筑肥線の虹ノ松原駅から唐津線の唐津駅〜西唐津駅を経て、呼子へ続く計画だった。当初、国鉄によって進められ、1961年に予定線、1962年に調査線、1964年に工事線となる。同年発足した日本鉄道建設公団に継承され、1968年に着工される。用地買収の済んだ所から着々と工事が進み、各所でトンネルや高架橋が完成していった。しかし、唐津市内の一部で土地買収が難航、完成まであと僅かというところで、1980年に国鉄再建法が施行される。ローカル線廃止ボーダーの輸送人員4,000人に届かず(3,200人)、予算が凍結され工事がストップした。但し、虹ノ松原〜唐津間については、筑肥線の電化・線路付替えに利用されることとなり、1983年に開通して現在に至る。その後、残工事区間が再開されることは無かった。巨額を投じて建設された高架橋やトンネルは、1990年代後半に解体・封鎖されていった。呼子町・鎮西町に残っていた線路敷やトンネル・橋りょうは、そのまま道路に転換再利用されている。
1998年5月にここを訪れたときに撮影したものを紹介しています。同年11月にも訪れたんですが、呼子町・鎮西町内は、ほぼ全線がサイクリングロード(農道!?)に転用されており・・・
今回も唐津バーガー&イカ食べツアーという名目で唐津〜呼子へ行ってきました。唐津市内の遺構は今回も通過するだけだったので(本当はじっくり行きたかった)、呼子周辺の遺構・・・