先週は体調不良のため控え目なネット生活でした。たぶん娘が保育園からもらってきた「嘔吐下痢症」ではなかろうかと・・。一家全員、ほぼ同時に感染して大変でした。なので、blog用の画像やテキストの編集は気分的に乗らず、あぁ〜なんだか、マンドクセ('A`)、眠いので寝ろ寝ろ!状態でした。
てことで、気分的にも体力的にも復活してきたので(笑)、ネタ的には3月末のものですが、宮田線をUPします。
遺構へ行こう/宮田線(2009年3月29日)
■筑前宮田駅跡
だだっ広い敷地に旅客ホームと貨物ホームがまだ残っています。
この季節はよく見えますなぁ。
ここも雑草が衰えてるのでよく見えます。このスロープの手前に改札口があったように思います。
旅客ホームの末端部分。
貨物ホームの末端部分。トラ模様が良いアクセントになってますね。ゴミがちょっと・・。
今は敷地内で殆ど見ることが無くなってしまったマクラギ。貨物ホーム近くにポツンと残ってました。
敷地の奥にはコンクリート製の炭鉱遺構があります。昔の資料を見ると立派な設備だったようです。
旅客ホームに記された「5k400」の文字。
■筑前宮田〜磯光
筑前宮田駅そばの桐野踏切(5k033m)跡に残る用地杭。
今はロープをくくる杭として再利用されてます。画像は手前が筑前宮田側、奥が磯光側です。
本白踏切(4k356m)跡の筑前宮田側に残るマクラギ。ここは10年以上前に来た時から変わってません。
少し離れて線路跡をみたところ。右奥が筑前宮田。この季節はホント、楽に歩けます。
一度、真夏に歩いたことがありますが、地獄でした・・。さすがに途中で挫折しました。
この煉瓦橋台の沈下具合は異常ですよね・・。
国会の議事録を調べてたら、興味深い内容を見つけました。
衆議院 通商産業委員会公聴会 - 1号(昭和25年02月09日)/門司鉄道局施設部長答弁から抜粋
・・・・宮田線の磯光、宮田間におきましては、鉱害による線路の沈下は、数学的に申し上げますと、建設いたしましてから現在までに七メートル五百沈降を見ておりますが、そのうち十七年以降の特別鉱害に属する沈降がニメートル三百になつております。現在これが復旧はようやく線路を汽車を通す緯度に復旧いたしておる現状でございまして、従来の線路に比べまして、まだ八百ミリの降下を見ておる状態でございます。・・・・・
どんだけ沈降してんだよ(汗)
上の煉瓦橋台から筑前宮田側へ進むと、信号機の台座跡が残っています。
信号機位置図によると筑前宮田駅・場内信号の中継信号機があったようです。
磯光駅跡。ちょうどホームの筑前宮田側末端部分あたり。
普通の人がこれだけ見ると、ココに駅と線路があったことは信じられないだろうねぇ。
新しい道路の横(画像左)に元の駅前道路があるので、まだわかりやすい!?
■磯光〜勝野
霧ヶ浦踏切(1k819m)跡。
久しぶりに来てみて、えらくスッキリしてると思ったら・・・ありゃ、撤去ですか。
基礎ごと豪快に引っこ抜かれてました。
レールも少し残っていたようですね。
この踏切跡には事故に遭われた方の慰霊碑があります。いつだったか、雑草が生い茂る真夏に一部が刈り払われていたのを見ました。廃止後かなり経ってるのに今もお参りされる方がいらっしゃるんだなぁ・・。そう思いました。
信号機配置図ではココは4種になっていて、横断するには危険な場所だったことが想像出来ます。警報機設置は前か後かはわかりません。今一度、踏切横断時の注意を考え、踏切事故が減るよう祈り、先へ進みました。
霧ヶ浦踏切跡から勝野側をみたところ。画像左の家のそばには・・・
ええ、いつものやつですよ。
これから先は少し歩けますが、藪に飲み込まれてしまいます。
菰牟田踏切(0k695m)跡より磯光側を見たところ。足下には縁石が残っています。
この程度なら進めそうな感じですが・・。え?普通は進まないって?(笑)
煉瓦橋台のガーダー橋は今も健在!筑豊本線の車窓からもよく見えますよ。
北口踏切(0k411m)跡。ここは前UPした時とあまり変わってない感じ。
この先、かつてホームがあった勝野駅の裏口へ行こうとしましたが、車は入れなくなってました。道が細い上に駐車スペースも無かったので、表側の遠賀川の土手へまわり、ショボイ勝野駅を横目にそのまま退散しました・・。
てことで、気分的にも体力的にも復活してきたので(笑)、ネタ的には3月末のものですが、宮田線をUPします。
遺構へ行こう/宮田線(2009年3月29日)
■筑前宮田駅跡
だだっ広い敷地に旅客ホームと貨物ホームがまだ残っています。
この季節はよく見えますなぁ。
ここも雑草が衰えてるのでよく見えます。このスロープの手前に改札口があったように思います。
旅客ホームの末端部分。
貨物ホームの末端部分。トラ模様が良いアクセントになってますね。ゴミがちょっと・・。
今は敷地内で殆ど見ることが無くなってしまったマクラギ。貨物ホーム近くにポツンと残ってました。
敷地の奥にはコンクリート製の炭鉱遺構があります。昔の資料を見ると立派な設備だったようです。
旅客ホームに記された「5k400」の文字。
■筑前宮田〜磯光
筑前宮田駅そばの桐野踏切(5k033m)跡に残る用地杭。
今はロープをくくる杭として再利用されてます。画像は手前が筑前宮田側、奥が磯光側です。
本白踏切(4k356m)跡の筑前宮田側に残るマクラギ。ここは10年以上前に来た時から変わってません。
少し離れて線路跡をみたところ。右奥が筑前宮田。この季節はホント、楽に歩けます。
一度、真夏に歩いたことがありますが、地獄でした・・。さすがに途中で挫折しました。
この煉瓦橋台の沈下具合は異常ですよね・・。
国会の議事録を調べてたら、興味深い内容を見つけました。
衆議院 通商産業委員会公聴会 - 1号(昭和25年02月09日)/門司鉄道局施設部長答弁から抜粋
・・・・宮田線の磯光、宮田間におきましては、鉱害による線路の沈下は、数学的に申し上げますと、建設いたしましてから現在までに七メートル五百沈降を見ておりますが、そのうち十七年以降の特別鉱害に属する沈降がニメートル三百になつております。現在これが復旧はようやく線路を汽車を通す緯度に復旧いたしておる現状でございまして、従来の線路に比べまして、まだ八百ミリの降下を見ておる状態でございます。・・・・・
どんだけ沈降してんだよ(汗)
上の煉瓦橋台から筑前宮田側へ進むと、信号機の台座跡が残っています。
信号機位置図によると筑前宮田駅・場内信号の中継信号機があったようです。
磯光駅跡。ちょうどホームの筑前宮田側末端部分あたり。
普通の人がこれだけ見ると、ココに駅と線路があったことは信じられないだろうねぇ。
新しい道路の横(画像左)に元の駅前道路があるので、まだわかりやすい!?
■磯光〜勝野
霧ヶ浦踏切(1k819m)跡。
久しぶりに来てみて、えらくスッキリしてると思ったら・・・ありゃ、撤去ですか。
基礎ごと豪快に引っこ抜かれてました。
レールも少し残っていたようですね。
この踏切跡には事故に遭われた方の慰霊碑があります。いつだったか、雑草が生い茂る真夏に一部が刈り払われていたのを見ました。廃止後かなり経ってるのに今もお参りされる方がいらっしゃるんだなぁ・・。そう思いました。
信号機配置図ではココは4種になっていて、横断するには危険な場所だったことが想像出来ます。警報機設置は前か後かはわかりません。今一度、踏切横断時の注意を考え、踏切事故が減るよう祈り、先へ進みました。
霧ヶ浦踏切跡から勝野側をみたところ。画像左の家のそばには・・・
ええ、いつものやつですよ。
これから先は少し歩けますが、藪に飲み込まれてしまいます。
菰牟田踏切(0k695m)跡より磯光側を見たところ。足下には縁石が残っています。
この程度なら進めそうな感じですが・・。え?普通は進まないって?(笑)
煉瓦橋台のガーダー橋は今も健在!筑豊本線の車窓からもよく見えますよ。
北口踏切(0k411m)跡。ここは前UPした時とあまり変わってない感じ。
この先、かつてホームがあった勝野駅の裏口へ行こうとしましたが、車は入れなくなってました。道が細い上に駐車スペースも無かったので、表側の遠賀川の土手へまわり、ショボイ勝野駅を横目にそのまま退散しました・・。
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>がんさん
霧ヶ浦踏切は3月29日の時点でアレですから、今はもう無くなってるかもしれませんね・・。
お暇があればぜひ探索してみてください。
見に行きたいと思っていた矢先にUPされるとは・・・なんというグッドタイミング。
もしかして僕ってすごくラッキーなヤツなんでしょうか?(笑)
宮田線単独探索から2年、やはり時は動いていきますね。
霧ヶ浦踏切の完全撤去はかなり気になります。
>チョビさん
大変ありがたく使わせて頂きました!
踏切や信号の位置がわかるので、今後も何かと活用できそうです。
あの答弁はまだまだ続きがあって、
鹿児島本線折尾〜遠賀川や幸袋線や遠賀川橋梁にも触れられています。
引用OKみたいなので、UPしようと思ってます。
検索すれば出てくるんですけどね(汗)
早速、信号機位置図のデータを活用されてますね。
実はもっと、古いのがあったらよかったのですが、昭和54年のが売りに出ていただけでも奇跡なんで勘弁願います
しかし、7mの地盤沈下って(笑)
炭鉱って恐い…