
菅原踏切跡(仮称)〜麻生釣駅跡
踏切より麻生釣駅方面の軌道敷き跡は二つの町道に挟まれる形で残っている。しかしながら全線が残っているわけではなく、放置された状態で築堤の輪郭が確認できる程度の遺構となっている。このような理由から、麻生釣方面を目差すには二本の町道の内どちらかを進まなければならないが、左の道は大きく左に逸れていたために右の道を選択した。この道はゼンリン等の詳細地図でも記載がないほどの里道で、結局は築堤から遠ざかりながら集落に向けて進むことになった。
A地点から菅原踏切方面に残る築堤→
上の航空写真の緑線が走行軌跡であるが、真っ直ぐに敷設された軌道に対して家々を繋ぐ形で蛇行し、築堤から大きく川方面へ迂回している。途中で築堤の状態を確かめるために交差点を左折しているが、その先の道が不安であったために折り返している。里道は迂回しながらも町道と合流するために築堤方面に向きを変え、Aの地点で軌道敷きに戻ることが出来た。 この地点は踏切が設置されていたと思われるが、交差部より数mが草地として残っているだけで、残りの部分は大きく育った杉の木に占領されていた。
ズームにより接近してみると、畑の作業道として使用している区間以外は荒れている。
この菅原地区の地形は特異な形状をしており、川底方面への谷でありながら盆地の様相を呈している。踏切付近から急に盆地が広がり、再び急激に山に挟まれると言う、いわゆる三日月型の盆地の地形である。特にこの辺りが一番広い部分で、その後は急激に渓谷の地形へと一変している。僅かながらの平野部は稲作用の水田がその殆どを占めているが、主たる産業は畜産業、特に牧畜により成り立っていると考えられる。
地点Aより麻生釣方面を望む。
二本の町道は道幅が狭い上に曲がりくねっている。軌道はその間を貫くように真っ直ぐに敷設されており、廃線後も作業道路としても連絡道路としても非常に有効なルートだと思える。しかしながら放置された挙げ句に荒れるに任せた状態で残っており、真っ直ぐな軌道敷き跡よりも旧来の里道の方を重要視していると思われる光景が納得の行かない部分である。これより先は2〜3軒の民家しか無く、特別に新たなルートの必要性が無いのが主たる原因だと推測される。特にこれより先の左の道を進むと数十mで涌蓋牧場の私道となり、関係者以外は右の細い里道を利用するしかない。
長さが短いために内部にも雑草が生えているのが散見された。長さが長さだけに通過には20秒ほどしか要さなかったが、ここで重要な間違いに気づくことになった。
青線が軌道敷きで緑線が実走軌跡である。
実際に麻生釣方面を望むと水田と畜舎以外は目に付かない。前方左手の建物は牧場用の施設であり、住居は皆無である事が判る。 ここで引き返しを考えたのであるが、行けるところまで行ってみる事にした。このA地点を過ぎても築堤が残っていることは確認でき、荒れた築堤の右脇を里道が付かず離れず併走しているのが見えているからである。A地点を出発した里道は徐々に軌道から離れるが、小規模な杉の林を過ぎると再び軌道に沿うようになる。そのまま90度の右カーブの内側を軌道に沿いながら再び併走している。この間は築堤もハッキリと確認できる。里道はB地点で再び軌道から離れるが、築堤に登る獣道が在ったので寄り道してみた。 築堤はその姿を留めてはいるものの、路盤は藪化が激しく、特に麻生釣側は大きく育った杉によってヒトの進入を拒んでいた。B地点で軌道から逸れた里道は、逆くの字を描きながら20mほどで再び軌道に寄り添い、C地点から数m併走した後に右に90度向きを変えて北上している。このC地点からは軌道上に登れる道がついており、これより麻生釣方面へは軌道敷き跡を走行できるようになっている。軌道敷き跡に戻った時点で振り返ると、B地点までの間は荒れるに任せており、椎茸栽培に利用したと思われる廃木が散乱していた。B〜Cの間の林は椎茸の栽培が行われている様であるが、築堤で高低差があるために軌道部分は利用価値が無かったものと思われる。久し振りに軌道敷き跡に戻ったものの、路盤はブルドーザーの類で表面が削られており、軌道敷き跡と言うよりも開墾途中の畑と言うべき路盤状況である。ルートは軌道敷き跡らしく真っ直ぐで、谷間を目差して麻生釣方面に伸びていることが確認できる。再び軌道敷き跡を走れる歓びが先行し条件の悪い路盤を進む。左には涌蓋牧場の私道が急激に高度を上げながら併走しているのが確認できる。ものの100mも進むと左手に牧場の施設が建てられているが(D地点)、ここを境に路盤の状況は更に悪化する。
畑のような柔らかい地盤に浮いた石、大きな溝を形成した轍など、一見すると車輪を持った乗り物の進入が疑わしくなる状況である。ここでトリップメーターを確認すると6kmを表示しており、下調べの距離から逆算すると残りの距離は1.5kmと言うことになる。前方左手には軽の箱バンが駐まっているのが確認でき、後半の橋梁群の散策を次回に順延してでも麻生釣までの走破を決断した。箱バンが駐まっている位置までは比較的開放的な地形であったが、そこを過ぎると廃林道さながらの光景に急変する。画像はE地点を過ぎた辺りで菅原方面を振り返る。(F地点)
軌道敷きは切り通しを抜け、どんどん山中に分け入る状況へと変化する。 下調べは航空写真しか入手できなかったのであるが、等高線の入った地図とは違って地形の特定が出来ないままであった。特に高低差の激しい地形では立体感が得られず、軌道は山の斜面を横切りながら高度を上げてゆく様に敷設されていたものと想像していた。
従って現役当時の車窓からは、右手の上り斜面に杉林、左の下り斜面に牧草地という、牧歌的な高原を行く景色が見えていたと思っていたのである。しかしながら、現実の光景は開拓地の林道さながらのルートであり、この先も木のトンネルをくぐり抜ける閉鎖的な悪路が延びているだけである。行く手に不安を感じながら、さしたる景色の変化もない廃林道を進んだ。前方にトラックが見えたので、情報収集の機会に期待することにした。少なくともその位置までは進行が可能であろうし、地元の情報は何よりも頼りがいのある石杖である。トラックは町の委託で林道管理の為に乗り入れた様子で、余りいい顔をしないながらも通り抜けできる旨を教えてくれた。所有者も町であり、立ち入り禁止でもない事を確認すると走破の決断は揺るぎないものとなった。(H地点)
起点(宝泉寺)から6.69kmの地点(G地点)で見つけた表示杭。 路盤にはバラストが残り、1/2の表示も読める。
H地点を過ぎた辺りより菅原方面を振り返る。前方の森が深くなっている地点がHである。 (帰路に自動車で再訪したときに猪と遭遇した地点)この地点までの距離は6.87kmであり、逆算すると600m少々と言うことになる。これより先は野焼きをした痕跡も見られず、路盤の状況も不安であるが、少し先より開放的な景色も広がっているように見える。「通り抜けできる」との情報と残りの距離を励みに再び踏み出すが、直ぐに右カーブとなり勾配が急になってくる。 写真撮影した地点は比較的開放的で路盤の状態も良いが、浮いたバラストと勾配が災いし、押して歩いた方が数倍安全で確実な状況になる。
藪は急に激しくなり、少しでも状態の良い箇所を選んで進むものの蜘蛛の巣が多くなり、折った枝で払いながら進む最悪の条件に陥った。こうなると自転車は意味をなさず、単なる足枷と化していた。この辺りから涌蓋牧場との境界より北に逸れているのだと思われる。その後藪化は激しさを増し、自転車を押しながら徒歩で進むことすら躊躇される状況へと悪化したため、上着を羽織って自転車に乗り、強引にラッセルして進むことにした。(I地点)
ラッセルによる強引な藪漕ぎは数十mで終了しJ地点へと到着する。ここまで辿り着くと道路を行き交う自動車の音が聞こえるようになり、国道とは非常に近いことが判る。実はこの藪漕ぎを終えた地点は麻生釣駅ホームの端に位置するのであるが、周囲の藪化が激しいために駅構内跡まで到着したことに気づきにくいのである。