古月駅構内跡。一般道奥の下上原線上原橋より見たところ。駅舎は中ほど左にあった。今は当然のことながら空き地になっていて、国鉄清算事業団の立入禁止の看板とともに柵に囲まれ、雑草の茂みに覆われている。広い構内の右側にある工場は廃線当時のままだ。古月の駅名は、周辺の古門、木月という地名からつけられた。
ちょうど駅舎のあった所に国鉄清算事業団による売地の看板が立てられている。この右奥には立入禁止の看板が立てられている。
この国鉄清算事業団による土地売却のお知らせは、新聞の広告欄で時々見ることがある。鉄道用地も勿論だが、職員宿舎なども売りに出されている。しかし、バブルがはじけて何年かたった今、場所が場所だけに売れる見込みはあるのだろうか?
欄干の色が美しい倉板橋より見たところ、近年までは鉄道時代のボロい橋が残っていたのだが、どうやらつけ替えたらしい。同時に切通し部分の壁もきれいに整備されていた。線路跡はご覧のように道路化工事が進んでいる。
鞍手駅構内跡。どの駅にも言えることなのだが、とにかくバカみたいに構内が広い。それほど、炭鉱全盛期の頃は凄かったんであろう。ここに石炭車がずらっと並んでいた様子が頭の中に浮かびます。しかし、炭鉱閉山後は用なしになった、石炭を上から落とし込むホッパーや必要以上の側線などが無残に放置されている様子も脳裏に映し出された。前はここにも国鉄清算事業団の売地の看板が立っていたのだが・・・。もしかして、売れちゃったのかな?筑豊本線にも鞍手駅があるが、こちらは室木線廃止の転換交付金で室木線廃止の2年後、昭和62年、奇しくも室木線開通の7月1日に開業した。
駅のそばにはローカル線の駅にはつきものの農協の倉庫も残っている。この倉庫、結構大きいので、遠くから車を走らせてもよくわかる。その前には道路建設工事関係者のプレハブ小屋が線路跡に沿って立っていた。
鞍手駅の農協倉庫前から次の八尋駅手前の県道55号線と29号線のクロスする新北交差点脇まで工事区間が続いていた。この交差点から先、室木までは、新しい県道55号線を名乗っている
八尋(やひろ)駅構内跡。この駅も構内が広い広い。新しく通した道路の両サイドに雑草が生い茂った広大な空き地が縦長に(南北方向に)広がっており、奥には、廃枕木で作られた柵が、朽ち果ててはいるのもあるが。ところどころに見る事ができる。バス停には駅時代の名前がそのまま、八尋とついていた。バスの運行本数は・・・まぁ、確かに列車時代よりは増えてはいるものの・・・。