実はこの日の探索順序は、トマト美容室の盛土の油須原側のちょっと先→野原越トンネル→トマト盛土の油須原側手前、T字路→トマト盛土と攻めました。画像はトマト盛土の油須原側手前です。ここからトマト盛土との間(数メートル)に産廃物と思われるものが放置して完全に埋まっており、線路敷を進むことが出来ませんでした。
トマト美容室の盛土の油須原側のちょっと先から少し進み(ややこしくてスマン)野原越トンネル方面を見たところ。この辺の線路敷上は比較的おとなしく、藪というより草むら状態でした。
私はここからトンネルまでは、今回の探索の数年前の4月に探索済でした。しかし、その時のデジカメデータが飛んでしまいUP出来ませんでした。残念。
トンネルへ近づくにつれて藪が酷くなってきました。数年前に来た時よりもパワーアップしてます。画像はその時発見した函渠上より下を見たところ。初探索時に見た放置PCマクラギがそのままありました。
今回は函渠も調査してきました。同行した一同、素人目に見てもな〜んか作りが雑だなぁと・・(笑)
銘板は汚れが酷くて判読不能でした。名称部分の「第五」は読めました。トマト盛土の函渠が「第四上今任函きょ」でしたので「第五上今任函きょ」ということになります。
函きょを調査後、トンネルを目指します。画像はトンネル手前から大任側を見たところ。
野原越トンネルが見えてきました。この辺から導水路埋設のため一段高くなっています。ちなみにトロッコのレールはここまで敷設されています。擁壁が部分的にカットされています。
相変わらずの荒廃ぶりです(笑)
野原越トンネルの銘板です。初期に着手された区間ですので設計は国鉄になっています。その後、鉄道建設公団に引き継がれました。なので、油須原線計画区間の漆生〜嘉穂信号場〜上山田〜豊前川崎〜大任〜油須原では国鉄・公団の両方が設計した構造物を見ることが出来ます。
とりあえず中に入って、鉄柵が設置されている赤村との境界まで歩いてきました。距離はそんなにありません。赤村トロッコに乗ったことがある方は分ると思いますが、折返し地点から大任側が見えていたはずです。トンネルを抜けるとこんな感じですよ〜(笑)
一部歩行困難な箇所があったのが悔やまれますが、これで油須原線をほぼ踏破したことになります。今回歩いた区間は、よほどのことが無い限り消えることはないと思います。着手から47年。部分的ではあるが列車が走れる状態までしておきながら役目を果たせず撤去・放置。何だかねぇ・・・。