トンネルを抜けると200mほどで再び坑口が待ちかまえている。名板の文字もハッキリと残っており、第一銅尻トンネルであることが瞬時に判明した。
第一銅尻トンネルで、延長125.20mとなっている。
このトンネルは右カーブになっており、鉄道時代のバラストが一番残っている個体である。 出口は見えているが、浮いたバラストによりこれまでの倍近い時間を要した。
第一銅尻トンネルを抜けると100mほどで第二銅尻トンネルが待っている。 これまでとは違い、真っ直ぐで長さも非常に短いのが手前からでも確認できる。同行のU氏が「ミニトンネルですね」と微笑んで言ったが、確かに可愛らしさすら覚える容姿である。
長さが短いために内部にも雑草が生えているのが散見された。長さが長さだけに通過には20秒ほどしか要さなかったが、ここで重要な間違いに気づくことになった。
第二銅尻トンネルの串野側坑口。 9月2日にこのルートを発見した際、4つのトンネルを抜けると右下に川底温泉の灯りが見え、その時点で何らかの施設の敷地を利用してUターンしたと記憶していた。日没を迎えたためにトンネルの長さ自体は印象に残っていないが、ここまでのルートでUターン出来るようなスペースが確認出来ていないのである。トンネルを出てから旋回場所を探した記憶があるが、出口からはそれほど距離が無かったような気がしていた。しかしながら出口以降も崖と森が延々と続いており、とても乗用車がUターン出来るほどのスペースが在るとは思えないのである。
今回は途中で折り返すつもりではなく、最悪でも菅原踏切(仮称)までは通り抜ける計画である為、その確認も兼ねて先を目差した。 なんとなくスッキリしない気持ちのまま菅原踏切(仮称)を目差していると、200mほどで5つ目のトンネルが待ちかまえていた。つまり9月2日の時点でトンネルの数を4つだと間違えたまま認知していたのである。
涌いて出た様に姿を現した5つ目のトンネル。 勝手に川底トンネルと命名した。
坑口からは内部が左にカーブしているのが確認でき、長さもそれなりに長いことが判るトンネルである。 自転車のハンドルバーを三脚代わりに撮影したために画面が右に傾いてしまったが、未舗装トンネルの中で最も路盤の状態が良い個体である事が画像からも確認できる。実際に走行しても快適で、120mの長さを1分半ほどで走り抜けている。 残念ながらどちらの坑口も名板が失われており、固定していたと思われるアンカーボルトだけが残されていた。従ってDVD(埋もれた轍)の解説にあった川底トンネルは当該トンネルだと思われる。
トンネル出口からは雑草が深くなり、僅かな轍部分を選ぶように走行しなければならない路盤状況になっている。轍部分以外にはバラストが残っており、午後の日射しが照りつける残りの行程は決して楽しいとは言えないものであった。トンネル出口より300mほど進んだ地点で右側の森が開けた場所に着いた。木立の隙間からは眼下に温泉街が見えており、振り向くと山の麓にポンプ小屋が建てられていた。9月2日にUターンしたのはこの場所の様である。
軌道敷きから見下ろした川底温泉街。
この場所から進むと直ぐに視界が開けてくる。菅原地区の町道と併走する地点まで辿り着いているからである。町道とは高度こそ違えど殆ど離れておらず、開けた視界の前方には踏切跡と思しき別荘地の案内板が見えている。踏切跡が近づくに連れて町道は高度を上げ、併走しているのが目認できるまでに近寄ってくる。この踏切まで辿り着いた時点で前半の行程は終了である。踏切付近は軌道敷きが町道の拡幅時に削り取られており、踏切が近づくに連れて狭くなっている。
踏切跡地では完全に町道に接収されており、町道を横切った位置では道路に挟まれる様に空き地として残っている。 当時の航空写真を見ると右の町道は真っ直ぐ続いており、左の町道はクランク状に折れながらほぼ直角に踏切を渡っていたようである。ここまでの距離は4450mで、実走時間は30’15”であった。