばに用地杭があったんですが、どこのものか判別不能でした。残念。

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ココらへんで既に日没しており暗くなってきたので折り返すことに。(写真は明るめに補正してます)
今度は来た時の反対側の住宅地を通ります。住宅が立ち並ぶその隙間に何か古いコンクリートの構造物を発見。削られている箇所に露出している骨材もなんか古い感じ。もしやこれは鉄道遺構では?

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幅があるので、少し盛土した上を通っていたんでしょうか。
短い時間でしたが廃線探索を堪能できました。見れればラッキー程度に思っていたので、かなり満足でした。
他にも結構残ってる所があるようですね。いつかまた来たいですなぁ。

で、探索後、スーパーで酒を買い、ちょうどJR枕崎駅に列車が着く頃だったので、駅で呑みながら列車が来るのを待ちました。夜の終着駅って何かいいよね。列車到着。降車客は数名でした。なんとも・・。ビール2缶空けた頃に折り返しの列車が出発。乗ったのは数名の高校生のみ。

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この日は仕事の適度な疲れと偶然の廃線探索で美味しい酒が呑めました。で、途中で呑み足りなくなって、3回もスーパーに買い出しに行ったのは秘密だぞ。いっぺんで買っとけって話(笑)

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旧駅舎前にある枕崎駅前のバス停。鹿児島中央駅まで行く特急バスがあるんだな。所要時間は1時間半ほど。
指宿枕崎線は2時間半ほど。う〜む、普通はバスだわなぁ。

ちょっと前に仕事で枕崎に行ってきました。指宿までは行ったことがあるけど、枕崎に行くのは初めて。枕崎といえば、指宿枕崎線の終着駅。そして、鹿児島本線伊集院駅から~枕崎駅間を結んでいた鹿児島交通枕崎線の廃線がある地。メインは仕事なんで、廃線は見れればラッキー!程度と考えていました。
で、仕事を終え、宿を出て市街地をブラブラしていると、なんじゃこりゃ的なものに遭遇。

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サザンヒルズという施設の1階部分に南薩線のポケットパークがありました。
柱を木製ベンチで囲み、様々な鉄道用品が展示されていました。
床は全駅名を記したプレートが埋め込まれていたり、線路を模したデザインになっています。

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パネルにも写真で鉄道用品が説明してあったり、往年の車輌達が写真で紹介されています。

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ベンチに使われている木材は枕崎駅舎で使われていた部材を再利用しているそうです。
床の枕木も実際に使用されていたものだそうです。

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盗難とか大丈夫かな?と思ったら、ちゃんと警備会社に守られていました。安心!

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帰ってきてググってみたら、2008年頃に設置されてたようです。

この後、JRの枕崎駅を見物してきました。ちょっと前までは駅舎が無いなんとも寂しい駅と聞いていましたが・・・

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立派な駅舎が出来とりました。

恒例の上山田線跡を走るトロッコに乗ってきました。(多忙でUPするのが遅くなりました。)
今回は直方で開催された「福北ゆたか線フェスタ2014 in 直方」と被ってしまい、午前中に直方へ行ったためトロッコ会場へは終了30分前ぐらいに到着。なんとか間に合ってホッとしました。

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切符を買おうとするとスタッフのおじさんが「今日は遅いねぇ!」と。もう毎年来てるのでもう顔馴染みです(笑)

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皆さん注意事項を守ってますか? 私はちょっと立ったり座ったり・・・スミマセン(汗)

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少し待って14時30分過ぎの列車に乗れました。待っていると数列前に「遺構へ行こう」シリーズで度々登場している「藪将軍」こと倫堕さんがいらっしゃいました。そして、同じ便に乗車しました。なんという偶然。

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おや?「架線注意」のプレートが付いていますぞ! 後ろの車両にも。こういった小ネタが楽しみなんですよ(笑)

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そして、協賛企業の名前もトロッコに貼られていました。
このような皆様のお陰で、我々が楽しませてもらってるんですよね。有難いことです。

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いつもの所で折り返して来た線路を戻ります。

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乗り場は階段下まで行列が出来ていました。トロッコ大人気ですね!

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運行日だけはトンネルになる車庫を通りぬけ、熊ヶ畑駅跡手前で折り返します。両側の秋桜が綺麗でした。
ここ数年は、第2山田川橋りょう跡から熊ヶ畑側の線路跡に秋桜が咲いてませんね。
詳しく知らないんですが、秋桜って、どなたかが植えてるんでしょうか?

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再びトンネルを抜けて・・・

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到着です。
毎回乗ってますが飽きませんねぇ。秋を感じながら走るトロッコは最高に楽しいです。
スタッフの皆様、いつも遊ばせていただき、ありがとうございます。

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そして、トロッコに乗ったあとは、子供たちお待ちかねのプラレール!

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しかし、時間が時間だったので15分ぐらい遊んで、最後まで遊んだみんなでお片付け。
ん、昨年も一緒に片付けたような?(笑) プラレール担当の皆様、いつもありがとうございます。

私らのあとに乗った嫁さんと娘の便では、大人用の切符が足りなくなって、子供用に「大」と書かれた切符が使われていました。足りなくなるほど来場者があったん?とビックリ。

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次回もまた行きますよ!

ここんところバイクに乗ってなかったので、バッテリー充電を兼ねて廃線パトロールに行ってきました。
てれっ〜と上山田線跡の道路を気持ちよく走行。
大隈駅跡の公園横に差し掛かり、入口の腕木式信号を横目に確認した瞬間、とんでもないものが目に入ってきました。
なんと駅名標が新設されていました。

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素晴らしい!
駅名標があるだけで雰囲気がぜんぜん違いますね。駅跡らしくなりました。
いつ設置されたんでしょうか?先月通った時には無かったように思いますが・・・。

反対側(駅舎があった側)の公園内にまわってみると、こちら側にも設置されていました。
ちゃんと見てる方向に合っていますね。

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廃止が1988年ですから、10代、20代の方は、ここにJRの駅があったことは当然知らないでしょうし、30代でギリギリでしょうか。一目見て、駅と分かる物が増え、これまで見向きもしてなかった層に対して「何で駅のアレがあるん?」「ここ駅やったん?」と思わせるだけでも十分意味があるんじゃないでしょうか。

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非常に目につきやすい場所にあるので、落書きやイタズラが心配やなぁ。
どういう経緯で設置されたんでしょうか? 詳しく知っている方いらっしゃいましたら教えて頂けませんでしょうか?

今年は午前中に法事があり、昼過ぎまで動けなかったので、現地に到着したのは14時30分過ぎでした。
いつもなら朝10時頃には着いているんですが、終了間際に現地到着ってのは初めてでした。
そのせいか人が少なかったですね。トロッコにも見送りなしで乗れました。短い時間でしたが楽しんできましたよ。
今回、下の子と甥の3人で参戦。娘は初の不参加。トロッコはどうでもよい感じになってきたのでしょうか...orz

来る途中、上山田駅跡付近ですれ違った嘉麻市バスに、この前、久しぶりに漆生線探索をご一緒した倫堕さんが乗車されていました。ちなみにその後、少し嘉穂信号場〜才田間を歩かれたようで...恐れいります! そして、現地到着時にさっかーさんがお子様といらっしゃるのを発見。一緒のトロッコに乗ることができました。

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青信号で出発です。

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何度乗っても楽しいなぁ!

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次々と装備を増していった元保線車両。今回も少し頼りなさげな?(いや、それがいい。笑)AW-2を吹鳴していました。

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唸りを上げるエンジン周り。

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前日の予報では午後から雨だったので心配しましたが「晴れ→曇」でなんとか持ってくれました。

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この車庫兼用トンネル、下の子はビビってずっとしゃがんだままでした(笑) 大丈夫。立たん限りぶつからんけ。

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トロッコを乗り終えた後は、子供たちのお楽しみ「プラレール広場」へ。しかし、今回は到着時間が遅かったせいで、あっという間に15時の終了時刻に。最後まで遊んでいたお友達(小さいお友達も大きいお友達も・笑)一緒になって後片付けをしました。外ではトロッコがまだ走っていましたが、テントの分解も始まっていました。最後まで居たのは初めてかも。

現地に行かれた皆様、運営スタッフの皆様、大変お疲れ様でした! 秋もまた楽しみです!

4月のトロッコフェスタ

Category:廃線・未成線 コメント(2)

上山田線跡を走るトロッコが今年の春も開催されるそうです。
いつもお世話になっているミジンコさんから連絡がありました。

  • 日時 2014年4月27日(日)10時から15時
  • 場所 福岡県嘉麻市熊ヶ畑活性化センター
  • 内容 トロッコ列車運転 地元特産品販売 各種飲食物出店 もちまき プラレール鉄道模型運転

うちは急遽午前中〜正午過ぎまで用事が入ったので、午後の遅い時間に行くつもりです。

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写真は昨年の様子。

幸袋線目尾駅跡付近

Category:廃線・未成線 コメント(4)

1月2日に宗像大社へ行く途中に目撃してしまいました。
目尾駅跡付近の発掘現場入口よりも小竹側が草刈りされていて、幸袋線跡のレールがバッチリ見えている!
今すぐ見たい気持ちを抑えてその日は終了。次の日、買い物に出たついでにちょっと足を延ばしてサクッと見てきました。

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これはスゴい。この状態を見るのはかなり久しぶりです。

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枕木の柵も辛うじて残っています。何年も前に柵がある所まで探索したことがあるんですが、その時はレール部分は藪状態でした。その時は、道路側からアプローチしたと記憶してます。

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よく残ってたもんだ。廃止されたの1969年、約45年前ですよ。
柵自体はそれ以前からのものでしょうから、50年?60年もの?

↓少し小竹側へ進むとちょっと色褪せたJRの杭(矢印は角向き)がありました。

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↓道路側にも同じようにJRの杭がありました。これより目尾側には杭は無いので、ここまでがJRの用地なんでしょうか?

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↓もう少し進むとまたJRの杭がありました。ここの矢印は外側の面を向いています。この辺はバラストが多く残っていました。

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草刈りはここまで、レールはこの先にもあるはずなんだが・・・。今後さらに草刈りされることを期待します(笑)

↓今まで気が付きませんでしたが、レールは一部で分断されている箇所がありました。

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↓目尾側を見たところ。山側には何かの建物跡がありました。基礎の上に煉瓦積みの跡があり少しワクワクでした(笑)

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写真中央に小さく写ってるのは、逆さまに置かれた壺?甕? これだけは不思議アイテムでした。何だろう。

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本年も更新頻度はそう多くないと思いますが、適当&現状維持で運営してまいります。

この撮影に行った時(2013/12/30)の画像を上げときます。

↓封鎖されていたんですが、いつの間にかドアが撤去されて自由に入れる状態になっていました。

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↓遠くに熊ヶ畑からの光が見えています。この光、歩いても歩いてもなかなか近づかないんですよ(笑)

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↓熊ヶ畑駅付近の踏切跡からトンネル方向を見たところ。草刈りされてていい具合にレールが見えています。

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↓同じ踏切跡の熊ヶ畑側。ケーブル埋設の看板がまだ残っています。

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↓第2山田川橋りょうの熊ヶ畑側に残るレール。横の道路からもよく見えます。

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↓第2山田川橋りょうも大きな変化も無く残っています。

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今年もこんな感じにプチ探索的な内容が多いと思いますが、よろしくお付き合いください。

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9月に行った、勝田線跡のうちの「篠栗線柚須駅〜志免駅跡」の探索ウォーキングを「遺構へ行こう」にUPしました。

●勝田線跡(2013.9.22)
https://otchee.com/railroad/katsuta20130922/katsuta20130922.html

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先日行った香椎線貨物支線跡を「遺構へ行こう」にUPしました。

●香椎線貨物支線跡(2013.11.2)
https://otchee.com/railroad/kashii201311/kashii201311.html

今年も行ってきました「トロッコフェスタinYAMADA」
朝の子供タイム(キョウリュウジャー→プリキュア)が終わってから出発したので、10時過ぎに到着しました。まだ始まったばかりなので1回待ちで乗れました。切符売り場には今回も私のサイト「遺構へ行こう」からプリントアウトされたファイルが置かれていました。いつも有難うございます。

トロッコ乗り場前のテントにはスゴいものがぶら下がってました。

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尋ねてみると本物をコピーしたものとのこと。開業当時に使われたものが残っていたとは驚きです。しかも「祝・油須原線開通」ですよ。かなり前に真崎駅跡で話を聞かせてもらった地元の方は、この線のことを「油須原線」って言ってたのを思い出しました。本来、油須原線として計画されていたんですよね。こんな隠し球で来るとは思いませんでした(笑)

前回、破損していた手前の一灯式信号も位置を変えて復活。嘉穂信号場手前の残っていたものを移設再利用している三灯式信号機と連動していました。

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こちらに向かってくるときは赤になっていますが、向こうへ出発する時は青になります。

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順番がまわってきたので早速乗り込みます。
これが廃線ですよ。皆さん。信じられますか?1日に数本しか走らない現役の線路のように見ます(笑)
まぁ現役時もその程度でしたけど・・・

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いつものように手が届きそうな樹の下を通り・・・

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いつもの所で折り返します。

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カーブがあるから楽しさがプラスされますよね。直線オンリーだと面白さ半減だったかも。

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結構なスピードでホームを通過します。

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今日のトロッコは少しスピードが速かったように思うんですが、気のせいでしょうか?マクラギ交換等で線路の状態が良くなったんでしょうか?揺れも前ほど酷くないような気がしましたが。牽引車のエンジン整備(簡単に修理できるものじゃないらしい・・)を行ったからでしょうか?

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トンネル(格納庫)を抜けるとコスモスがたくさん咲いてて綺麗でした。

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熊ヶ畑駅跡付近のコンクリート橋手前でストップ。コスモスと案山子を見ながら折り返します。再びトンネルを抜けて終点です。

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10時台はまだこの程度の待ちでしたが、11時台からは階段下まで行列が出来ていたようです。
10時前から動かしているようなので、来れるなら早めに来たほうがいいかと思います。

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今年もしっかり堪能させてもらいました。スタッフの皆様、今回も有難うございました。
また、現地でお会いした、がんさん、bluefieldさん、トライスターさん、さっかーさん、倫堕さん、お疲れ様でした。
機会があれば熊ヶ畑トンネルへ再突入したいものです(笑)

ここまで編集して写真のwidth間違えたのに気づいた・・・。全体的に横に広げたんだった。
orzもう寝るばい。

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朝晩がひんやりしだしたこの頃、秋本番って感じになってきましたねぇ。そしてトロッコの季節がやって来ました!
今年も例年通り、月末の10月27日(日曜日)に開催されるそうです。時間と内容はいつも通り?かな?

日曜日に様子を見に行ったら、たまたまスタッフの方がトロッコを出して、線路内の草取りを行なっていました。

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トロッコの格納庫のシャッターは開いてるし、トロッコは第4山田川橋りょう上に停まってるし、試運転でもしてるのかと思いました。

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長々とお話させて頂いたスタッフの方、ありがとうございました。
この現役ローカル路線と見間違うほどに綺麗にされた線路は、地元の方の努力のおかげですね。
今年も必ず行きますよ!楽しくトロッコに乗れることを感謝します。

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先月行った高千穂線未成線跡「遺構へ行こう」にUPしました。

●高千穂線未成線跡(2013.8.12)
https://otchee.com/railroad/takachiho_n_0812/takachiho_n_0812.html

高千穂駅跡

Category:廃線・未成線 コメント(2)

先日の高千穂ソロツーシリーズの続き。
本当は18日にUP予定でしたが、子供寝かしたらそのまま寝る日が続き、20日なりました(汗)

高千穂橋梁を黄色いスーパーカートで往復した後、高千穂駅跡に来ました。
前に来たときは平日で運悪く定休日だったためフェンスの外から覗くという残念な探索になってしまいましたが、今回は自前にHPで確認したしバッチリです。

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↓出入口の上にはこんな看板があります。

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本来ならこの駅から軽トラ改造トロッコに乗って高千穂橋梁まで往復できたはずなんだが・・・。
故障とならば仕方がないですね。その代わり軽トラ改造トロッコよりもスリリングなトロッコに乗れましたからよしとします。駅構内に入るにも環境整備費として100円徴収されるようですが、この日は無料で入れました。

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現役時代は未踏の駅だったので中に入るのは初めてです。
運賃表や時刻表や券売機など廃止当時のまま残されていました。

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早速、ホームへ出てみます。駅舎を出ると目の前には本来乗れるはずだった軽トラ改造カートが留置されていました。
天岩戸でお話したスタッフさんが言ってたように、点検蓋が開けられててエンジン調整中のようでした。

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高千穂駅のイメージは昭和50〜60年代に鉄道雑誌等で見た国鉄時代のイメージしかないんですよね。確か片面1線のみの棒線駅でしたよね。その後、JRから高千穂鉄道になってから車庫や側線が出来たとか。

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延岡からちょうど50kmなんですねぇ。

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ホームを歩き、ふと側線に目をやると・・・ト、トーマス!?いや「たちからくん」だそうです。
この記事を打ち込んでいた時、下の子がやってきて「何でトーマスおるん?」と大興奮でした(笑)

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構内はホームだけじゃなく、線路に降りたり、車庫見学も出来るようです。さらにはヘルメットを被って車両下の見学も出来るようです。スタッフは駅の中に女の子2人が居ただけで、外の構内には誰も居ないんだが大丈夫なん!?って思いましたが・・・。

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暑いので、車両下はパスして車庫内の詰所を見学します。中には素敵なものが色々と展示されてました。

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↓運転体験用の車両も無人で大開放中でした。気動車独特の匂いが懐かしくて心地良い。

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↓気動車の中から高千穂駅構内を見たところ。目の前の分岐器は奥の分岐器と連動しています。鉄管装置がたまらん!

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↓車庫内には2両の気動車が保管されています。車庫の前には蒸気機関車の安全弁の形をした「無事故塔」がありました。

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車庫の裏、構内の末端部分にも屋根付きの車庫があります。かつて高森を目指して造られていた切取部です。ダルマポイントは生きているようですが、鉄棒でロックがかかっています。

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車庫の中には、なんか格好いい軌道自転車?が留置してありました。
本来はこれも構内で乗れるようですが、この日はお休みでした。

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車輪カバーにあったロゴを見てみると・・・ん?これって嘉穂製作所やん!まさか高千穂で嘉穂(kaho)の文字が見られるとは!スロープカーだけじゃないんですね。びっくりしました。余計に格好良く見えてきました。いつか乗りたいなぁ。

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車庫の先は車止めがあって行き止まり。目の前には国道や高千穂町総合公園が見えています。

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ひとしきり構内を散策した後、車止めの先に続く夢の跡を辿っていきます。

絶景の高千穂橋梁

Category:廃線・未成線 コメント(5)

12日は嫁さまから許可で出たので、高千穂までソロツーしてきました。
目的は先月より高千穂線跡を走行している絶景カート。本当は家族で行くつもりだったんですが、ちょっと距離あるし、下見と未成線探索を兼ねて行ってきました。

とにかく眺めが素晴らしい!東洋一の鉄橋と呼ばれただけはある。
思わず2回乗ってしまいました。時間的余裕があればまだ乗っていたかも・・。

この日は軽トラ改造の「天空号」「雲海号」が車両メンテナンス中だったため、急遽、上の写真の黄­色いスーパーカート「しあわせ号」による、天岩戸〜高千穂橋梁間の往復運行となったよ­うです。通常ならば、高千穂駅からこの橋梁まで往復するそうです。高千穂〜天岩戸間が体験できなかったのは残念だけど、イレギュラーな車両で高千穂橋梁を往復できたのはラッキーだった。

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こっちの車両の方がスリルがありますね。
スタッフの方によると、軽トラ改造車の方は結構エンジンや車軸に負荷がかかるらしく壊れるのが心配なので代替車がほしいそう。高千穂駅に整備中の車両が置いてありましたが、よくここまで改造してるなぁと感心しました。

さて、天岩戸駅跡ですが、普段は柵等で封鎖されており入れないようになっています。
どこから駅に入るのかというと・・・

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なんとホームの下をくぐって線路上に抜けます。

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ホームからカートの乗車するわけではないので、線路上にいても問題ないのです。

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お客さんは宮崎県内外から来られてるようで、私の前にも福岡から来られたライダーが乗りに来たそうです。私が現地にいる間は、お客さんの積み残しはありませんでしたが、途切れることはありませんでした。

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たまたまメインのカートの故障日に重なってしまったけど、今度は高千穂駅から乗りたいね。

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夏休み中にもう一回行けるかな・・・う〜ん、わからんなぁ・・・(汗)

先日UPした「宮田線・筑前宮田駅跡で」の翌日にまた探索してきました。
筑前宮田駅構内から残っている貝島炭鉱専用鉄道跡の確認です。
六坑に向かって構内を飛び出してすぐのところに橋台跡が1基残っています。

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↓橋台から筑前宮田駅構内方向を見たところ。合成が変でスマソ・・

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↓ちょっと引いて見たところ。左の盛土が六坑へ続く線路跡。右に橋台。

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ここから八木山川橋梁跡まで線路跡が続きます。途中にある避溢橋?の橋脚もありました。
↓八木山川の右岸の橋台から筑前宮田側方向を見たところ。砂利道が線路跡。

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↓同じ場所から六坑側を見たところ。橋台跡が残っています。

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ここにはトラス橋が架かっていたようです。「貝島 トラス」でgoogle画像検索すると一発で出てきますよ。
↓上流側から全体を見たところ。

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ココから先は県道をオーバークロスしていた所の先まで道路になっています。
前は橋台・橋脚が残っていた犬鳴川の橋梁跡が道路橋になって久しいです。

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↓2001年はこんな感じでした。ちょうど工事が始まった頃だったかな。

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その先にも2スパンのコンクリート橋がありましたが、ここも道路橋になっています。
その橋銘板のひとつに道路名がありました。「勝野長井鶴線」

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ん?筑前宮田駅構内をぶっちぎる道路工事の看板にも「勝野長井鶴線」ってあったぞ。

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ということは、八木山川を渡って筑前宮田駅へ続く線路跡も道路になってしまうかもしれんってことですか!?これは今後の動きをチェックせねばなりませんな。

廃線とひまわり@熊ヶ畑

Category:廃線・未成線 コメント(2)

嘉麻市(旧山田市)熊ヶ畑で、ひまわり畑が開放されているとのことなので、嫁と下の子連れて行ってきました。
娘は嫁の実家で遊ばせてもらってるので欠席。たまには3人もよかろう。
熊ヶ畑でやっているという情報(熊ヶ畑と言っても駅跡のことではなく地名)のみで詳細な場所は分からなかったので、とりあえず、いつもトロッコをやっている上山田線跡方面へ進みました。案内看板があったおかげでラクに行けました。なんと現場は熊ヶ畑トンネル跡のすぐ横でした。

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かなり広範囲にひまわりが植えられています。
結構、山側の奥の方まで散策でき、熊ヶ畑トンネルの坑口やレールのそばまで近づけました。

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レールや枕木、サイフォンも残っています。左が熊ヶ畑駅跡方向、右が熊ヶ畑トンネル・真崎駅跡方向。

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ひと通り見終えて、嫁さまが物販テントでおやつを買っている間に、線路跡がよく見える踏切跡へ。
周辺の畑へのイノシシ被害防止のため鉄柵が設置されているので、なんだか物々しい雰囲気です。
ケーブル埋設看板がまだ残っていました。奥にはひまわり畑が広がります。

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この季節はトンネルまで歩こうとは思いませんねぇ(笑)

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今年の夏はどうなってんの?ものすごく暑いんやけど・・・。
太陽が雲に隠れるとホッとします。ん、HOTします?

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↑清藤踏切跡(起点より17K850m)に残る踏切照明灯
現地は臨時の駐車場があるので、気軽に行けますよ。休耕地を駐車場にしてるんでグワングワン揺れますが(汗)
上山田線跡の下を抜ける小川があるんですが、水がものすごく澄んでて綺麗なのが印象的でした。

宮田線・筑前宮田駅跡で

Category:廃線・未成線 コメント(5)

今日から盆休み。午前中は定期健診で病院行って、昼イチから嫁さまを整体屋まで送る。終わるまでの間、少しフリーな時間ができたんでブラっとして来ました。前回に引き続き、宮田線跡の道路化工事・ガーダー橋のチェックに行きました。しかし、今日も作業中で、しかも勝野方向から旧長崎街道の道路を進むと、十字路になる部分の工事をしており、普通車でもキツキツな超絶狭隘道路へ迂回させられました(汗) しょうがないので、そのまま宮田線をトレースすることにしました。

距離が短いのであっという間に筑前宮田駅跡に到着です。車を降りる前にTwitterのTLを見ると、なんと30分程前にdml30さんもココに来ていたようだ。おしいっ!その画像にはホームの前に土砂の山が!?なんじゃこりゃ?早速降りて確かめに行きました。

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んん〜?なんじゃこれ?ホーム跡を歩いて近くへ行ってみると・・・

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ありゃりゃ!道路作りよるやん!しかも構内を横断する形で。さらには貨物ホームまで無くなっている。

↓ちなみに2009年12月の同位置。

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↓かつての貨物ホームから貝島炭鉱専用鉄道跡(六坑方向)を見たところ。

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専用鉄道の跡はなんとか残っています。かつて六坑があった付近から犬鳴川を渡って八木山川へぶつかる所までは完全に道路化されているので、もしかしたら、この筑前宮田駅構内を横断する道路に繋げるつもりなのでは!?と思ってしまいました・・・。写真に写っている築堤から八木山川までの間にはコンクリート製の短い橋梁跡が残っているはずです。まだあるかなぁ・・・。

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↑こちらは石炭積込施設があった側。見た感じ、向こう側の海洋センターの方に貫通させるようです。
石炭記念館の方向から真っ直ぐ繋がるようになるのかな?ネットの地図を見ると、かつての菅牟田貨物支線の方へ進み、新しく出来た野球場の横を通り、小竹町方面へ続く道路が歯抜け状態で作られています。これらと直結するのかな・・・。


↓こうやってちょっと視線をズラすと前のまんまなんよねぇ。旅客ホーム跡はバッチリ残ってます。

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↓かつての踏切の向こう側に続く廃線敷も変わらずです。

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まさかまさかの筑前宮田駅構内跡道路化でした。今日は時間が無かったので貝島炭鉱専用鉄道跡まで廻れませんでしたが、今後の遺構の動きが気になりますので、近々また行きたいと思います。

宮田線跡(勝野駅付近)

Category:廃線・未成線 コメント(3)

宮田線跡の道路化工事がどんどん進んでいます。
筑豊本線勝野駅の南側にある踏切を渡った所から宮田線北口踏切跡(起点より0K411m)までは、完全に道路化しており通行できます。下の写真は、右側の民家に沿った道路(歩道)が旧道で、センターラインのある新しい道路が線路跡です。左側には筑豊本線が見えます。宮田線は磯光に向かって西(写真右)にカーブしていました。

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北口踏切跡から先も道路化工事の真っ最中でした。
ここが開通すれば、旧長崎街道の細い道路を通らなくても済むようになります。

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ちなみに10年前、2003年1月の写真がこちら↓

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確か、上の写真を撮影したすぐあとに、廃線敷を再利用して一時的に通学路が作られました。

土曜日でしたが現場は作業中でしたので、じっくり見学するわけにもいかず、迂回してガーダー橋の方を見てみます。前に電車の車窓から工事の様子を見たときは、盛土の下の方まで作業されてたので、小さなレンガ積みの水路も埋められたかもしれませんね・・・。工事中の道路は磯光方向からの既設道路と旧長崎街道の道路とで十字路接続するようになっているので、ガーダー橋から先の線路跡は辛うじて遺りました。

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ん?いや、ちょっと待ってん。よく見るとレンガ橋台の角が削られてませんか!?

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まさか水路の間知ブロックまでやりかえるとは思わんかった・・・。ギリギリ影響があったんですな。う〜ん残念。

↓2003年の姿はこちら。

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今後もチェックしに行きますね。

先日、ふと「高森トンネル」に行きたいなぁ・・・と思ったので、家族巻き添え(汗)で行ってみた。
私は2011年4月以来、嫁さまは、たぶん約10年ぶり!? 子供たちは初めてです。前日に子供たちにリサーチしたところ、姉ちゃんは、何かよーわからんけど行こうかな・・・的な回答。坊ちゃんは、行く行くと行く気十分(笑) よしこれなら大丈夫だ。ってことで、いつもなら下道タラタラで行くところ、高速でビューンと行って来ました。

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晴れたり土砂降りになったりと非常に不安定な天候だったけど、ついた時には見事に晴れ上がりました。トンネル近くになったら、車が非常に多く渋滞してるのが見えました。日曜日だから多いのか? 高森トンネルは大人気なんやなぁと思っていたところで、ハッと気づく。
今日は七夕やないか!?

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高森トンネルといえば年がら年中、七夕飾りがあったような・・・。そうか、七夕まつりをやってるのか! う〜、しかも当日やん。そりゃ車多いわ。ってな感じで、七夕と気づかずに思いつきで来たら、七夕まつりだったという、お間抜けさんは私です(汗)

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それにしても人の多いこと。私が初めて行ったのは1999年1月、まだマイナーなスポットで、一般観光客よりも廃鉄な人の方が多かったんじゃない?(個人的見解・笑)な頃でした。当時はまさかここまでメジャー観光スポットに化けるとは思いませんでしたね。ほんの少しだけでもいいので、未成線・高千穂線の歴史を知ってもらえれば嬉しいですね。

↓ビビリな娘が先頭を歩いてます。思ってたよりも怖くなかったんやろか?
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通路の先まで人人人。結構流れてたので立ち止まることは無かったです。

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さすがに末端部分はウォーターパールを見る人、ハリボテの岩から流れ出る水を飲むのに並んでる人で溢れかえってた。子供たちにウォーターパールを見せた後、そのまま折り返しました。

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↓途中の大きなマンホール(横穴)にある通気口(竪坑)。吹き抜ける生ぬるい風が気持ち悪い(笑)

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いくつもぶら下がってる七夕飾り。

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子供のたちの目にはどう映ってるんやろう。

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↓(サイトの)仕事仕事と言って撮った場所が、偶然にも前回と全く同じ場所でした。

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もうすぐ出口だ。頑張れ子供たち。若干飽きてきてるのはお見通しだぞ(笑)

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坑口を出た瞬間、暑ぅ・・・。もう夏ばい。

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写真の手前から出てる噴水で・・・

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やっぱり遊ぶわけね。びしょ濡れになったのは言うまでも無い。

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今度はもう少し人が少ない時に来ようかな。

コレはホーム跡ですか?

Category:廃線・未成線 コメント(2)

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タケ@ALL-Aさんが、名島にあった発電所への引込線跡を上げてたので、私も久しぶりに通ってみました。この線路跡道路に「引き込み線通り」と付いているなんて知りませんでしたよ。しかも立派な通り名標識が作られています。素敵すぎます。

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そのついでと言っちゃなんですが、名島付近の鹿児島本線から南東へ分岐していた引込線跡へ寄り道して帰ることにしました。国土変遷アーカイブの写真からその存在を知ったのがこの引込線。あまり詳しい資料を見つけれないまま放置してます(汗) 戦時中、陸軍の貯蔵倉庫があったそうです。福間駅からの引込線や南小倉駅や下曽根駅からの引込線と同じ類いのやつなんでしょうねぇ。これらってなかなか詳細な資料って無いですよね(それとも私が知らんだけ!?)。軍事上、あまり公にしたくなかったのもあるんじゃないでしょうか。

国土変遷アーカイブの利用の際 「利用者が、本サービスのデータを電子記録媒体に取得する行為、データを加工する行為及びアプリケーションソフト等を利用して著作物を作成する行為を禁じます。」とあるので、画像に手を加えたい気持ちはヤマヤマなんですが、ここでは画像直リンで見て下さい。新しいシステムになってから、前と同じ写真でも解像度が落ちてるので(写真を買えってことか・・)、前のシステムの画像をリンクさせてます。

●米軍空中写真(1949) ※現在の千早〜香椎付近
http://archive.gsi.go.jp/airphoto/ViewPhotoServlet?workname=USAwide&courseno=R542&photono=36

鹿児島本線から南東へカーブしてる所があるのが確認出来ましたでしょうか?
米軍写真を見ると、現在の福岡市東区若宮・舞松原あたりに倉庫やそれらの跡っぽいのが見えます。線路跡は結構長く続いているようにも見えます。下の写真はそのカーブ部分の道路を鹿児島本線側から見たところ。

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そこから、博多バイパスで分断されてるため、ちょっと迂回して線路跡の道路を進んでみると、ローソンを過ぎたあたりの歩道脇にこんなものがありました。

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これって、なんかホームに見えるんやけど・・・
鉄分が人より多いからそう見えるんやか?

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この面取具合。ホームに見えません!?
実際どうなんでしょう? 寸法的に。ちなみに比較対象の寸法として、フェンスの柱の径は50.8mmだと思われます。

端っこまで歩いてみるとブツッと切れてました。

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フェンスの隙間から背面を見てみると、なんかウネウネしてて、あとから削りました感を感じました。

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場所は以下の地図参照。 ここはグーグルストリートビューでも見れます。
但し、フェンスがブロック積みで、さらにホーム跡らしきモノも古さが滲み出てます。

場所的にも線路跡で間違いなさそうだし、ホーム跡であると信じたい・・・。

タイミング良く、MOON DOGさん(@LOVERYMOONDOG01)が地図を上げてくれてました。参考地図はこちら。

矢部線・黒木駅跡

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先日、仕事で行った現場の近くが、たまたま矢部線黒木駅跡のそばだったので、帰り際に見てきました。実は、福岡県に居ながら、矢部線跡に来るのも通るのも初めてなんですよね・・。黒木駅跡そばの「R442」は何度が走った記憶があるんですが、その頃は矢部線跡は眼中に無かったです・・・。竹原峠のウネウネ道(まだトンネルのトの字も無かった)を抜けて、嫁(になる前だったと思う)を車酔いさせたのを思い出しました(汗)

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あれ? 「くろき」って濁らない駅名で覚えてたけど・・・時刻表も駅名標もそうだったよね?
開業時の官報(第5686号・5コマ目右上)を見ると駅名が記載されてるけど、それでは「くろぎ」と濁ってます。しかし「停車場一覧」では廃止まで「くろき」と濁らない表記になってたようです。何ででしょうね? 「くろき」で覚えてたので違和感あるけど、町の名前は「くろぎ」なんですよね。

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この「C11 61」は矢部線現役時代から静態保存されてました。昔、本で見た事があります。
ここ数年で新しい立派な保存施設が出来たようです。前のはショボイ感じだったように思うんですが、これは木製のかなり気合いの入った作りに見えました。

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スゴく綺麗な蒸気機関車です。動態保存?って思うくらいです。

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この辺の機構が好きです。

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後ろには、踏切のアレが置いてありました。コレって当時使われてたもの?

この付近に杭ぐらいあるかな・・・と思ってちょっとまわってみたけど、見つけられませんでした。時間があまり無かったので、線路跡のトレースはしてません。空中写真で予習はしたので、また次回ですな。

↓今度はこのお店にも行ってみよう。C11の真ん前にあります。行ったことある人いる?

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今年で4回目の春の開催で恒例行事となってきた、つつじ祭りと同時開催の「トロッコフェスタinYAMADA」ですが、今回も、もちろん行ってきました。いつものように朝のキッズタイム(我が家ではプリキュアまで)が終ってからの出発なので、到着時には既にトロッコは動いていました。

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ちょうど着いた頃に、長い付き合いの廃鉄仲間のひとりである、timeさんファミリーからメールが来て、既に並んでいるとのこと。私らも早速チケットを買って並びました。タイミング良く同じ便に乗る事ができました。今回は一番上山田側の新しいトロッコに乗りました。最初はこいつが先頭車輌になります。

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雑草に覆われることなく続く線路は、現役のローカル線を走ってるような錯覚を覚えます。

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上山田側の最初の折り返し地点に着きました。みんな一斉に身体をひねらせて向きを反対にします。

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「TB」も廃線当時のままです。

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ホーム前には次の便に乗る多くのお客さんが並んでいます。天気も良かったので大盛況です。

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限界ギリギリのトンネル(本来は格納車庫)を勢いよく通過します。スリル満点です。

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沿線のカメラを構えたお客さんにも手を振ります。なんとも長閑で微笑ましい光景です。
ちなみにここは「熊ヶ畑橋りょう」で、線路は単線なのに何故か幅広な所です。

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熊ヶ畑駅跡(何も無い)まであと少しという所で線路が無いため折り返しになります。

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今度は私らが乗った車輌が再び先頭になります。

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廃線ファンの私が言うのも変なんですが、ホントに綺麗な廃線です。

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こうやって毎回楽しく乗れるのも、関係者の皆様のおかげだと大変感謝しています。
いつもいつも、ありがとうございます。

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この後は、いつものようにプラレール広場へ。子供2人とも夢中になって遊びます。家で散々遊んでいるのにまだ遊ぶか?って感じですが、レールや車輌の種類がいっぱいあるので飽きないんでしょうね(笑) timeさんとミジンコさんと鉄談義をしていると、blue fieldさんとマリオくんがやってきました。しばらく遊んだ後、blue fieldさん家とうちの嫁と娘が居なくなってるな・・・と思ったら、トロッコの列に並んでいました。私と坊ちゃんは並ぶのがダルかったのでお見送り。すると、ネット上で10年以上前に知り合った"Mさん"に声をかけられました。鋭い直感で私を見抜いたようで、ようやくリアルで会えましたねと(笑) こちらは子供連れだったので、ゆっくりお話も出来ませんでしたが、嬉しい出会いでした。

次は秋のかかし祭りですね。
娘が着くなり、かかしおらんと? と言ってました(笑) 彼女の中ではトロッコ=かかし祭りのようです。

今年のGWも上山田線跡の熊ヶ畑付近をトロッコが走るようです。先ほど看板を確認してきました。
いつものようにここで勝手に告知させてもらいます(汗)

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この画像をtweet後に詳細情報が入ってきました。

日時/4月28日(日曜日)10:00〜15:00
場所/福岡県嘉麻市熊ヶ畑山田活性化センター
内容/トロッコ列車運転・餅つき実演販売・地元物産展即売会・各種イベント・各種飲食物販売・プラレール広場&鉄道模型展示
運賃/子供100円 大人200円(予定)

とのことです。いつもいつもミジンコさんありがとうございます。
もちろん今回も行きますよ!!

鯰田炭坑貨物支線橋台跡

Category:廃線・未成線 コメント(2)

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幼少時代に何度も車窓から見た、鯰田炭坑貨物支線の橋台跡。鯰田炭坑駅側の煉瓦橋台はかなり前に無くなってしまったけど、本線のすぐ横にあった鯰田駅側の橋台は不明なままやった。必ずあの薮の中に何か残ってるはず・・・・そう思って何年経ったやろう・・・。上の写真は右側が鯰田駅です。

いつだったか、博多行電車に揺られてボーッと支線跡を脳内トレースしていたら、怪しげな構造物が目に入ってきました。一瞬だったので確認する間もありませんでした。これはリベンジすべしと、子供たちと大回り乗車した時に凝視してみたら、なんと橋台跡でした! しかもコンクリート+煉瓦ですぜ。たまたま線路脇の草が刈られており、さらにいつかの積雪の影響で枯れ草がダウンしてたのもあって、今までにない見やすさになっていました。

上り列車からは確認出来ないので、下り列車に乗って、以下の目印を参考にしてください。
全神経を集中させて、刮目せよ!!

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「橋台跡はココ」が被って見えるのは、位置関係の参考のため。
あ、今からモジャるので見えなくなるかもしれません・・・・

鯰田炭坑駅は、その名の通り「鯰田炭鉱」まで、鯰田駅から延びていた貨物支線の貨物駅です。鯰田〜鯰田炭坑間の距離は、40C≒804m(T10・鉄道省鉄道統計資料/停車場変遷大事典でも 0.5M≒804m)。営業期間は、1909年1月1日〜1945年6月10日。1945年からは鯰田駅に併合され構内として存続していました。おそらく炭鉱閉山まで使用されていたと思いますが、詳細な廃止日はわかりません。

【更新】遺構へ行こう

Category:廃線・未成線 コメント(2)

「遺構へ行こう」「三井鉱山セメント専用鉄道跡」を追加更新しました。

●三井鉱山セメント専用鉄道跡(2013.2.23)
https://otchee.com/railroad/mitsuikouzan201302/mitsuikouzan201302.html

先月探索した分です。1ヶ月遅れの鮮度で誠にスマンですが、何とか追加更新しました。

20130223.jpg

今回作成したページは、jQueryを使い画像クリックで写真拡大という、色気づいた(笑)仕様にしてみました。あと、これまでは写真が多い記事はページ分割してたんですが、次ページへ進んでくれず違うところへジャンプする事例があるので、1ページに収めてみました。

宮田線跡(勝野〜磯光間)

Category:廃線・未成線 コメント(6)

どうも、新たな廃線ネタは持ち合わせていないダメadminのおっちーです(汗)
春まで土曜日は仕事なので、探索チャンスが殆どありません。とか言いながら、昨年から宮田線跡の勝野駅〜磯光駅間(・・と言っても勝野駅構内のようなもの)で動きがあるので、しれっと見に行ってるのは行っている。

1月4日の宮田線・北口踏切(起点より0K411m)跡

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トラ模様の踏切防護柵は残されているけど、廃線敷が一時的に歩道に流用された後に設置されたフェンスが撤去されて転がっていました。年度末に向けて一気に工事進展か!? と感じました。

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ほらね。あの杭があちこちに。宮田線の線路跡をトレースするように杭が続いています。

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この踏切を渡る道は、筑豊本線の踏切(今は無い)に続いており、宮田線廃止後も人の往来はあったようだ。確か、宮田線の踏切と筑豊本線の踏切の間に民家があったと記憶してるが・・・。

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アンカーボルトが残る基礎。警報機跡か信号機跡か。

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↑1月4日がこんな感じでした。
↓で、3週間ちょっと過ぎた1月27日に行ってみると

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ありゃ、トラ柵なくなっちょーやん。

着々と工事が進んでいるようです。

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線路敷跡も重機が入っていろいろとやってるようでした。
どことも電線が繋がっていないアヤシイ電柱がありますね。
廃線ウォッチャーの方ならピンと来たでしょ?

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久しぶりの登場のサイト内通称「工力柱」です。

この辺りからガーダー橋跡手前までは工事が進んでいました。

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道路化工事はガーダー橋跡を避けて、T字路になっている所に繋がるような感じでした。
その先、菰牟田踏切跡からは線路跡が残っています。そこに前にUPした「九鉄用地杭」があります。

ガーダー橋の今後が気になるところやね・・・。

クリスマスイブです。一昔前はいわゆるwktk状態でしたが、いつからでしょうか、妙に落ち着いています。年齢のせいでしょうか(笑)そんな夜に久しぶりに更新です(汗) 子供も寝かしつけたし、嫁は仕事やし、プレゼントの準備もしたし、たまたまMacの前でフリーな時間(イラレと地図と一覧表と格闘中なのでそうでもないけど・・・)が出来たのが今日、この時間だった訳で・・。ということで、今月初めにフラッと見てきた幸袋線をUPします。周辺探索制限時間は約1時間だったので、全体は見れてませんけど。

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筑豊本線との並走部分で歩行者専用踏切のある所から。遮断桿の色褪せ具合がたまらんね(笑) 

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この辺は訳あってレールが残っています。レールのすぐそばに架線柱建植してる所もあるから走行は無理なんですけど。

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↑筑豊本線・山の谷架道橋
この手前辺りから筑豊本線は嘉麻川橋りょうに向かって上り、幸袋線は下がっていました。

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↑架道橋の小竹側の線路跡へ登って、小竹側を見たところ。
足元には枯れ草がいくつも重なって、歩くとフワンフワンしてて気持ち悪い。
レールの有無は視認出来ない。

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↑同じ場所から目尾側を見たところ。目の前の山裾を下ってカーブして目尾に向かっていました。

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↑架道橋の目尾側の線路跡へ登ってみる。目の前には鉄道時代の石垣が! これにはニヤリ!!

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↑石垣を登り線路跡へ。目の前は藪(笑)
重装備なら突撃可能でしょうが、1〜2回ドカ雪が積もった後じゃないと入る気にならんね(笑)
積雪でかなり藪レベルが落ちるもんね。

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↑切断されたレール。
ここから目尾の発掘現場まで続いていると思われます。
行きてぇ〜。


なんかしようと思って、何か忘れてる・・・と思ったら、年賀状の宛名印刷やった・・・orz
今日はもうせんぞ・・。

ということでメリークリスマス。

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遺構へ行こう/宮田線跡

Category:廃線・未成線 コメント(2)

ちょろっと行ってきたんで更新しました。

https://otchee.com/railroad/miya_201211/miya_201211_01.html
https://otchee.com/railroad/miya_201211/miya_201211_02.html

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まさかの九鉄用地杭発見でした!

今年も行ってきましたよ。で、トロッコ編は「遺構へ行こう」に上げてます。以下参照してください。

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https://otchee.com/railroad/torokko/torokko2012a_1.html
https://otchee.com/railroad/torokko/torokko2012a_2.html

で、トロッコに乗った後はプラレール広場へ。

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今回は長居しました。うちの子2人ともプラレールは好き。お姉ちゃんの方は家ではあまり遊ばなくなりましたが、坊ちゃんはどっぷりハマってます。今のお気に入りはドクターイエローとN700系(九州新幹線全線開業レインボー編成)。トーマスシリーズも好きですが、最近はチャギントンが気になるらしい。ちなみに私、最近までチャギントンを○国製のバッタもんだと思ってました(汗)
家でもこんなに広げれたら楽しいよねぇ・・・。

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外ではトロッコがのんびり運行中。毎回来てるくせに案山子の立っているところにいは行った事がありませんでした。今回は子供たちが興味を持ったようなので近付いてみました。

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よく見ると色んな格好をしてて面白いですね! 人間と見間違うくらいありますよ。
「かかし祭り」やもんねぇ。

子供らがまたトロッコに乗りたいと言うので、乗り場に行ってみたら既に大行列。話によると1時間待ちとのこと。こりゃダメだ。1時間も待てる?と娘に聞くと「待てん」と。前はこの状況下なら絶対帰らん!(泣)・・・って言ってたのに少し成長した感じ。

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さて、次は来年の春ですかねぇ? その前にちょろっと廃線探索しますかねぇ〜。シーズン開始だし。

10月13・14日に折尾駅周辺でJR九州ウォーキングが行われるということで、14日に行ってきました。両日で歩くコースが違っているようで、14日の方が短く設定されていました。せっかくなので何かと折尾に縁のあるおっちー家同居人一同で行きたかったんですが、私の祖母・母は体調不良で不参加。嫁は腰痛が酷いようで無理をしてほしくなかったんですが、とりあえず参加。

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実はウォーキングの内容のみ調べてて、折尾駅の窓口営業・改札口等が大幅に変わった事やバスやタクシーが入らなくなった駅前で「ありがとう折尾駅舎感謝祭」なるイベントが行なわれていたのは知りませんでした。着いてみてビックリです。
受付でコースマップをもらって出発。まずは西鉄北九州線跡を折尾東口電停跡まで歩きます。

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かつて折尾電停があったビル跡・煉瓦アーチ橋跡は公衆トイレ・駐車場になっています。その横を通りJRの短絡線を渡り、ねじりまんぽを含む3連アーチ橋を見ながら線路跡へ進みます。振り返ると折尾駅がよく見えます。昔は西鉄で遮られていたから、ビルとビルの隙間からちょこっと見えてただけだったよね。

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西鉄北九州線の線路跡は舗装されていますが、普段はゲートが閉まっていて一般人は入れません。今日は歩き放題です(笑)

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線路跡を走るぼっちゃん。ここが何であるかはまだ分からんようだが、お姉ちゃんは「線路跡」という言葉を理解しているので(汗)「ここは電車が走りよったんばい」で通じる。良いんだか悪いんだか・・・。自分が物心付いた頃から慣れ親しんでいた西鉄北九州線。親や祖父母らとともに乗った路線の跡を、今こうやって妻と子供たちと歩いている・・・と思うと感慨深いものがありますね。

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所々に西鉄の旧社章が彫込まれた用地杭が残っています。

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折尾東口電停跡から左折して鹿児島本線と短絡線の踏切を渡ります。

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そして、新々堀川沿いの道を歩いて折尾駅北口を目指します。
折尾駅北口に着いたところで、嫁とぼっちゃんがリタイア。ある程度予想は出来ていましたが、ここまでよく頑張りました。小休止して、私とお姉ちゃんは先へ進みます。
新しく設置された踏切から鹿児島本線・筑豊本線の立体交差を見たところ。右に見えている建物は、マルキョウでもなく、ウィルトークタイトーでもなく、MAHODOでもなく・・・折尾駅です。

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旧199号線を折尾スターレーン前まで歩き、鹿児島本線下を貫く煉瓦トンネルを歩きます。

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煉瓦萌え。ただ落書きが残念。

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民家の路地裏を進み筑豊本線沿いを南に歩き、折尾女子経済短大(今は名前が違ってた)の横を通り、以前あった「ナカイ」の3号線挟んで対面の造成地に抜けました。そこから折尾駅周辺連続立体交差事業の一環で建設された、筑豊本線のトンネルへ向けて砂利道を歩きます。

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鹿児島本線の車窓からは何度も見ましたが、近くで見るのはもちろん初めて。かなりデカイです。
下っていると西側にも構造物がありました。

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「何ぃ?あれぇ?」 着目点が素晴らしいぞ(笑)

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ここから鹿児島本線の高架下を通って北側に抜けるんだな・・・ということは事実上、若松方面のディーゼル専用線か!?などと妄想しつつ、トンネルに沿って下っていきます。

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ビッグサイズ坑口!

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坑口そばには、様々な説明資料が展示されていました。もう少しじっくり見たかった。

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カーブしてて先が真っ暗なので、ちょっとビビってる我が娘。しかし、このトンネル形状から声がものすごく響くのが面白かったようで、終始「ハァッ!」「うー!」とか言ってました(笑)

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途中の折り返し地点からは南側の光が差し込んでいました。ちょうど合流部付近!?

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もう少しトンネルを堪能したかったんですが、さすがに娘は飽きてきた様子・・・。そりゃそうだわな。

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再びトンネル横の砂利道を戻り、ゴールへ向けて歩きます。ふと横を見ると何やら古めかしい建物。この時は、え〜と、何やったっけ? でしたが、調べてみたら「旧折尾警察署庁舎」でした。

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筑豊本線の踏切を渡ったあたりから、2人とも疲れてきてスローダウン。休憩しながら先へ進みました。

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この踏切、かつては筑豊本線上下線・短絡線上下線の4線あり、さらに側線の空き地もあったように記憶してますが、違ってたかな!?・・・とにかく、子供心に渡る距離が長い踏切という印象がありました。折尾駅周辺は踏切だらけでしたからね(笑) 今は2線のみ。予定では写真奥から西側(写真右)にカーブしてトンネルに繋がるようです。

↓筑豊本線から離れてすぐの短絡線の踏切。ここも何度も通った思い出の踏切。

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堀川沿いを歩いて、やっと折尾駅へゴール。折尾駅で降りた時には気付かなかったけど、この新しい「東口」は便所だった所やん(笑)  国鉄時代の駅便所共通の 「強烈なニオイを発する便所」という子供の頃の記憶が鮮明に蘇ってきます。近年は比較的綺麗でしたけどね。

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この人ごみ中、嫁とぼっちゃんを探さねばならない(嫁の携帯は電池終了)のか・・・と歩き出したら目の前、かつての「頃末経由系統の市営バスのりば」(表現が細かすぎる?)に座ってた。イベントの詳細を知らんのもあったし、時間的に遅かったせいもあり、駅舎見学ツアーには参加出来なかった。残念。

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時代や人、走る列車が変わっても同じことやるんだねぇ。私もこうやって気動車や貨物列車を見たばいねぇ。

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今回のウォーキングは、昔から知っている地ということもあり、道中の懐かしい街並みに感激したり、すっかり変わってしまった場所や空き地になってしまった場所に驚いたりしました。取り壊される折尾駅舎を発着点とし、廃線となった西鉄北九州線跡を歩き、数年後完成する新しい筑豊本線のトンネルを見学でき、まさに「変わりゆく折尾を歩く!」を堪能出来ました。

駅舎見学ツアー・・・壊される前にまたやってくれんやろか・・・。


この日の晩ご飯はもちろんコレです。

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これと普通サイズをもう1コ食べましたが何か?(笑)

さぁ、今年も鉄強化月間がやってまいりました。皆さんのご予定は?

先日、臼井駅跡→大隈駅跡を通っていたら、トロッコの告知看板があったので、車からパチリ。
今年も例年通り、月末の10月28日(日曜日)に開催されるそうです。

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今年も行きますよ!

遺構へ行こう/才田駅跡

Category:廃線・未成線 コメント(7)

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親サイト「遺構へ行こう」を更新しました。漆生線才田駅跡です。久しぶりの新規の更新ですが、html・cssの制作方法を忘れないためのリハビリを兼ねたものなので1ページものです(汗) ついでに以下の場所にも行きました。わかりますよね?

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TBや杭はどうなっちゃたかなぁ・・・

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