唐津線岸嶽支線で失態

Category:廃線・未成線 コメント(7)
唐津シリーズ最終回。

ダメ元で唐津線岸嶽支線もトレースしてみました。

唐津線岸嶽支線とは、1912年(明治45年)に開業した、山本駅から岸嶽駅の4.1km(T13・鉄道統計資料では、2M44C≒4,103m)を結んでいた支線。岸嶽線とも呼ばれたようです。貨物支線として開業しましたが、翌年に旅客営業を開始しています。その後は、いわゆる「赤字83線」の1つに含まれてしまい、1971年(昭和46年)に廃止されました。

以前、空中写真で確認したけど、イマイチ覚えていない・・。
どの辺で分かれてたのか、よく分からないまま山本から下ってみることに。
なんとなく進んだ道が岸嶽線跡だったようです。

山本駅から各線が分かれたところまでの空中写真は・・・

kara_032_map.jpg

これが撮影された1975年3月時点では、線路敷は残っていたようです。現在は筑肥線・唐津線と分かれた付近から岸嶽駅跡の先まで道路になっています。とりあえず線路跡の道路を進み、岸嶽駅跡付近まで来てみたものの、たぶんこの辺だったよなぁ?って感じで、よくわからん(汗) かつて岸嶽駅から続いていた運炭線も全くわからず、暗くなってきたし折り返して唐津に戻る途中にアヤシイもの発見。(上の空中写真の★部分)

kara_030.jpg

kara_031.jpg

上/山本側  下/岸嶽(牟田部)側

怪しげな橋台に「これは!?」と思い、とりあえず撮影だけしてきました。
敷設は古いはずだから煉瓦製じゃないのかな? いや後からコンクリートで補強したんやろ・・。しかし、桁を支える橋座がなかったなぁ・・。けど、単線幅で線路跡っぽいんだよなぁ・・・。

帰って空中写真で確認してみると・・・

kara_033_map.jpg

アレ? 線路跡は道路橋挟んで反対側じゃね?

やっちまいました。じゃ、あの橋台はなんじゃらほい?
事前準備の大切さを改めて感じました・・・(汗)


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コメント(7)

>いとまきさん
国土変遷アーカイブはもう少し解像度が高くならんかなぁ・・といつも思います。
そうなると、写真の実データやプリントを購入しなくてもいいし、調査にも役立ちそうなんですが・・。
webに掲載する場合、測量法に基づく承認の手続きとやらが必要なんで、うちでは掲載してません。ローカルのHDDにはしこたま保存してますが(笑) 国交省のウェブマッピングはその点が寛大なので(笑)、バンバン使わせてもらってますが。

今の吉塚駅はあまりにも変わってしまったため、昔の面影を探すのは難しそうですね。周辺の建物の向きっていうのは、大規模な都市計画・整備に引っ掛からなければ、旧鉄道用地に沿って建ってる場合がありますから、探索時のポイントになりますね。
幸袋駅舎跡は、大学時代に初めて見て「ボロい倉庫だな」というのが第一印象でした(汗) その頃はそんなに「鉄」が再燃してませんでしたから、記録に残していないのが悔まれます。ホームも確実に残っていたハズなんですが・・。


>分オイさん
ごぶさたしてます。鉄してますかぁ?
情報サンクスです。全巻立ち読みで済ませてしまったので(汗)記憶にありませんでした。
今度また立ち読みでチェックしてみます(笑)

久々の登場です。
>吉塚機関区
写真集「九州鉄道の記憶」Ⅳの中に吉塚機関区の写真があり
それに構内配線図が載っています。
どうぞご覧になって見て下さい。

本当にいつもすいません。ありがとうございます。
国土変遷アーカイブを自分も見ておりましたがイマイチ判然としないもので…。恐らく吉塚駅東側のヤードにあったのでしょうね。現在の東口付近に日通の倉庫があっておかしな方向を向いて建物が建っているのは?と思っていましたけど恐らく線路があった当時の名残なんでしょう。

幸袋駅舎がまだ残っていた頃に何気にそれを発見した時すごく興奮したことを今でも覚えています。それに対して残念ながら岸嶽線では残っているものが皆無に近かったため残念だったと惜しんだだけでしたねぇ〜。

>いとまきさん
確かに状況としては幸袋線に似てるものがありますね。こちらの方は見える遺構が僅かに残っているので、まだましかと(汗) 多久駅の方も残っているらしいというのは聞いたことがあります。区画整理をやっているという話もありますので(確か駅が新しくなりましたよね?)、今どうなっているのかわかりません。

吉塚機関区は、吉塚駅の東側にあったんじゃないでしょうか?
実際に見たわけではなく、あまり詳しくは知らないんですが、国土変遷アーカイブで見たところでは、吉塚駅構内はかなり広くて、西側・東側にも貨物側線が広がっています。

幸袋線と時を同じくして廃止されたわけですね。
自分も以前、廃線探索したことがありますが並走する道路の拡幅に転用され痕跡が皆無に近かったので印象も薄いです。これも幸袋線と似た境遇といったとこでしょうか。
唐津線でいえば多久駅界隈の運炭線跡の方がまだかろうじて形跡を残しているようなのでこっちの方に何か残っているんじゃないかと推測しております。

ところで話は全く変わるのですが、おっちーさんは香椎機関区の前身である吉塚機関区がどこに存在していたのかご存知ないでしょうか?
自分なりに調べているんですがどうも不明確で…。初代博多駅の東側に転車台があった等のことは発見出来たのですがそこから先がなかなか資料も見つかりません。
何かご存知のことがありましたらご教示いただけませんでしょうか?

>巧也さん
いえいえ、プロじゃございません(汗)ただの物好きです(笑)
今回はあまり時間が無かったので、隅々まで探索出来ませんでした。
帰宅後にネットで調べても、なかなか情報も無く・・。
通ったルートを思い返してみても、全体的に道路・歩道になってたなぁって感じです。
オーバークロス跡っていうとどの辺ですか?

探索した時に全く痕跡を見つける事が出来ませんでした
おっちープロなら!と期待してたのですが。。。。
オーバークロス跡はパスでしたか?

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