大隈駅を出て、国道211号線を渡ると左手に見える嘉穂工業高校の下を通り、日吉峠へ向かって真っ直ぐ進んでいた。築堤もあったんですがとうの昔に無くなってしまいました。線路跡の道路は一旦ここまで。坂の途中にある西鉄バスの転回場の裏に嘉穂信号場があった。写真は大隈方の小高い丘にある葬祭場の駐車場から見たもの。中程に見える小屋が信号場跡。上山田線は右手から、漆生線は左から近づいてきてここで一つになっていた。廃線後の1993年頃に初めて行った時には、まだ雑草に埋もれることなく構内を歩けた。小屋の中もよく覗けたが、今はご覧のように緑に埋もれてしまった。
西鉄バスの転回場の裏。細い踏み切り跡にレールが残っている。この信号所から下山田方面へ向かって短い区間ではあるがレールが残っていた。以前、信号場内に入った時はここの踏み切り跡から入りました。
踏み切り跡から構内を見たこところ。朽ち果てた電柱と電灯が破棄されてからの年月を感じる。
信号場を出ると林の切通しを通る。細い路地に民家が数軒並んでおり、その裏を線路が通っていた。その上は峠のサミットで、先ほどのバス転回場から続く道路が線路上を交差していて、下り坂になると右下に線路跡が見えてくる。そこには古びた跨線橋と信号機が残っていた。
日吉峠の切り通しを越えた線路は新原トンネルという短いトンネルを抜けて下山田へと続いていた。今はトンネルのあった山を切り開いて道路が出来ている。
トンネルのあった部分には右の案内板がある。その反対側にはログハウス風のバス停留所があり、室内に展示されている写真の中にはこのトンネルをトロッコが走る貴重な写真も見ることができる。この新道となった線路道をしばらく進むと下山田駅跡に着く。
下山田駅跡。
団地の前の緑地帯に駅があった。ここにも鉄道施設を置いてほしかったなぁ。
↑18きっぷで渡り歩いていた時に買った入場券。
上山田駅跡の構内はさすがに広く、炭鉱全盛時の凄さを実感させられる。しかし今となってはこの空虚感がなんともいえない。構内には西鉄バスの営業所があったと思ったんだが、その痕跡が無い。無くなっちゃたのかな?駅前にはいかにもそれとわかる町並を形成していた。2000年10月に訪れたときは、道路脇の長い構内跡に山田市生涯学習センター(仮称)を建設中でした。←山田市生涯学習館としてオープンしました。こちらへ