恒例となりつつ?ある、嘉穂信号場跡〜才田駅跡間の探索に行ってきました。2014年2月以来の探索です。今回も当サイトの藪将軍こと倫堕さんをはじめ、さっかーさん、分オイさん、私、と藪好き(笑)メンバーで探索です。さらにタイミング良く、探索orツーリングでもしませんか?のお誘いがあったトライスターさんを逆お誘いして、今回の探索に加わっていただきました。当初、ちくまえ。さんも参加される予定でしたが、急用のため欠席・・・のはずでしたが、お忙しい中、集合場所の嘉穂信号場跡まで来て下さり、探索見送りをしてくれました。
この場所、嘉穂信号場跡なんですが、どこに何があったのか、さっぱり分からなくなっています。右側の法面に沿って漆生線跡が通っていました。外されたレールやバラストが残っています。タブレットを受け取るためのステップの台枠もぐにゃぐにゃになってますが残っていました。
法尻に放置されたレールを右に見ながら進むと、開放的な嘉穂信号場跡から一転、薄暗い竹やぶの中へと進んでいきます。この先から枕木とレールが残っています。この写真を撮影したのはちくまえ。さん。突入の瞬間を撮られていたとは(汗)
こんな感じでタイプレート、犬釘が付いたままの枕木が放置されています。嘉穂信号場が整地されて県道整備が始まった頃、この辺は土砂置き場になっていました。その時に邪魔な線路跡をユンボかブルドーザーでガーッとやっちゃったんだと思われます。
竹やぶゾーンに入ってすぐのところに「太郎渕踏切(下鴨生より6k138m・第4種)」跡があります。トラ模様が薄っすら残る構造物が残っています。
倒竹はありますが、余裕で歩けます。
スゴく雰囲気がいいです。
どこかに光る竹がありそう(笑)
線路の間から生えている木に廃線からの年月を感じます。日当たりが悪いせいか、ヒョロヒョロの幹になってますけど。ちなみに漆生線は1986年3月31日限りで廃止になりました。
枕木は朽ちて苔も生え、自然に還りつつあります。
通信ケーブル埋設標やケーブルトラフは草木に埋もれながらもしっかりと残っています。
竹やぶゾーンを越えると、橋りょうゾーンになります。銘板が不明瞭で未だ名称が分からないんですが、才田へ抜ける道路から見える、あのコンクリート橋です。
この辺は日当たりが良いので植物もしっかり成長しています。厄介な野薔薇ゾーンでもあります。3月後半ともなれば、そこそこ暖かいのでやつらも・・・虫が蠢き始めます。蝶か蛾の1齢幼虫を見てしまいましたが、見なかったことにして先へ進みました(汗)ホントは2月に来たかったんだが都合がつかなかったのだ・・。
橋りょうゾーンで2つのコンクリート橋を渡ると、藪ゾーンに突入します。写真の中央に向ってレールがあるのが分かりますか?(笑)その横には同業者の往来、はたまた獣の往来があるのか、道が出来ています。先頭は藪将軍こと倫堕さん。どんどん進んで行きます。
日のあたり具合で植物が生えてるところと生えてないところがあるようです。この辺はそんなに藪化していません。
用地杭はポツンポツンと残っています。ちょっと離れた所にあったり、上の方にあったり、下の方にあったり。
この木はレールに食い込んでいました。
気がついたらトライスターさんが先頭になってました。炭鉱遺構探索で培われた藪漕ぎさばきでズンズン進みます。この辺のレールに苔が生えてるのが印象的でした。
墓地への通り道となっている「野添踏切(下鴨生より5k814m・第4種)」跡にはケーブル埋設の看板が残っています。この辺りはレールが外されて、カーブや橋梁上のガードレールのように内側に寄せられ、嘉穂信号場側へスライドさせた状態で残っています。
野添踏切跡から数メートル間が完全に埋もれていて線路跡を進むことが出来ません。前回同様、墓地の端っこを失礼します〜っと通らせてもらい、盛土に近い場所から線路跡に戻ります。
写真は墓地から線路跡を見たところ。TB跡があるのが見えますか?この法面から登りました。
登った所から才田方向を見たところ。遠くに炭鉱跡地活用で大ブーム?のソーラーパネルが並んでいます。才田駅はあれの左下あたり。まだまだ先へ進みます。日の当たる所は基本的に藪ゾーンです(笑)
レールの間から木が生えているのはもう見慣れました(笑)
高木神社そばのコンクリート橋上(銘板の名称部分不明瞭につき名称分からず)を野薔薇の攻撃とツル系植物の天然ムチに耐えながら進みます。
高木神社のそばから次の西貴船橋りょうまでの間は背の高い竹に囲まれた直線区間。倒竹はあるものの見通しは良く歩きやすい。レールもしっかり残っており、この時期はロケーション的には最高です。夏は知らないよ(笑)
西貴船橋りょう手前の盛土部分。
自然の力ってスゴいね。
この辺から進行方向左手(西側)に巨大な造成地というか山が見えてきます。もともとボタ山だったそうだが、ここもやっぱりアレ?ソーラーの?
その造成の一環か、漆生線跡隣接地の雑木林が綺麗さっぱり無くなっていました。その中に用地杭発見。写真は杭そばから線路跡を見たところ。竹の奥が線路跡。
さらに才田方向へ進む。嘉穂信号場方向を見たところ。この辺も歩きやすい。
この辺は日当たりもよく、夏になると、もっさ〜と茂って人を寄せ付けないくらいになる所。前回はこの辺りで「才田」の黄色い標識(停車場接近標っていうんですかね?)を見つけたんですが、今回は見当たりませんでした。どこいったんだろう。草木に埋もれたか、刈払された時に片付けられたか、まさか収集厨が持ち去ったか!?
前方に道路橋が見えてくると才田駅跡はすぐ。ここの法面に生えていた竹は綺麗に刈られていました。その刈られた竹がレールの上に山積みされていたので、端っこを歩きます。
おぉ!これはキロポスト(丙号距離標)じゃないですか!「2」と表記されているのは分かったが、キロ数が消えて判別不能でした。帰って調べてみたら、5.2キロポストと判明。才田駅が下鴨生から5km050mだったので、地図上でざっくり距離を測ってみたところ、ここにあったものが抜かれたようです。
道路橋の下にある「第二才田川橋りょう」から嘉穂信号場方向を見たところ。この藪の中を歩いて来たんだよ我々は(笑)
この橋梁も「西貴船橋りょう」や同時開通した上山田線熊ヶ畑付近に残る橋梁群と同じく、橋台と桁の設計者・施工時期が違っています。
一部外されている部分もありますが、嘉穂信号場跡から続いてきたレールもここまでです。廃線ウォッチャーとしては、いつまでもここで眠り続けてほしいもんです。
才田駅跡もここ何年も変わらぬ姿で残っています。
今頃?って感じなんですが(汗)、建物財産標があるのに気が付きました。「旅客上屋」と刻まれていました。写真クリックでアップ表示されます。フタ付きのボックスは照明のスイッチかな?
嘉穂信号場から約1時間の探索でした。しばらく才田駅跡で休憩。今度は道路を通って、遠目に歩いてきた漆生線跡を見ながら戻ります。写真は「西貴船橋りょう」と歩いている時に見えた造成中の山。子供の頃、毎日のように見ていた日炭高松のボタ山に似てるなぁ。
この後、嘉穂信号場近くのコンクリート橋まで戻ったところで法面を登って再度突入(笑) 竹に囲まれた線路跡を堪能して探索終了。皆さんお疲れさまでした。トライスターさんは所用のためここでお別れ。ありがとうございました。また突入しましょう!
で、我々はその後・・・
桂川のながはたで昼呑みしました〜。