ちょっと前に直方の石炭記念館へ行った時に、?な「工」を見つけたのでUPします。
丸の中(直方市民体育センター)の●印に「工」がありました。
歩道橋の先、道路挟んで向こう側は、かつてラウンドハウスがあった場所。
今は気動車や電車の留置線になっています。
体育館のそばには折れた「工」
体育館の反対側、路地を挟んだ民家の前にも「工」
体育館の入り口付近にも「工」
何があったんでしょうねぇ?線路?官舎?関連施設?
これ見て思い出したんですが・・・
明治45年の「福岡鉱山監督署管内鉱区一覧/筑豊四郡煤田分布圖」の地図を見ると・・
直方駅から支線が延びています。
これと現地の地形と道路を照らし合わせて、ルートを想像すると・・
こんなルートかなぁ。
同じく、明治45年の日本全国鉄道線路図(鉄道院)を見ると・・
こちらには表記が無い。また、停車場変遷大事典にも直方からの支線は載っていない。
ということは、現・筑豊本線の貨物支線ではなく、ただの運炭線だったのでしょうか?
国会図書館の資料を見る限りでは、大正以降の資料にこのルートの記載はありませんでした。
旧版地図を閲覧すれば、どのルートでいつぐらいまであったか分かりそうですね。
話を「工」に戻すと、結局はなぜここに「工」があったのかは分からないままなんですが、明治末期まであった運炭線の用地を買収して何かに再利用していたが、国鉄末期に売却したので「工」だけが残った。こんな感じでしょうか!?
丸の中(直方市民体育センター)の●印に「工」がありました。
歩道橋の先、道路挟んで向こう側は、かつてラウンドハウスがあった場所。
今は気動車や電車の留置線になっています。
体育館のそばには折れた「工」
体育館の反対側、路地を挟んだ民家の前にも「工」
体育館の入り口付近にも「工」
何があったんでしょうねぇ?線路?官舎?関連施設?
これ見て思い出したんですが・・・
明治45年の「福岡鉱山監督署管内鉱区一覧/筑豊四郡煤田分布圖」の地図を見ると・・
直方駅から支線が延びています。
これと現地の地形と道路を照らし合わせて、ルートを想像すると・・
こんなルートかなぁ。
同じく、明治45年の日本全国鉄道線路図(鉄道院)を見ると・・
こちらには表記が無い。また、停車場変遷大事典にも直方からの支線は載っていない。
ということは、現・筑豊本線の貨物支線ではなく、ただの運炭線だったのでしょうか?
国会図書館の資料を見る限りでは、大正以降の資料にこのルートの記載はありませんでした。
旧版地図を閲覧すれば、どのルートでいつぐらいまであったか分かりそうですね。
話を「工」に戻すと、結局はなぜここに「工」があったのかは分からないままなんですが、明治末期まであった運炭線の用地を買収して何かに再利用していたが、国鉄末期に売却したので「工」だけが残った。こんな感じでしょうか!?
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>さっかーさん
私も以前に比べて不足気味ですねぇ・・。
福間から弾薬庫へは完全トレースは出来ませんが、
周辺の変わりっぷりと橋台跡、なぜここに弾薬庫?と楽しめますよ!
>blue fieldさん
おっと、あるんですね「工」今度行ってみます。
トンガリも発見されましたか!
今さらですが、たぶん線路跡の杭だと思うんですが、
実はあの家は官舎跡ってオチはないですよね(笑)
直方医院近くの貯水槽跡には「工」杭が残っていたと思います。写真があったはずなのですが・・・、探してみます。あと幸袋線穂波ジャスコ付近のトンガリ杭発見しました♪情報ありがとうございました!
>さっかーさま
ここでははじめましてですね(笑
福間の弾薬庫は橋台までいいのですが、最後の弾薬庫付近は道が非常に狭くなっています(農道です・・)ので気をつけてください♪
>公開前のテストβ版以来ですね(笑)
あ~、すっかり忘れていました(笑)
最近は廃鉄分補給が少なく、ミネラル不足です。
近いうちに福間駅から弾薬庫までを探索しようと思います。
>さっかーさん
公開前のテストβ版以来ですね(笑)
なるほど〜。やはりそのようなモノがあったわけですね。
相当な職員を抱えていた駅だったでしょうから、社宅も多かったことでしょう。
はやぶさヒルネで熊本に行った時に、ラーメン屋に行く途中で発見した杭もその類なんでしょうね。
>Fさん
私も前の職場へのルートは廃線跡でしたので毎日見てました。
毎日通ってても気付かなくて、通い始めて数年後に発見した杭もありました。
今は「工」杭とは無縁のルートですが・・。ちょっと遠回りすれば・・ニヤリ(笑)
わき見運転注意!でお願いします。
今月から、工杭見ながら通勤しています
杭で職場を選んだわけではありませんよ(笑)
でもやはり楽しいです
ちょっと大きくて可愛くない杭です
ここでははじめまして、さっかーです(笑)
えー、関係者への聞き取りによりますと、体育センターの辺りには国鉄の独身寮があったらしいです。この辺りから航空写真の左側(西側?)
にかけて国鉄の社宅があったということです。そのほか建築区などが
あったようで、現在はJRの関連会社である九鉄工業の直方保線所が
あります(ゼンリンの地図サイトで確認できます)。
けっこう線路とはまったく関係ないところに用地があるのは、官舎の
跡地である可能性があります。例えば、第3セクターである松浦鉄道の
沿線にも未だにJRの官舎跡地が飛び地で残っているようです。
>blue filedさん
ちょっと離れた場所にあったんですねぇ。興味深いですなぁ。
google mapでは超低解像度写真でした(笑)
もし現存していればそこにも「工」があったんでしょうねぇ。
もっと古かったら煉瓦製だったりして〜。
正式には「直方医院」でした(スイマセン
あと直方バイパス付近にも同様に貯水槽があったようです。資料を持っていたのですが、どこかに紛失してしまってて・・・。
見つけたら、今度報告します♪
>ちくまえ。さん
私も何度も通っているはずなのにアウトオブ眼中でした(表現古っ!)
確かに新入五坑・新入二坑がありますねぇ。
新入五坑の鉱山マークが神社マーク(多賀神社)の西側にありますし、位置的にも「ビンゴ!」でしょうか。二坑は少し鞍高寄りになるのかなぁ。あの辺は高低差があるし、道路と建物の向きを見て、運炭線ルートを想像しました。
>blue fieldさん
そうだったんですね。ここ数年で「工」があるからといって、必ずしも線路・駅跡ではない。ということに気付きました。
直方病院ってどこなんでしょう?直方駅の裏?
「なをがた」「naogata」ともにビリビリきますね!(笑)
え~と、知っている限りの情報ですが、体育館周辺は設備関係の建物が点在していました。ただ設備関係の建物が建つ以前に線路があったかは不明ですが・・。あと詳しい場所は失念しましたが、直方病院の付近に貨車を洗うための貯水槽跡があったとのことです。
で、同じく「naogata」表記は驚きました!
このあたりは子供の吹奏楽関連でさんざん来てましたがエ杭には全く気づきませんでした(^ ^;
引込線ならおっちーさんもお持ちの地質図から見ると、新入五坑と新入二抗あたりが怪しいですね。
のおがたではなく『なをがた』って表記もシビレます(^ ^)