平恒駅跡から上山田駅跡の先までは完全に道路化されており、飯塚方面への重要生活道路に変貌した。平恒を出ると、左手に謎の煉瓦造りの建造物が2基ある。子供の頃これが何であるかわからず、とてもミステリアスな存在だった。実はこれ、付近にあった三菱飯塚炭礦の巻き上げ機の台座なのである。筑豊にはこのような日本経済を支えていた炭鉱遺構が大小数多く見られる。
先ほどの遺構を過ぎてしばらくで臼井駅へ着く。臼井駅手前の切り通し部分は今は埋められて、線路跡の道路をアップダウンの坂にして線路をオーバークロスしていた道路と交差点になっている。
臼井駅構内跡を平恒方から見たところ。いかにも駅がありましたというような長い不自然な空き地、今から4車線道路のバイパスでも作るのか?(そんな話はありません)というような空き具合ですね。
駅跡には消防団の車庫がありました。その背後に雑草に埋もれながらもホームの一部が残っていました。ほんと短いごく一部です。おもわずホームの上に立って、当時の情景を思い出しました。臼井駅は碓井町にあったんですが、おや?どちらも『うすい』なのに表記が2つあるんですね。紛らわしいよなぁ。今も時々誤変換してしまいます・・。
筑豊のほとんどの駅から、数多くの炭鉱専用線が延びていたんですが、この臼井駅からも炭鉱の専用線がありました。それはまた次回にでも・・。
臼井駅を出ると左に大きくカーブして大隈駅へと向かっていました。車窓から多く見えたボタ山も姿を消して、今はのどかな田園風景になっています。
大隈駅跡はちょっとした交通公園になっており、腕木式信号機と3灯信号機が残されています。歩道も線路風?にペイントされていました。