1920年、貝島炭鉱六坑から当時世界一といわれた充填用砂を保有する幸袋町の庄司(現在の飯塚市庄司にある陸上自衛隊飯塚駐屯地付近)までの8.0キロを開設。1926年8月、桐野(後の筑前宮田駅)より六坑〜二坑間に新設された六坑(宮田)分岐点まで0.7キロ開設。他に各坑まで支線を開設。1964年11月、庄司〜二坑間の4.8キロを廃止。1971年11月、二坑〜宮田分岐点間の2.0キロを廃止。1976年6月、六坑〜筑前宮田間の1.9キロを廃止。最後までSLが走っていたことで有名。ドイツのコッペル、アメリカのアルコが活躍していた。今は、宮田町石炭記念館、直方市石炭記念館などに静態保存してある。ちなみにこの鉄道は、かつて充填用砂を運んでいたことから充填汽車と呼ばれていたようである。充填用砂とは地下から石炭を掘り出したあとの坑道に陥落が少なくなるように水と一緒に流す砂のことで、これは貝島独特のもので、当時は学会や炭鉱などで非常に大きな反響を呼んだようである。線路跡が確認できるは、六坑〜筑前宮田間のわずかな盛土と橋梁跡、六坑分岐点から二坑へ向かう線の橋梁跡や切取跡、さらに庄司に向う線では、本入溜池付近の橋台や県道74号宮田小竹線から飯塚駐屯地敷地まで続く盛土・トンネルなどがある。
全盛時のデータは、総距離18.6キロ・トンネル3ヶ所(263m)・橋梁37ヶ所(597m)・軌間1067mm・使用軌条30Kg/m・最高速度25Km/h・閉塞方式/通票閉塞
筑前宮田駅前のロータリーから左へ向って、駅構内跡をまわるようなかんじの細い道路を少し歩くと左側(宮田方)にこの橋台が出現する。この橋台の裏の築堤を進むとすぐに…
県道21号線の羅漢橋付近から犬鳴川方面へ向かって残っていた築堤の一部が撤去され、道路化工事が始まっていました。将来的には、この先の犬鳴川を越えて、犬鳴川…
定点観察シリーズ。
2002年2月11日に撮影。犬鳴川に残っている橋脚と橋台跡が道路化の波に飲まれようとしています!目の前にはユンボの魔の手がぁ(笑)…
広い筑前宮田駅構内のはずれの方に貝島炭鉱専用鉄道の短い橋台跡が残っています。コンクリート製で筑前宮田の手前で分岐していたのか2線分ありました。家庭菜園と化している路盤跡が…
宮田線筑前宮田駅跡そばの高台から専用線・六坑方面を見たところ。矢印部分が専用線跡。上の写真の左の矢印にある橋台跡。複線分ありました。六坑方の路盤上で分岐…
先日、陸上自衛隊飯塚駐屯地創立記念行事に行ってきました。ここはかつて貝島の運炭線が延びていた所。ここから坑道充填用の山砂を運んでいたそうな。国土変遷アーカイブ(リニューアルし…
先日、宮若市石炭記念館で開かれている「貝島炭礦専用鉄道」写真展に行ってきました。 写真の殆どが「けむりプロ」による「貝島炭礦鉄道1961-1964 」として出版されていたものからで…