2008年10月アーカイブ

トロッコフェスタ

Category:廃線・未成線 コメント(2)
第13回 トロッコフェスタ in YAMADAに行ってきました。上山田線廃止20年です。
今年は娘を連れて初乗車しました。和布刈で同じ車両には乗ってるけど・・。
私は第3回から行き始めたので、もう10年になりますな。初めて行った頃は独身、今回は子連れ・・歳とりましたなぁ(笑)
今年は時折小雨の降るとても寒い日になってしまい、例年ならば県道まで続く待ち客の姿は見られず、1往復待ちでサクサク乗れました。年々何かが増えている?トロッコ乗り場ですが、今回は駅前後に見られる「熊ヶ畑」の看板が展示されていました。

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前回は和布刈のしおかぜ号のヘッドマークが付いたままでしたが今年からリニューアル!
熊のイラストが可愛い「熊っ子号」になりました。

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昔の駅名標も付けられています。

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トロッコは子供達に大人気!

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風が冷たくて寒かった〜。
ここ数年は晴天に恵まれて気持良く乗れることが多かったけど、久しぶりに寒いトロッコの旅でした。

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●おまけ

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トロッコに乗った後、プラレールコーナーで遊ぶ、うちの姫。DD51+旧型客車とは遊び方がわかってるな〜!




編成はパパのやらせでしたスミマセン(笑)










●遠賀川橋りょう #3

・中間側橋脚1つ目(1P)

↓筑前垣生方面を望む。

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撤去された部分のアーチが辛うじて一部残っています。アーチ部分は4巻き。
無残に削り取られた部分は爪痕が残る。

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↓アーチ部分から2番目の橋脚(2P)を見てみる。美しい半円アーチに萌え(笑)

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↓こちらは垣生側のアーチ。

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橋脚をよく見ると、上下線間の煉瓦の色が規則的に違っていました。
近くで見ると煉瓦は斜めに削られており、しかも上下間で線路方向の幅が違っていました。

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それで、じっくり観察してみたら、開業時の橋台(削られた方)は鉛直部に転びがついており、削られた方向から見ると台形に、複線時の橋台(残っている方)は鉛直部がそのまま鉛直で、削られた方向から見ると矩形になっていました。台形の底辺と矩形の底辺(双方の井筒基礎上部)は同じなので、並べると三角形の段差が出来てしまう。なので、このように斜めに積んで段差を埋めたのだと思われます。
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この画像じゃ分かりにくいけど、台形断面になってて奥は矩形断面になってます。

↓某チーズのようにカットされた石材で組まれた井筒基礎部分。

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あと疑問なのが、橋脚の水平断面はどんな形だったのかということ。
下流側の増築部分は隅石から想像するに矩形断面と思うけど、上流側の撤去された部分は元々どういった断面だったのだろう? 遠賀川はかなりの流量なので矩形断面でないことは間違いないと思います。感じ的には小判形かな?

BGM担当

Category:音楽 コメント(2)
今週はなんか忙しかったです。
子供が寝てからの自由時間は、イトコの披露宴で使う曲の編集をしてました。
フェードイン・フェードアウト・クロスフェード・MIX等シーンごとに1トラックにまとめたり・・。

依頼主もこだわり無いみたいだし、完全に自分の趣味で選曲しました(笑)
とりあえずイメージを浮かべながら選んだけどね。ライブぢゃないけどセットリストは以下・・・

New ASIA/東儀秀樹
I Was Born To Love You/QUEEN
Volare/Gypsy Kings
Don't stop me now/QUEEN
Lovin' You/Janet Kay
Super Trouper/ABBA
Nothings Gonna Stop Us Now/Starship
JOLIE/YOSHIKA
ENDLESS STORY/YUNA ITO
愛してる/中島美嘉
Baroque Hoedown
ヒゲダンスのテーマ
Wam Too!/Doop
Doop -Sidney Berlin Ragtime Band -/Doop
ZAK AND SARA/BEN FOLDS
STAY WITH ME/Peter Paul Cetera
There Must Be An Angel /Eurythmics
Cartoon Heros/Aqua
Girls Just Want To Have Fun/Cyndi Lauper
Like a Virgin / Madonna
MaGic in youR Eyes/Tommy february6
I Don't Want To Miss A Thing / Aerosmith
ハナミズキ/一青窈
Heaven is a Place on Earth/Belinda Carlisle
Irrésistiblement/Sylvie Vartan
Can't take my eyes off of you/Tommy february6
More Than Words/Extreme
Change The World/Eric Clapton
Everything I do/Bryan Adams
To Be With You/Mr. Big

CD焼いてみてビックリの2枚組・・・予定時間より長めに編集したのもあるけど選び過ぎやね(笑)
さて、どの曲がどのシーンでしょう?まぁベタな曲ばかり?ですが(汗)

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うちらの時は事前打ち合わせ無しで大量のCDと指示書を丸投げでした。しかも当日に。
それでもとても上手くしてくれました。ああいうのって担当者の腕が問われる部分があるよね。

●遠賀川橋りょう #2

・中間側の橋台(1A)

以前は県道が河川敷(トラス橋の1連目下・1B)を通っていました。下流側の県道跡は河川敷へ下る道路として残っているので、中間側の橋台・橋脚が、すぐそばで見ることが出来ます。

↓現上り線側より(奥のトラスは現下り線)

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いやぁ〜立派な煉瓦構造物ですなぁ!間近で見るとホント圧倒されます。100フィートのトラス橋が架かっていただけあって、床石の大きさは半端じゃないです。上りと下りで床石のサイズが違っているのは何故でしょうか?これは橋脚の床石もそうなんです。施工した時期が違うからなのか、架かっていたトラス橋の規模が違っていたためなのか、その辺はよくわかりません。

↓旧複線上りの床石まわり(床石/約1,410×450mm)

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↓上下線の中間(床石/左・旧複線上り=約1,410×450mm、右・旧複線下り=約1,420×590mm)
煉瓦の目地にズレがある。増設時のものでしょうか?

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↓複線旧下り線の床石まわり(開業時の線→複線下り→中線→複線上り)
アンカーボルトが残っています(床石/約1,420×590mm)

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特に凝った装飾は無い橋台ですが、下流側の斜めになっているデザインは印象的です。先日のエントリーにある、筑前垣生側のコンクリート補修部分で斜めになっている部分は、このようになっていたんじゃないかと思われます。上流側は草に埋もれてて確認出来ませんでした。

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↓合成写真でスマソですが、全体像はこんなかんじ。

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筑豊本線のアーチ橋

Category:レンガスキー コメント(0)
以前のエントリーで筑豊本線には煉瓦アーチ橋が少ないと書きました。
その少ない中から1つ紹介。

●市ノ間橋梁(浦田〜新飯塚)

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↑上り線側
全体的に石材で造られています。
コンクリートで補強されていますが、アーチ部分は煉瓦巻です。

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↓下り線側

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こちらはアーチ部分が完全にコンクリで覆われています。
なので、単線時の姿や複線時にどうなったのかはよくわかりません。
ちなみに同区間には上りと下りで材料の異なる橋台があります。

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↑上り側にある刻印。昭和16年11月とある。



●遠賀川橋りょう #1

筑豊本線における「キング オブ レンガスキー」は、やっぱり遠賀川橋梁の煉瓦構造物群でしょう。煉瓦の組積美・アーチ曲線美・井筒基礎の円形美・一直線に並んだ橋脚の連続美、どこから見ても美しい構造物だと思います。え、私だけ?(笑)
残念なことに煉瓦橋台の上流側(開業時の線→複線時下り→3線の中線→旧上り)は、現上り線開通直後に取り壊されて、現上り線橋脚にくっついた状態の下流側(複線時上り→3線上り→線路撤去)のみ残されています。橋脚だけに目が行きがちですが、残った橋脚と取り壊された橋脚、それぞれに繋がる煉瓦橋台が残っています。

・筑前垣生側の橋台(2A)

近くで見るとその大きさに驚きます。奥に見えているのは現上り線。
全体的にコンクリートで補修されていて煉瓦はパラペット部分と側面ぐらいしか見えません。中間側の橋台には笠石があるので、もしかしたらこちら側にも付いていたのかもしれませんね。画像左の隅石上部から線路側にかけて斜めになっている部分は中間側も同じ形状になっています。そこにも笠石が積まれています。

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中間側(後日エントリーします)の床石は1段なのに筑前垣生側だけ2段重ねになっています。

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↓3線時代の橋台群。手前から上り線・中線・下り線。1923(T12)年に開通した下り線はコンクリート製の橋台です。

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↓橋脚(11P)のアーチから見た筑前垣生側の橋台跡。

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先週末から風邪を引いてしまいました。近場の温泉に行ったんですが、暑がりの私が珍しく「湯がぬるい!」と言ってたら、案の定、熱が39度近くまで上がってました。子どもの頃から熱には弱く、37度になるとクラクラしてしまいます(笑) 今は持ち直してきましたが・・・皆さん、体調管理はしっかりしましょう(汗)

●筑前垣生・底井野
筑前垣生〜中間間も3線だった時がありました。島式ホームの筑前垣生駅に立ってみると複線はわかるのだが、もう1線分はどこ?と思われる方がいるでしょう。ホームがある場所にもう1線分があったようなのだ。

筑前垣生駅が開業したのは1935(S10)年4月26日。この時はまだ遠賀川橋りょうのすぐ横にあり、1951(S26)年1月20日に0.3km直方寄り、現在の位置に移転してきました。3線撤去は1954(S29)年8月31日とされていますが、移転時には既に撤去済みでそこに現在のホームを造ったと考えられます。

それ以前に若松〜直方間が開業した2年後、1893(M26)年12月20日に遠賀川橋りょうと現筑前垣生駅あたり(若松起点10M05C≒16.19km)に底井野信号所が設置されました。その後、1912(T1)年8月28日に0.1M(160.9m・マイルチェーンを簡略化しているので実際は前後すると思われる)直方寄りに移転しています。筑前垣生駅が開業した1935(S10)年の9月21日に廃止されています。

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  • 1891(M24)年8月30日/若松〜直方開業。《黄線》
  • 1893(M26)年12月20日/底井野〜植木間複線化に際し、若松起点10M5Cに底井野信号所開業。
  • 1894(M27)年12月21日/折尾〜中間間・植木〜直方間複線化
  • 1896(M29)年4月29日/若松〜折尾間複線化
  • 1908(M41)年/底井野〜中間間複線化。《黄線(下り)》《黄破線〜直方側上段白線(上り)》
  • 1912(T1)年8月28日/底井野信号所・直方寄りに(画像左)0.1M移転。
  • 1923(T12)年7月1日/中間〜筑前植木間3線化。遠賀川上流側に増設《下段白線》
  • 1935(S10)年4月26日/筑前垣生開業(若松起点16.1km)【白丸あたり・S23年の米軍写真にそれらしきもの有】
  • 1935(S10)年9月21日/底井野信号所廃止。
  • 1951(S26)年1月20日/筑前垣生、現在地に移転。

→筑前垣生あたりは3線→複線化されていたと思われ《直方側両白線間の黄線》にホームを設置。
→上り線は《直方側上段白線〜青破線〜中間側黄線》に配線変更か?

  • 1954(S29)年8月31日/3線→複線化(筑前垣生構内以外の区間か?)
  • 1971〜72(S46~47)年頃?/遠賀川橋りょう新上り線開業《中間側上段白線》+煉瓦橋脚一部撤去

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1974(S49)年の空中写真では、遠賀川橋りょう新上り線設置に伴って撤去された旧上り線の線路敷と今も残る宮前架道橋の桁が写っています。筑前垣生駅にはまだ跨線橋が無く、昔ながらの線路を渡って駅舎へ向かうスタイルですね。米軍写真では駅横の踏切はまだ無くて、少し直方寄りを渡っていたようです。

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↑現在の筑前垣生駅。
ホームがあるところにもう1線あった。子供心に筑豊本線にしては狭いホームだなと思ってました。関係ないけど、生まれて初めてボートに乗ったのは この近くの垣生公園でした。おっちー母も若かりし頃に遊びに来てたようで、約40年前の写真(何故かシェーのポーズをしている・笑)のバックには石炭貨物列車が写っていました。

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↑こちらは直方側。上下線の間に線路があった。ここから鞍手駅手前(小牧信号場跡)付近までは線路跡に架線柱が立っています。

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↑参考までに16.3kmはこの辺。

たった数百メートルの中で2つの停車場があっち行ったりこっち行ったり(笑)
起点からの距離、駅間距離、移転距離に関してはマイル・チェーンの簡略化や改キロ等で若干の誤差はあると思います。

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