次に小倉駅の北へ続いていた線路跡をトレースしました。
矢印地点に「工」杭が残っていました。写真は東小倉側を見たところ。
そこから少し小倉側へ進むと、もう何本か残っていました。
杭が無かったら線路跡とはわかりませんね(汗)
空中写真の①に踏切跡が残っています。
東小倉(高浜)側の線路跡は住宅の一部になっていて線路跡とは思えないような状態ですが、
踏切前後の停止線の鋲がバッチリ残っているので、ここが踏切だったことがわかります。
↓小倉側を見たところ。線路跡はフェンスで囲まれて草ボウボウになっていました。
隅には用地杭が残っています。大きくて肉細な「工」が印象的。
↓線路跡の隣接している貴船神社の境内から小倉側を見たところ。
線路跡はそのまま真っすぐ進み、向こうに見えているマンションあたりを通り、
砂津川を渡っていました。(空中写真内②)
↓マンションの東側の線路跡に用地杭が残っています。ここも「工」が大きい。
↓砂津川に残ってる橋台跡。(東小倉側)
↓奥に見えている橋は国道199号線
↓新幹線の高架のすぐ横を通っていました。
↓こちらは小倉側の橋台跡
↓国道から両橋台跡をみたところ。ほんのすぐそばに鹿児島本線・新幹線が通っています。
↓新幹線の高架の横から北向きに進路を変えます。線路跡は一方通行の道路になっています。
↓途中で旧国道を横断します。(空中写真③)奥に見えているミキサー車あたりに続いています。
↓線路跡はここから「浅野町緑道」になっています。この自転車でウロウロしてました。
↓北向きのカーブはこの辺まで。
↓空中写真の撮影時(S50.3.2)には無かった国道199号線。向こう側に線路跡の緑道が続いています。
↓ここからはあまり人通りが無いのか、雑草の勢いが若干ありますね。
この先あたりで、西側にカーブして住友セメント(株)小倉SSへ続いていたようです。
空中写真には貨車が写っているので、昭和50年3月の段階では現役路線だったようですね。
昭和52年の信号機位置図には、この路線は書かれていないので、その間に廃止になったんでしょうか?
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昔、ここの近くの公団住宅(小倉興産一号館)に住んでいた者です。
子供の頃ここに通っていた機関車をよく見ていました。
また、よく遊びに行ってた長浜の児童館すぐ横にも機関車が通ていました。
今では緑道さえも消えてしまいそうなので自代の移り変わりを実感しております。
>いとまきさん
何年前、海峡ドラマシップの前にある倉庫群にレールが残っているのを見た時はニヤリしました(笑) 小森江辺りの国道が高架でしたよね?大学時代に彼女(嫁)とドライブした時に通った記憶があります。当時は、鉄離れ気味だったので、その下に引込線(跡?)があったとは思いませんでした(汗)
門司駅裏は再開発されて綺麗になりました。引込線跡や小森江桟橋跡はどうだろう・・?確認してませんです・・。
最近まで錆だらけの橋梁ごと残っていたと記憶していましたがいつの間にか撤去されてしまいましたね。
門司方面にもまだまだ廃線跡がたくさんありますよね。
特に埠頭周辺の線路跡を跨いでいた国道が跨線橋を撤去して平面化するなんて福岡では考えられないような大技もありますしね。北九州は違う??と感心したものでした。
門司駅裏の工場引込線や小森江の桟橋の跡はまだ残っているのでしょうか?