謎の橋台in碓井 2003

Category:廃線・未成線 コメント(15)
今回はMacのデジカメフォルダの奥の奥に埋もれてた
謎の橋台画像?を鑑定していただこうかと・・。

2003年1月に撮影したものです。

usui1.jpg

usui2.jpg

場所は旧碓井町の碓井琴平文化館近く。山側にだけ橋台らしき物が残っていました。
撮影時は運炭線の跡やろうなぁ?と思って、詳しく調べずに放ったらかしにしていました。
気が付いたら撤去されて新しく橋が・・・。いつものパターンです(汗)

写真は2005年5月撮影。

usui3.jpg

炭鉱系は素人なので(汗)、正体がよくわかりません。
スペシャリストの方々!ご存知ないですか?

場所はココ。




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コメント(15)

>yoshiさん
私らは空中写真から「跡」を見て当時のことを想像することしか出来ませんが、昔から居た方には「跡」ではなくて、リアルな光景が頭に映し出されるんでしょうねぇ。そして、コメントのように文字にしてもらうと、当時を知らない我々も「跡」しか写っていない写真を見て、あくまで想像の域を越えませんが、少しリアルさを感じられるような気がします。
詳細な当時の様子のコメント、ありがとうございました。大変参考になりました!

あの空中写真は他の地域もカバーしてるので、ついつい時間を忘れて見入ってしまいますね。

●国土変遷アーカイブ 空中写真閲覧システム
http://archive.gsi.go.jp/airphoto/

●国土情報ウェブマッピングシステム
http://nrb-www.mlit.go.jp/cgi-bin/WebGIS2/WF_AirTop.cgi?DT=n&IT=p

おっちーさん 

懐かしい写真有難う!

昔の自宅が写ってます。
ボタや山も、壊す前の写真で非常に懐かしいです。
感謝・感謝。早速「ファイルを保存」慣行!

ボタ山の頂上をセンターにして時計の11時位の所に
四角い物が4つありますよね。
昔の炭鉱風呂の跡ですよ♪

私の記憶では上から女風呂、それから1番方2番方3番方(今の三交代勤務)の、勤務違いで風呂が変わります。
あ~~なつかしや!

この写真は、ボタ山も壊されていないし、試験炭鉱も写っている(ボタ山の三時方向)から、今から35~40年前と思います。
ボタ山の上から自宅を写した写真はありますが、上空からのボタ山&自宅(炭鉱長屋)の写真は珍しい。


ご質問の臼井駅からの引込み線ですが、今の図書館付近が貯炭場&積み込み場だったので、図書館の横付近で線路は終了です。
ボタ山までは、坑口横から線路が延びてました。

昔の強固な橋の下は道路の高さが変わっただけで、全く一緒です。
いま宅地になっている所(坑口橋よ少し下の三叉路)は、昔より10m位は上がってます。
前はもっと低かったんですよ。

あ!昔のお店(タバコ屋・駄菓子屋・八百屋)発見!


>yoshiさん
そうなんですね>坑口跡
これからの季節は緑に包まれてしまい、探索オフシーズンとなるので、
来シーズンの宿題にしときます(笑)
九工大の写真はやはりココだったんですね。

桜並木のある場所はそうなんですね。何度か通ったことがあるのでわかります。
http://nrb-www.mlit.go.jp/Air/photo400/74/cku-74-7/c44/cku-74-7_c44_66.jpg

http://archive.gsi.go.jp/airphoto/ViewPhotoServlet?workname=MKU639X&courseno=C6&photono=9

↑この空中写真を見ると、ボタ山と今の桜並木が一直線ですね。

ここで1つ疑問。このボタ運搬線は、今の美術館の方から続いていたんでしょうか?
それとも臼井駅からの引込線が来てた付近〈球場?)から橋の下を通っていたんでしょうか?

こんばんわ!

坑口は新しい橋の先に休憩小屋が写ってますが、その裏が坑口跡
です。
良く探せば、藪の中に赤レンガが残ってます。

坑口は美術館の芝生のオブジェ付近にもありましたが、完全に判りません
ね。
たしか九工大さんの写真には、橋の右側(美術館側)からこの橋と
坑口方向を写した写真がありました。
それと事務所で写した人物写真に、近所のおじさんが写っていたの
にはビックリしました。

今山沿いに桜歩道がありますが、ボタ山までの炭車の線路跡ですよ!
この桜歩道の山沿いには昔炭鉱病院があり、もちろん炭住も並んでま
した。
ボタ山のふもとには炭鉱風呂も。
公園の場所には、変電所とコンプレッサー室が建ってました。
(子供のときの遊び場でした)
それと昔、今の図書館と球場の間の道路は線路でした!
臼井駅からの引込み線!
ま、これ位で。

又この付近のご不明な点ありましたら、何なりと連絡してください!!


>yosiさん
コメントのCaptchaに若干不具合があるようで、ご迷惑おかけしました・・。
書き込み前にリロードすると大丈夫です。
やはり、坑口があったんですね。回答ありがとうございます。
ということは山側に坑口があったんでしょうか。
九工大のギャラリーが「保守のため一時休止中」だったので、付近の画像が再確認出来ませんでした・・。
現地は今は綺麗に整備されてしまったので、全くわからなくなってしまいましたね。
また何か不明な点があれば問題を投げ掛けるかもしれません(笑)

コメントが3回目にやっとUPされた様で!!

ここは庭ですから!!・・生まれも育ちも、この付近!!

この付近の事は何でも聞いてください。

昔の坑口までの橋跡ですよ!

>blue fieldさん
特に規定は無いんでしょうけど、なんか国鉄線の橋台に無い雰囲気を持ってますよね。
私の場合、国鉄線の遺構ばかり見ていたから、そう感じるのかもしれません。
煉瓦の場合はそう差はありませんが、コンクリート構造物なんか特に。

よく資料に載ってる、貝島専用線の菅牟田付近の高架。
スリムなボディに表面に骨材が見えてそうなゴツゴツ感のあるコンクリート橋脚・・
専用線らしい形してるなぁ・・と勝手に思い込んでいます(笑)
まぁ、古いコンクリ構造物は、みんなそういう状態なのかもしれませんけどね(汗)

旧線を見てニヤリ。私も同じ場所で経験しましたよ。
傍から見ると「何も無い所を見てヘラヘラしてるアヤシイ男が乗っている」
と思われたかも(笑)

個人的には面白い形の橋台だなぁ~と思って見させて頂きました。引込み線になると国鉄のものとはちょっと違った橋台があるんだなぁと感じました。
で、話し変わって現在熊本に出張しているのですが、車窓から植木付近の旧線レンガアーチを発見しました。一人「つばめ」の中で小躍り状態でした(笑

>巧也さん
http://nlftp.mlit.go.jp/Air/photo400/74/cku-74-7/c44/cku-74-7_c44_65.jpg
↑これですよね。
影が凸型に見えるのは現地の地形からして、
桁下の道路の両サイドが法面になっているからだと思われます。
確かに西側の先端で切れてて、四角い何かの跡が見えますねぇ。
九工大の写真の場所で合っているなら、山側には穴が!?
今整地されてるのでなんとも言えませんが、薮の中には・・・??
突撃班のレポ待ってます(笑)

>まさゆき公爵さん
ありがとうございます。
初めてこの地を訪れたのは、その臼井駅から平山と大隈へ向う線路の間にあるアヤシイ線路跡を辿った時です。橋台前の道路は「昭嘉炭鉱」の運炭線のものだろうと思いました。うちの空中写真でもそう表記してました。
http://otchee.com/air/air_usui.html
ただ、この橋台付近はわからないままでした。
なるほど、道路橋ですか。山側に何があったのかでしょうねぇ。事務所的な施設や社宅等ならば炭鉱施設往来用の道路ってのも考えられますね。こういった考察が遺構探索の楽しいところですね。今後もよろしくお願いします。

>トライスターさん
水を追ってここまで来るとは!さすがです。まさか、匍匐前進じゃないですよね?(笑)
水を見るのは炭鉱探索の基本なんでしょうか?私も今後は川や溝の水には気を付けておきます。

>ちくまえ。さん
え?素人さんですか?(笑)
嘉飯山地区の炭鉱探索ではトライスターさんとともに既に達人の域では?
私は鉄道廃線の橋台しか見てこなかったので、このような形状の橋台を見てウ〜ン何じゃこりゃ?でした。先も書いたように、山側に何があったかですよね。トランスってかなり重いんですよね。鉄道では大物貨車の「シキ」で運ぶほどのデカさですもんねぇ。私は逆に〈素人目に)弱そうな形なんで壊れそうと思いました(笑) 専門家が見ればどの程度の設計荷重かわかるもんなのでしょうか・・?
国土変遷アーカイブで1956年のこの場所を見ようとすると、違う写真が出てくるんですよね・・。

私も九工大ギャラリーをもう一度じっくり確認してみました。
なんだかアヤシイものがありましたよ!
写真ID428の右端に少し写ってるやつ。似てませんか!?
http://search2.libi.kyutech.ac.jp/servlet/Form?id=428


橋桁の影が凸になっているのと
西側の盛土らしき物が途中で切れている様に見えるのが気になります
巻上施設っぽくはないですか?
藪方面への突撃レポートを期待します

何か写ってる?
http://www.geocities.jp/book_of_tikuho/22tankou.htm
直方の記念館に行けば、何か見れる??

素人です(^ ^;

既にコメでも出ていますが...
74年と63年の航空画像からも橋は確認出来ますね。
また昭和32年の地質図にはこの橋の延長には坑口などは無いので
何とも言えませんが..
予想としては私もまさゆき公爵様と同じですが
橋の頑丈さからして何らかの重量物が往来していたと予想すると、
人車か何かの坑口もしくは施設(変電所など)が山腹にあって
それ用の橋か、新坑開発の途中だったか?が予想です。
変電所の場合はトランスやリアクトルなどの重量物があるので
搬入等で耐荷重が必要ですしね。

事務所などの人や普通車程度の往来では当時こんな頑丈には
作らないでしょうしねぇ..

下の道路はボタ山付近にあった三坑からの積出線と選炭後のボタ
運搬線が通っていたみたいです。
九工大のギャラリーにココの画像が沢山あるので見てみましたが、
なかなか当てはまるのは無いですねぇ
今度図書館で碓井町史でも覗いてみましょう。


ここは昭嘉炭鉱とその引き込み線があった付近ですね!!
つい最近この付近をぶらっとしました^^;
(自分も分かりませんが^^;)

まだ炭鉱があった頃は橋の上に何かが走っていたのでしょう!!
自分はオレンジ色の水をたどってここに来ました!!(爆)

はじめまして、いつも楽しみにして拝見させていただいてます。

自分なりに検証をしてみたのですが

国土地理院の航空写真閲覧システムの、昭和49年のをみてみたら

臼井駅から平山に至る貨物線跡と上山田線との間に

ちょうど、この地図の場所に向かっていく貨物線らしき跡が

くっきり見えます。ただ、この場所の橋の架かっている向きが

貨物線と直角(垂直)に交差する感じになり、もっと右下に貨物線

が続いている感じがするのです。(今の地図で言うならば

YAHOOの地図を右下に下げたところの市営碓井昭嘉団地付近)

よって、この橋台は、いまの道路の部分が貨物線跡で、かかっていた

橋は炭鉱施設の道路かなにかだと思うのですよ。

あくまで推測なんですが、いかがでしょうか?

ますますのご発展とご活躍を祈っています。敬具

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