43.さらに西へ

Category:たびぼうろぐ 2010.10 コメント(6)

目が覚めたのは、ちょうど兵庫と岡山の県境の上郡駅〜三石駅間でした。時刻は6時ちょっと前。セットしておいた携帯電話のアラームでバッチリ起きれました。外は夜明けというより、朝の空でしたが朝日はまだ昇ってませんでした。昨日の酒も全く残ってないし腰の痛みも無い。ぐっすり熟睡できたようです。気分の良い目覚めでした。岡山駅までは30分ちょっと。急いで支度をして到着を待ちます。

新幹線の高架が並ぶともうすぐ岡山駅。写真は携帯で撮ったので、架線柱が斜めになっちゃってます・・。個室内には電気カミソリ用のコンセントがあったので、携帯電話の充電器を繋いでフル充電になったところで、デジカメの電池を充電するつもりだったんですが、そのまま寝てしまいました・・。帰り着くまで持つかな・・。

6時27分、岡山駅到着。次は三原まで新幹線に乗ります。乗り換え時間は10分なので、早歩きで移動。ちょうど、跨線橋の階段前で「出雲」と「瀬戸」の分割作業が行われていました。ギャラリーもそこそこ居る様子。最後まで見たかったんですが、新幹線乗り換え口まで遠そうなので切り上げて連絡通路を急ぎます。

出発から使い続けた片道切符は、ルートが6の字となる京都市内で打ち切られるので、帰りの切符は京都市内発になります。こちらは行きのようなヘンテコな経由地じゃないのでマルス発券の普通の切符です(笑)。新幹線の切符と乗車券を一緒にして自動改札へ通します。高崎や横川で寄り道した時を除けば、行き帰りの乗車券で自動改札を通るのは初めてです。

これから乗る新幹線は「こだま725号・広島行き」
その後の「のぞみ」で帰れば、午前中には帰宅出来るんですが、せっかくなので長く旅したいと思い、嫁から出された限界帰着時刻まで乗り続けることにしました(汗) 山陽本線をひたすら下っていく行程を考えた時、岡山〜三原間で新幹線を使うと、ちょうどいい時間に帰宅出来るんです。
今回の旅で使っている時刻表には500系の記載が無かったので100系だな・・と予想していました。100系デビュー時のカラーリングに戻された編成があると聞いていたので、ちょっと期待していたんですが、ホームに上がると新塗色の100系が入線していました。残念。

まぁそれでも、0系無き今、最古参車となってしまった列車に乗れるのは嬉しい。

駅前のビルの隙間から朝日が射し、まだ人もまばらな静かなホームを眩しく照らしていました。

最後尾の車輌に乗り込む。全車自由席でシートは2列+2列。非常に快適です。しかも、お客は私ひとり。

6時27分/725A・こだま725号発車。
結局、この車輌に乗っているのは私だけ。完全な貸切車輌となりました(笑)

朝日に照らされる岡山の街を見ながら、三原駅を目指します。トンネルを抜けて伯備線が横を通る高梁川を渡り、いくつかトンネルを抜けると新倉敷駅。その後、車窓は断続的なトンネルで単調になったせいか、少し寝てしまったようで、気が付いたら福山を通り越して新尾道駅に着いていました。出発後、すぐに列車とすれ違いました。目の前を流れていく青色。もしやこれは100系の国鉄色?あっという間の出来事でした・・。そして、またトンネルへ。抜けるともう三原駅でした。さすがは山陽新幹線、景色を楽しむヒマもありません(笑) 三原駅での乗り換え時間は5分。ゆっくりしてられなかったので、乗車記念特急券ゲット&下車印ゲットはしないで、そのまま自動改札を通り山陽本線のホームへ進みました。程なく、115系が入線してきました。ニヤリ。

7時24分/333M・広島行き発車。
私が乗った車輌は各ボックスに1〜2人埋まる程の乗客。おいちゃん、おばちゃん、学生さん、中学生ぐらいの女の子たち。日曜の朝なのに意外に乗ってるんだなぁ。みんな広島に向かうんだろうか。列車は、沼田川に沿って山の中へ進んでいく。次の本郷駅を過ぎた辺りから山と川に挟まれた所を進みます。すると目の前に、JR線と道路と沼田川が通る谷を跨ぐ、大きなアーチ橋が見えてきました。かなりの大きさです。乗車位置が悪かったので写真に収めることは出来ませんでした。帰って調べてみると、広島中央フライトロードという道路の「空港大橋(仮称)」というアーチ橋だそうで、まだ建設中とのことでした。橋長800m、アーチスパン380m、地上高190mで、完成すれば日本一のアーチ橋となるようです。列車がアーチ橋の真下を通ると、その大きさに圧倒されました。
周りを山に囲まれて左に右にとカーブしながら、河内駅、入野駅、白市駅と停まっていきます。次の西高屋駅辺りから開けてきて市街地が見えてきたところで西条駅に到着。西条駅は、この先の瀬野駅〜八本松駅間の急勾配「セノハチ」を越える貨物列車に連結された補機「EF67」の切り離しが行われるので、そのせいか側線が比較的多くありました。ここでは広島へ向かうお客がドッと増えました。
次は八本松駅。ちょっと前まで、この駅で走行中の補機解放が行われたようです。ここを通るのは10数年ぶりです。前に空中写真でこの辺りを見ていると、八本松駅から続くアヤシイ線路跡っぽいものを見つけました。調べてみると、かつての弾薬庫に繋がっていた引込線跡とのこと。それを目で追いながら、瀬野八を下っていきます。上り線の向こうに、いかにも線路があったっぽいアヤシイ空き地が線路に沿って続いていました。本線が下り始めそうな所で、山側へ別れた所に桁が残っている橋梁跡がありました。ちょっと感激(笑) 程なく、EF66に牽かれた貨物列車とすれ違い、長い編成の最後尾には補機のEF67が押し上げている様子が見えました。途中にあった勾配標をチェックすると「22.5‰」長い下り坂を右に左に蛇行しながら下っていきます。
斜面に広がる住宅地と、そこへ繋がるスカイレールが見えてきたら瀬野駅。生スカイレールを見るのは初めてかも?建設中の時に見たような気もするけど・・う〜ん、記憶が曖昧。その後、次第に車窓は山から街に変っていき、駅に停まる度にお客が増え、海田市駅に着いた時には多くの立ち客が居るほどになっていました。

8時39分。終点の広島駅到着。列車から一気に客が降り、列車を待つ客もいるためホームはごった返していました。三原から乗ってきた列車は「広セキ C-16」編成。先頭車は確認出来ませんでしたが、三原寄りの車輌の前照灯はシールドビームですが、元々デカ目だったようです。デカメスキーな私としてはちょっと残念。
次の列車までは20分ほど時間があるので、朝食&昼飯調達をします。下車印を貰って出場。すぐに駅弁屋が目に入り、サンプルを見ながらどれにしようか考える。さんざん悩んだ末、入れ物の形が気に入った「しゃもじかきめし」に決定。再入場し、1番のりばにあるうどん屋で朝食。

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コメント(6)

ashiwodiさん
115系の2両編成は健在ですよ〜
といっても、0番台改造の550番台はいなくて、福知山にいた1000番台改造の2両編成が都落ちで下関にきました。
ワンマン改造されていたのを、わざわざ元に戻して、あげく高速化工事も解除して、元気に走ってます・・・下関側の運転台は切妻ですけど(汗)
しかし、ラッシュ時にコレ使われるのは勘弁です。毎日ぎゅうぎゅう詰めです。

>きららさん
ども。私、山口県出身で通学に光~下松間を往復してました。
私の高校生時分は153系やら111系がバンバン走っていました。111系はトップナンバーもありました。やがて115系の若番車が153系を駆逐し、115系3000番台がデビューしました。115-3000に至ってはモハ111とのコンビもあったりで・・・。ちょうど宇部・小野田線に105系が走り始めた頃です。
驚きなのはその頃の25年前の車両がまだ走っている!そんな広島支社っていったい!まぁ北陸ではまだ419が走っているくらいですからね。

ところでずいぶん前に115系のクモハ2両編成ってのを見た記憶があるのですが、まだ走ってるんでしょうか?

>倫堕さん
夜行列車で迎える朝は実に清々しい気持ちになりますよね。
晴れてて、特に海が見える場所ならば最高です。
確かに西らしくないですね(笑)>100系
岡山駅を出て何げなく撮った1枚ですが、改めて見てみると・・・
写ってる電車は、117系、103系、115系と国鉄型ばかりじゃないですか(笑)


>ashiwodiさん
「はやたま」とはこりゃまた古いですねぇ。
初めての乗った夜行鈍行が、それの後釜の新宮発天王寺行きのEF58+12系客車列車でした。
今回の新幹線利用は、短距離では時間的効果があまり出ないし、
特急料金も極力抑えたかったので、同じ料金で比較すると距離が稼げた岡山〜三原間となりました。
100系はデビュー前に鉄道誌に乗っていたイメージイラストを見てワクワクしたもんです。
うちの親は運悪く?二階建て車輌の1階指定席が100系デビューだったようで、
外がなぁ〜んも見えんかった!と、新幹線の話題になる度にぼやいてました(笑)
せんねん灸ライト>上手い表現ですね!(笑)確かにあの形そのまんまですもんね。
一部で呼ばれてる「チ○ビーム」よりも的確な名称だと思います(笑)

>きらら鉄道部長さん
気動車のごちゃ混ぜ編成とはいかないものの、結構色んな車が混ざってるんですねぇ。
よそで要らなくなったやつの寄せ集めと言うと失礼ですが(汗)・・・さすが廣島!
おっちゃんたちには嬉しい車輌ばかりです。さて、広島からはどの編成でしょ〜か?

C-16編成、中間モハは2000番台ですが、両端クハは0番台ですね。ちなみに、G-03編成の岡山方クハがクハ111-91という、113系最若番車です。
広島から先の電車は転換クロスのL・N編成か、それとも300番台か・・・

いーなー、いーなー。鉄道大旅行。

そういえば最後に夜行列車に乗ったのはいつだったっけ。大学生の頃の大垣夜行か、「はやたま」か・・・。

いよいよ大詰めになって来ましたね。
私が大学の頃に関西~山口往復するときは山陽線普通列車が定番でした。で、新幹線ワープするのはたいてい、相生~岡山か、三原~広島でした。この区間だと一駅区間の特定特急料金の930円(当時)で長い距離を稼げるので重宝していました。

新幹線100系がデビューしたときは感激しました。シートピッチが広い!それまでは中途半端なリクライニングシートで3列シートなどは向きが固定化されてましたな。

広島地区の国鉄ワールド。115系はせんねん灸ライトですね。去年見かけてド肝を抜かれました。何じゃコリャ!と。

そう、夜行列車は朝も素敵なのです!
「あかつき」か「明星」か忘れましたが、目覚めたら、須磨あたりの海沿いの景色だったのには感動しました。

ダイヤ改正のリリースに「100系は平成23年度まで」って書いてありましたね。最後は全編成をあの色に!(わがまま)
東日本には、いまだに0系同様の団子鼻の200系が残っています。古い車両を大事にする(笑)JR西日本らしくないですね。。。。

しっかり、117系も写ってるじゃないですか!
115系は「ボックス」なんですね。最近、私も凝ってます。

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