高千穂駅跡の構内を堪能した後、高千穂駅から続くはずだった未成部分を探索しに行きました。今回は珍しく(汗)、工事線・予定線のだいたいのルートは事前にGoogle MapやWebGIS等で予めチェックしてました。しかし、いざ現地に着くといつものように「あそこアヤシイな→直感でグングン突き進む→どうやら違うらしい→違う細道を進む→遺構確認→あそこアヤシイな→以下ループ・・・」こんな感じの探索になってしまいました。
まずは、高千穂駅の先端の車止めの先にある駐車場へ。ここからは軌道自転車が留置されていた車庫がよく見えます。
線路は予定では、上の写真の駐車場の裏にある高千穂町総合運動公園あたりを通り、国道325号線を跨いで「葛原(かずらわら)トンネル」へ続いていたようです。昭和51年の空中写真には国道を跨いでいた「葛原橋りょう」が見えています。その橋りょう跡付近を見て、葛原トンネルの高千穂側坑口を探索しようと思ってたんですが、前を走るトラックに気を取られ通りすぎてしまいました。戻るのも面倒だったので、そのまま高森側の坑口へ来ました。ここは「トンネルの駅」として観光スポット化しています。もうかなりメジャーになったんじゃないでしょうか。
夢見路公園開設時に高千穂側に立てられた擬木の案内板は、葛原トンネルの坑口前に移設されていました。そろそろ板面の改修時期では・・・
トンネル銘板。特1号型といえば交流電化に対応してるわけで、様々な「たられば」が重なれば、883系や885系が疾走する光景がみられたかも!?
壁には国鉄清算事業団が所有していた頃の概略図や構造物の写真などが展示されています。
まだ高架橋や橋りょうが残っていた頃の写真に釘付けになりました。頭の中で空中写真と地図とこれらの写真を合成(妄想?)して、あそこはコレがあったのか!ここから見る景色はこんな感じだったのか!と、しばらく見入ってしまいました。私が初めてこの地に来た時には既に撤去されていたのが残念でなりません。あと1〜2年早く来ていたら、この目で見れてたのになぁ・・。
樽が並ぶトンネル内は酒好きにはたまらない良い香りが漂っています。
「葛原トンネル」と「第1坂の下トンネル」の間にある「第1坂の下橋りょう」と路盤跡は「夢見路公園」になっています。コンクリート橋梁上には「48647」蒸気機関車が静態保存されています。屋外なので劣化も早いだろうなぁ。橋梁上なので再塗装とかメンテが大変そうだなぁ。
「第1坂の下橋りょう」の橋台に貼られていた橋銘板。
この公園は出入り口が高森側にしかないのが致命傷。せっかく整備してるのに、なんか寂れてて悲しいなぁ。トンネルの駅とは繋がっていれば、人の往来があるんだろうけど・・・。まぁ、公園が先でトンネルの駅があとから出来たので仕方ないですね。
「夢見路公園」の高森側にある「第1坂の下トンネル」の間の壁には撤去された構造物の銘板が貼られています。初めて探索した時と同じ枚数ちゃんと揃ってる。当時は心ない奴が持って行かないかと心配したもんだが(汗)
「第1坂の下トンネル」高千穂側坑口。この時期はどこに行ってもモジャってて嫌ですな。ここまでは何度も来た所。この先からは初探索となります。バイクなんで小回り利かせていっちゃうよ。
国道と反対側の「第1坂の下トンネル」を迂回するような里道を進み、窪地になったところを国道側へ降りてみたら橋台跡が見えました。あのモジャ具合は近付く気にならん!あの橋台の奥には「第1坂の下トンネル」の高森側坑口が眠っているんだろうなぁ。
ちょっと引いて見たところ。ここに高架橋が架かっていたようです。写真右側の奥には撤去済みの「第2坂の下トンネル」があったんですが、行くの忘れてました(汗)
足元には「工」が残っており、ここに鉄道構造物があったことを伝えています。
撤去された「第2坂の下トンネル」から上野駅予定地手前の橋台跡付近までは工事が行われてなかったようなのでスルーしました。前回も探索した国道そばの橋台跡を見て満足したので(笑)次へ進みました。上野駅予定地からは国道を跨ぎ(写真は葛原トンネル内の高千穂線概況写真にあり)、上野川を渡り(第5上野川橋りょう→未成線本に写真あり)「第1上野トンネル」へ続いていたようです。そのトンネルの坑口は国道の対岸の道路の橋の下にありました。
下を見てみると扉で閉ざされた「第1上野トンネル」の坑口がありました。普通に道路を走ってたら間違いなくスルーしてしまいます。私も通りすぎてしまいましたし(笑)
親柱には「国鉄高千穂線」と刻まれた橋銘板がありました。そういえば、油須原線の本村トンネルそばの橋にもこんな銘板ありましたね!
橋の上から高千穂側を見たところ。写真見ただけでは何が何やらさっぱりわかりませんが、現地に立つとなんとな〜くスジが見えてきますよ(笑) 中央の竹林あたりを通って「第5上野川橋りょう」が建設されていたようです。
ここでトラブル発生。橋への坂道の途中に停めてたアイドリング中のバイクからオイルが漏れてるじゃありませんか!ポツッ、ポツッと滴り落ちるとかじゃなく、ボタボタボタ〜っと。焦ってエンジン止めたらオイル漏れも止まったものの、なんか嫌な感じ・・・。平らな所で始動したら漏れは止まったままだったので恐る恐る探索再開。しかし気分は一気にトーンダウンorz
「第1上野トンネル」は1,360mと長く、山の向こう側の田原地区へ抜けていました。抜けてすぐに「第2上野トンネル」がありました。が、本当ならば、その「第1上野トンネル」の高森側坑口や「第2上野トンネル」の高千穂側坑口を見る予定でしたが、オイル漏れが気になって道を間違えた上に、この写真の坑口を「第1上野トンネル」と勘違いしてしました。本当は「第2上野トンネル」の高森側坑口です。ここについた時点でオイル漏れは止まったままなので、この先は一気に片付けることにしました。
上の写真の所から高森側を見たところ。鉄道建設時の土留壁が残っていました。
この辺は高低差がある地形なので、トンネル部分や高架橋部分が殆どだったようです。「第2上野トンネル」から少し坂道を下ったところに橋台跡が残っていました。
この断面ををみると思わずニヤリしてしまいますね。1979-8の文字が刻まれていました。反対側はトウモロコシ畑になっていて何もありませんでした。その先にも橋台跡が残っていましたが通りすぎてしまいました。その先は長い高架橋が造られ、田原駅予定地があったようです。
坂道を下り道なりに進んだところにある三叉路に屋根付案内板がありました。この案内板には高千穂線のラインが引かれています。
※案内板には個人名が掲載されているのでボカシを入れています。
拡大してみるとよくわかりますね。地図内の集落センターから北バス停付近まで引かれたラインが高千穂線の高架橋部分です。この案内板の位置からは高架橋がよく見えていたと想像出来ます。のどかな田舎の風景には不釣り合いな構造物だったかもしれませんね。高架橋跡付近には「工」が転がっていました。高架橋の先が田原駅予定地で、その先は田原トンネル(未完成)を抜けて河内地区へ続く予定でした。田原駅予定地付近は杭や橋台跡があるようだけど、オイル漏れも気になってたので、そのまま河内方面へ進みました。
河内駅予定地は消防団の倉庫付近とのことだったので、とりあえずバイクを止めて休憩と点検がてらに探索しようとしたところ・・・あれ?何か埋まってるぞ。
少しほじくり返してみたら・・・うぉぉぉ!用地杭発見!田原からの構造物は造られなかったけど、用地買収だけは済んでいたようですね。この発見だけで満足したので、他は探索しませんでした(汗) もしかしたらこの上の方にも残っていたかもしれません・・・。予定では河内駅予定地の先ですぐに河内トンネル(未完成)に入り、日向泊駅予定地を通り、高森トンネルへ続くはずでした。日向泊駅予定地も用地買収してたんでしょうかねぇ?予定地は日向泊の集落の山を越えた反対側のようだし、前後の工事も行われてなく実態もよくわからんので今回はスルーしました。
国道へ戻って高森峠を下っていきます。途中で左に曲がって、家族と一緒のときは絶対通れない(酔う人が2名いるので)旧道を楽しみながら下ります。途中、謎のとんがり屋根が見えました。もしかしてこれは、高森トンネルの立坑!?
さらに下ると、墓地の下にトンネルのようなものがありました。ん?これはもしかして高森トンネルの斜坑ではないのかな!?
今回の探索の最後に「高森トンネル」へ来ました。幸いにもオイル漏れは止まったままだったので、そのままトンネルに入りました。7月に来たばかりだけど、まぁいいか。
16時過ぎてたけど観光客はパラパラいました。残念ながら湧水館は16時までだったので閉館してた。資料見たかったなぁ・・・。
今回は折り返し視点で水を戴きました。ペットボトルにも入れて家まで持って帰りましたよ。家の水よりも美味しいような!?気がしました。
今回はじめて気づいたけど。非常時に備えて担架が設置してあるんですね。
来るときに見た謎のとんがり屋根はやっぱりこれかなぁ・・・。ステンドグラスになってるのも写真を見るまで気づきませんでした。立坑の下に来ると眼鏡が曇って見えなくなるもんねぇ。んで、そのステンドグラスの絵柄は阿蘇五岳のひとつの根子岳になってたんですね。涅槃像の顔の部分ですな。
今回の探索はちょっと時間配分をミスった点もあり、色々と欲張り過ぎて廻れなかった所もあり、さらにはエンジンオイル漏れトラブルもあって、本気モードの探索とはいきませんでした。だから、必ず再探索するよ。今度は冬〜春ぐらいがいいかな。高千穂以南の廃線探索も一緒にするとなると一泊せないかんね。