道路を挟んで東側の空き地にこの看板は立っている。 おぉ?空き地の中に立っているのはキロポストではないか!
そう、これはまさしく9.5キロポスト。唯一現存するものだ。
例によって八尋駅から室木駅までは立派な道路ができていて、県道55号線宮田遠賀線と名乗っている。もうここまで来ると鉄道の遺構もへったくれもないが、緩やかなカーブと真っ直ぐな道路が、ここに線路があったことを思わせる。ここに線路があって、戦後の復興時期を石炭とともに日本経済を支えてきたという歴史でさえ、人々の記憶の中からもだんだんと薄れていくのであろうか?
室木駅構内跡。この駅の構内が一番広く思える。駅舎などは跡形も無く消えている。跡地の一角に会社が一軒建っているぐらいである。ここの線路道はいがいと交通量が多い。それもそのはず、もともと線路の東側の川に沿って北向きに走っていた、宮田町から鞍手遠賀北九州方面へ抜ける県道55号線がこちらに移ったからである。いわば新道ということである。こっちのほうが、狭くてグネグネ曲がった旧道よりも断然走りやすい。
構内跡のところどころに柵が残っている。線路のない道を車で走っていて車窓にこの柵が見えると、ふっと探索心に火がつくのは私だけではないと思います。奥には新幹線がパンタグラフをスパークさせながら走っていくのが見える。
室木線最大の売地面積のようだ。果たして買い手は見つかるのであろうか?奥に見えるのは九州自動車道。
室木駅では無用になった石炭時代の貯炭ポケットや側線を撤去して、山陽新幹線開業のためのロングレール造りのための国鉄下関工事局室木軌道工事区が設置された。ここで造られたレールを室木駅より数百メートル南の新幹線軌道まで運ぶために臨時の線路が作られ、右はその時の築堤の跡。その功績を知ってか知らずか、0系新幹線が轟音とともに通過していった。