上山田線を経て豊前川崎に到達した油須原線は、豊前川崎を彦山方面へ少し下った辺りから分岐していた。画面中央に小さく見える勾配票のある所が日田彦山線。右へ進むと豊前川崎である。元々ここは豊前川崎〜第二大任/1.9kmの貨物支線で、歴史は古く、明治39年1月12日に九州鉄道の手により開業しており、昭和45年1月3日まで営業していた。
このコンクリート橋から察すると、単線であったことは間違いなく、油須原線はこの貨物支線を通る予定だったようだ。
上のコンクリート橋から大任方面へ少し進んだところで、県道95号線とクロスする。ここはその踏切跡のようである。踏切機器等の跡は見られなかったが、レール製の柵が残っていた。
その柵がこれ。その断面からはっきりとレールであることがわかる。
その踏切跡から大任方面を望む。線路跡は町道へと姿を変えている。左奥付近が第二大任駅跡と思われる。
その町道の並木の空き地に3枚のスラブ軌道の板が放置してあった。油須原線敷設用のものであろう。購入後そのまま放置されていたのか、敷設したのを取り外して置いたのかは謎である。
あとで発覚したが、このスラブ、軌間を見るとどうも新幹線のものらしい。しかし、なぜこんな所に!?
町道のそばには炭鉱の遺構が3基残っている。この右奥にも給水塔のような炭鉱遺構が残っている。貨物線が炭鉱のすぐそばまで来ていた証拠である。
第二大任駅跡の横を東へ進む油須原線は、画面正面にある森をトンネルで越していた。トンネルの坑口は画面中央の下あたりにあったが、新道の下に埋まってしまった。私が学生の頃はトンネル坑口もしっかり残っており、レールもPC枕木も残っていた。
この町道を通り森の向うへ抜けると、トンネルの大任側の坑口を見ることが出来る。ここの路盤にもPC枕木+レールが残っていたが、今は剥されているようである。