1998年5月にここを訪れたときに撮影したものを紹介しています。同年11月にも訪れたんですが、呼子町・鎮西町内は、ほぼ全線がサイクリングロード(農道!?)に転用されており、前回とそんなに変わっていません。唐津市内の状況は目も当てられませんでした。訪れる度に崩されて消えてゆく盛土、以前は少し残っていた高架橋も今はもう無く、トンネルには蓋がされ、上の写真の高架橋も今はもう無い。なんとかして、利用できなかったものかと悔やまれる。
上の写真の場所から呼子方面へ向うと、左手に、遊歩道とも農道とも見える線路敷を流用した道が見えてきます。
ここから唐津方面へも道が作られており、2つほど短いトンネルを抜けたところで切れていました。
トンネルには銘板が付いていました。
第1大友ずい道
第2大友ずい道
トンネルを抜けると、このような山を切り通したまっすぐな道になる。
海もよく見え、とても風光明媚な景色だ。列車の車窓から見ることが出来ないのが非常に残念でならない。
しばらく海を眺めながら進んで行くと、呼子トンネルを通る。トンネルが通行可能というのは拍手モノである。ちゃんと舗装してあるし。しかし、中でカーブしてる上に電灯も無いので気を付けなければいけません。カーブしてるトンネルに入るのは恐いねぇ〜。写真は呼子側坑口。坑口には封鎖していた頃の跡らしきものが見えます。
銘板も残っています。
呼子トンネルを出ると道路は横道に逸れますが、正面には線路敷きを利用した遊歩道があり、トンネルの右側にある学校へ続いていました。通学路にでも使っているのだろうか。
抜け出た道を線路敷きの法面に沿って下りていくと、先ほどの遊歩道のコンクリート高架橋が天空を横切っているのが見える。こういった無用の長物になってしまった構造物がちゃんと再利用されているのは大変嬉しいことだ。やっぱり地元にとって鉄道敷設は悲願だっただろうから、何らかの形にして残したかったのだろうか。
先程見上げた高架橋の先を追って住宅地へ入ると、宅地の真ん中に広い空き地があり、遊歩道もここで終了している。どうやらここが呼子駅予定地だったらしい。そこに立ってみると、なるほど駅構内の広さと土地形状だ。住宅街の道路にも駅構内の下をくぐり抜けるコンクリートの橋と橋の銘板を見ることが出来る。ここは高台になっていて、下ると呼子の漁港へ出る。漁港へ抜ける坂道からは呼子駅から先へ向って作られた高架路盤の一部と高い橋脚を見ることが出来るが、その先には跡らしきものは見つからなかった。開通していれば、この街はもっと活気が溢れていたことだろう。
橋脚を見上げる。やっぱ高いわ。存在感ありすぎますこれ。