Re : 笹江炭鉱? (元祖 大分坑)

Category:廃線・未成線 コメント(2)
ちくまえ。さんのエントリーのレスとして、こちらでエントリーしますー。
事前に↑をお読み下さいませ。

国会図書館の近代デジタルライブリーで閲覧出来る書物の中に、明治〜大正の鉄道に関するものがいくつかあります。その中から著作権保護期間満了のものを転載します。

まずは、google mapから謎の運炭線をトレースしてみます。

daibu_1.gif

ザクッとしたトレースですが、3.76kmあります。

鉄道院鉄道統計資料 大正5〜8年度/鉄道院編より
大正5年度/第十編/第五 專用鐵道のページを見てみると、

貝島礦業合名會社(社は異字体)
運輸未開始線/九州線 長尾驛(今の桂川)〜大分、哩程/2M27C
軌間/3呎6吋、使用の目的/石炭運搬、免許年月日/明治40年6月17日
とあります。

daibu_t5.jpg

2M27Cをキロメートルに換算すると、3.7618416km。google mapの数値とピシャリ合致します。
軌間の3フィート6インチも約1,067mmで狭軌。
ということは専用鉄道の未成線だった!ってことになりますね!

大正13年度の鉄道省鉄道統計資料にも専用線のページがありますが「動力」の項目が増えています。しかし、emダッシュになってて明示されてません。蒸気を予定してたわけじゃないのかな?社名は合名会社から株式会社に変わってます。

daibu_t13.jpg

↓大正14年度の鉄道省鉄道統計資料には未開業線として記されています

daibu_t14.jpg

ちくまえ。さんの記事内にある「嘉穂炭鉱史」によると『大正7年に貝島氏が笹江炭鉱の開発を始めた』とあるみたいだけど、専用鉄道の免許は明治40年に取得しているので、その頃から開発の話はあったのかもしれませんね。
昭和に入ってからの鉄道に関する資料が無いので、以降のことはわかりません・・・。




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コメント(2)

いや、ホント、謎が多いですねぇ。
なんせ古過ぎるので、遺構を探すよりも知ってる方を探すほうが大変かも・・。

たとえ出炭してなかったとしても、我々は歴史を掘っていきますよ〜(笑)

有難うございます!目からウロコが..(^ ^)
鉱区データー見ると大正期の大分炭鉱がいわゆる笹江炭鉱の
ことだったのか?それとも笹江炭鉱は別にあったのか??
ホント謎が多いですね。
嘉穂鉱業所大分坑は上穂波坑より新しいので明治~大正の大分炭鉱とは
違うでしょうし...

資料では明治~昭和初期にかけて鉱区統合が行われるまで貝島氏が
保有してますが、その間に出炭したのかも不明です。
鉄道が未成線としか無いということは少なくともこの時期までは
まともに出炭してなかったんでしょうね。

しかしながら直方石炭資料館の昭和25年の炭鉱図にはしっかり
嘉穂笹江炭鉱って書いてあるし...(専用鉄道表記は無し)

最終的にはこのあたりの鉱区は日鉄か嘉穂鉱業が持っていたと
思うので、その頃には主力坑2坑の出炭で充分だったと思います。

こりゃ旧筑穂町の図書館かどっかで勉強せんとわからんまんまですね(^ ^;

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