カーブしている漆生駅を後にして住宅街を抜けると線路跡道路らしい直線になる。まわりの風景に緑が多くなってきて、長閑な車窓となる。なにげに電柱を見ると「才田」の看板が!これって、鉄道時代のものやん。よく見るとわざわざ電柱に針金で括り付けてある。本来なら廃棄されてもよかったものを、誰がしたかはしらんが、粋なことをしてくれる。写真の右奥が才田駅跡となる。
自動車関係の店舗の裏にしれ〜っと残っている才田駅跡。ここは待合席とホームがバッチリ残っている。ホームに立つと、今までの2駅とは違った風情を感じることができる。
ホームから下山田方面へ少し歩くと1本だけレールが残っていた。この先は深い草木に飲み込まれてしまうが、まだレールが残っている可能性は高いとみた。
才田駅を見おろす陸橋から下山田方面を見たところ。盛土跡が田圃の右側に見ることができる。深いブッシュに覆われているが、はっきりそれとわかる。レールの有無は確認できなかった。
↑の陸橋を横道から見たところ。陸橋の下には小川を渡るコンクリート橋跡が残っていた。
林に囲まれた線路跡を追いかけていたが、一旦視界から消えた後、遠くにコンクリート橋を2つほど見て、今来た道とクロスする所にコンクリート橋が姿を現わした。銘板は残っているものの、判読不可能だった。
上の写真のすぐ隣にあるもう一つのコンクリート橋跡。この先は嘉穂信号場跡となる。
これら2つのコンクリート橋を越えるとすぐに嘉穂信号場に出る。写真の左側から漆生線、右側から上山田線が近づいていた。中央の詰所が嘉穂信号場跡。この先で1本の線になっていた。
結局、一度も乗ることなく消えてしまった漆生線。
筑豊全線走破ならず・・・今も悔やまれる。