後藤寺線下鴨生駅から上山田線下山田駅間、7.9キロを結んでいた線。この線も典型的な運炭路線であった。明治39年に鴨生で炭坑が開坑し、周辺でも相次いで開坑したため、石炭輸送増強の手段として鉄道敷設となった。漆生線開業以前、明治35年6月15日に九州鉄道によって開業していた、芳雄駅(現・筑豊本線新飯塚駅)〜上三緒駅〜山野駅(後の筑前山野駅・昭和39年2月2日限り廃止)の上三緒駅より分岐する形で、大正2年8月20日に上三緒駅〜赤坂駅(後の下鴨生駅)〜鴨生駅〜漆生駅間が筑豊本線貨物支線として開業。大正5年2月1日、赤坂(下鴨生)駅開業。大正9年5月10日、芳雄(新飯塚)駅〜漆生駅間を漆生線と改称した。大正12年5月21日、漆生駅〜稲築駅間の貨物支線開業。昭和18年7月1日、別会社によって結ばれていた、新飯塚駅〜後藤寺駅間が国有化され後藤寺線となると、赤坂(下鴨生)駅〜漆生駅間が漆生線となった。しばらくは漆生駅終点の盲腸線であった。昭和31年12月20日、赤坂駅を下鴨生駅に改称。
この周辺で採掘される石炭を田川を経由して苅田港へ輸送するためのバイパス線計画「油須原線(未成線)」が、漆生線を延長する形で漆生駅〜下山田駅(上山田線・廃止)・上山田線を延長する形で上山田駅(上山田線・廃止)〜豊前川崎駅(日田彦山線)〜大任駅(添田線・廃止)〜油須原駅(田川線・現平成筑豊鉄道)で建設されることとなった。まず国鉄によって昭和32年に着工し、昭和39年に鉄道建設公団が引継ぎ建設が進んだ。その後、昭和41年2月28日、初めに上山田線との合流地点に嘉穂信号場が設けられた。昭和41年3月10日より、漆生駅〜才田駅〜嘉穂信号場が開業し、漆生線は後藤寺線下鴨生駅と上山田線下山田駅を結ぶ線となった。同時に上山田線の上山田駅〜豊前川崎駅間も開業した。本来、油須原線の計画上にあった、豊前川崎駅〜大任駅〜油須原駅間については、1980年の国鉄再建法の施行によって、工事の途中で計画中止となり今に至る。
石炭産業斜陽化が急速に進むなか、昭和43年10月31日限りで、漆生駅〜稲築駅間の貨物支線が廃止された。その後、国鉄再建法に基づく第1次廃止対象候補路線となるが、輸送密度条件をクリアできたことで第2次廃止対象候補路線へと免れるも、昭和61年3月31日限りで下鴨生駅〜下山田駅(嘉穂信号場)間全線廃止となった。線路跡は下鴨生駅〜才田駅間が道路になっており、鴨生、漆生駅の構内跡の一部は、綺麗に整備された公園になっている。才田駅〜嘉穂信号場間は盛土・コンクリート橋が残っているが、草木に飲み込まれ、それとはわからなくなっている。嘉穂信号場は解体されて県道になっている。
漆生線が分岐していた、後藤寺線の下鴨生駅。近年までタブレット交換があるため有人駅だった。今は、無人となり駅舎の窓やドアに板張りがされているのが見られる。その改札口の・・・
本当は漆生線を再トレースしたんですが、下鴨生〜才田間はこれといった変化が無かったので、才田駅跡を中心にUPしてみました。写真は才田駅全体を見たところ。左が漆生方面、右が下山田・・・
廃線探索シーズン到来!ってのに仕事がバタバタしてて1〜3月はまともに廃線活動できませんでした。そんな中、今期ここに行かないと痛い目にあいそう・・ということで嘉穂信号場に・・・
更新してない期間もよく通っていた所なんですが、そう変わった点も無く、いつも素通りしていました(汗) で、今回はゆっくり探索してきましたよ。
この看板。まだ健在です。だいぶ・・・
福岡に戻って来られた倫堕さんのお誘いで、漆生線(嘉穂信号場跡〜才田駅跡間)の探索に行ってきました。この区間の探索は2006年2月以来、8年ぶりです。この間、県道整備に伴う嘉穂信号場跡の本屋解・・・
恒例となりつつ?ある、嘉穂信号場跡〜才田駅跡間の探索に行ってきました。2014年2月以来の探索です。今回も当サイトの藪将軍こと倫堕さんをはじめ、さっかーさん、分オイさん、私、と藪好き(笑)メンバー・・・
2017年2月19日、漆生線跡の嘉穂信号場跡から才田駅跡まで探索してきました。2年ぶりの探索です。当日の参加者は、遺構へ行こうの藪将軍こと倫堕さん、さっかーさん、分オイさん、おっちーの4名・・・
廃線シーズン恒例の嘉穂信号場跡〜才田駅跡間の探索に行ってきました。今回は才田駅跡から嘉穂信号場跡を目指しました。
漆生線跡の嘉穂信号場跡から才田駅跡まで探索してきました。今回は嘉穂信号場跡→才田駅跡
廃線シーズン恒例の嘉穂信号場跡〜才田駅跡間の探索に行ってきました。今回は才田駅跡→嘉穂信号場跡
鴨生駅跡、漆生駅跡、才田駅跡、現役時の漆生駅、写真右側に停車中の列車は、恐らく漆生駅で折り返しの豊前川崎行きと思われます。このホームは行き止まり式のホームで、油須原線の起点(終点)・・・