3線跡を往く XIII〜遠賀川橋梁〜

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久しぶりのこのシリーズを・・。
写真は去年のものです。

●遠賀川橋りょう #5

・中間側橋脚4つ目(4P)

on_4P_1.jpg

on_4P_2.jpg

他の橋脚と同じ造りで、連続美を形成していますが、アーチ部分をよく見ると・・

on_4P_3.jpg

巻厚が他は4枚ですが、ここは5枚になっています。
画像じゃわかりませんが、垣生側の橋脚も5枚になってます。
おそらく、遠賀川の流路にかかる橋脚は全て5枚で、河川敷の橋脚は4枚になってるのではなかろうか。


昨年、昔、中間に住んでおられた方から、この遠賀川橋りょうに関するメールを頂きましたのでご紹介したいと思います。



私の故郷である中間の遠賀川鉄橋を見て懐かしさが込み上げております。さて、遠賀川鉄橋のレンガ橋脚が不規則に積上げられ、寸法が違うのは、私が小学校の 時、校外授業で中間駅を見学した折に、駅員さんから聞いた話ですが、筑豊炭田が最盛期に中間市は石炭の採掘の 為に地盤沈下が激しく、遠賀川鉄橋(他の鉄橋etc)が傾き掛けたそうです。汽車を安全に走らす為、鉄橋のレンガ土台を何回も作り替え、鉄橋を架け替えた そうです。そして、私の父方の親戚の叔父(故人)が国鉄マンでSLを運転していた当時、遠賀川鉄橋を石炭列車を牽いて渡る時は、列車が微妙に傾いて走るの で「いつか 、こける!」と恐怖心でSLを運転していたと幼い頃に良く聞いておりました。御参考には程遠いですが遠賀川鉄橋は石炭産業による地盤沈下との苦難の戦い歴 史だったのです。特に架け替えた跡が分かるのは、筑豊本線と旧香月線がオーバークロスしていた場所に残っているレンガ橋脚です。(前に堀川があります が・・・)何回 もレンガを積替えた跡が残っております。


大変興味深い内容のメールありがとうございました。
最後に出てきた橋梁(石仏架道橋)の橋台はとても複雑な形をしています。
何度も見に行きましたが、その形故、ついついじっくり見てしまいますね。
3線跡を往くシリーズで紹介したいと思ってます。


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