2016年1月4日、香月線跡を探索した後、そのまま室木線跡へ廃線パトロールに行ってきました。写真は遠賀川駅の西側に架かっている歩道橋から遠賀川駅を見たところ。左に見えている線路は鹿児島本線、遠くに見えている跨線橋下が遠賀川駅です。駅の南側は農地が広がっていましたが、町による「遠賀川駅南地区まちづくり構想」で跨線橋が架けられました。
「鹿児島本線日豊本線架線範囲図及び信号機位置図(昭和52年12月)」より、遠賀川駅の配線図です。室木線は3番のりば(図の4番線)から発着していました。たまに博多方面へ向かう電車に乗った時、遠賀川駅の3番のりばにディーゼル機関車牽引の旧型客車が停まっているのを見て、いつか乗りたいなと思ってました。なかなか乗る機会が無く、初めて室木線に乗ったのは廃止される前年だったかな?で、既に気動車に変わっていました。客車は香月線の客車列車と共用してたようで、折尾駅の北側の短絡線を回送する姿を何度か見たことがあります。
室木線起点から0k119mの場所に「柳田川橋りょう」があります。位置的に島式ホームの2,3番のりばの西側にある橋梁のことだと思います。室木線が発着していた3番のりばは現在も使用中なので、室木線の構造物の中で唯一現役のものと考えていいのかな?
遠賀川駅遠望を撮った跨線橋の下を覗くと「山田川橋りょう(起点より0k441m)」の煉瓦橋台跡が残っています。左隣にあるのは鹿児島本線旧下り線跡です。
同じ跨線橋から室木側を見たところ。西川を渡る、重厚な煉瓦積みの橋台・橋脚が印象的な「新川橋りょう(起点より0k491m)」が今も残っています。室木線跡の右側は鹿児島本線の旧下り線跡です。かつてここには珍しいトラス橋が架かっていました。(こちらを参照/歴史的鋼橋集覧>歴史的鋼橋一覧 <福岡>>新川橋梁 )室木線が廃線になったあともしばらく残っていました。ここを通る度になんで鉄橋があるんだろう?って思ってました。過去の空中写真を見比べてみると、1989年から1994年の間に撤去されているようです。ちなみに鹿児島本線の新川橋りょうが架け替えられたのは、現在の上り線橋台の銘板の竣工が昭和42年(1967年)になっているので、それ以降だと思われます。1968年の空中写真では上り線は移設されていますが下り線はまだです。
いい具合に風化していますね。たまらんです。
室木線・新川橋りょう跡の全景。
鹿児島本線は次から次に列車が通過していくし、煉瓦構造物や錆びた桁をじっくり眺められるし、なかなかいいスポットだと思います。
煉瓦橋台を見ながら線路が敷設された順番を考えていました。後日、日本建設業連合会のサイト(前は鉄建協だった)の日本鉄道請負業史を調べてみると、赤間〜遠賀川間単線開業がM23.11.15で、複線開業がM43.11.3となっていました。室木線開業はM41.7.1だったので、鹿児島本線単線開通→室木線開通→鹿児島本線複線化という順番となります。
鹿児島本線単線時代が旧上下線どちらだったのかは分かりま・・・いや、歴史的鋼橋集覧には1910年って書いてあったので、室木線の隣が複線開業したときのやつですな。ということは鹿児島本線単線時代(=複線時の上り線)は現在の下り線の位置だったということですね。単線開業時の構造物は架替で撤去されているようで残っていません。室木線と隣り合う旧下り線は、北九州でよく見られるゲタ歯構造で繋がってる感じじゃなさそうでした。施工時期・順番を想像するのも煉瓦遺構の楽しみのひとつですね。
新川橋りょうの室木側にある踏切から遠賀川駅方向を見たところ。先に上げた写真は奥に見える跨線橋から撮影していました。
新川橋りょうの先には踏切があり、そのすぐ横に「土手溝橋りょう(起点より0k552m)」の煉瓦橋台跡、室木線が現役だった頃の車輌通行防止の半円形の柵が残っています。鹿児島本線旧下り線の煉瓦橋台跡も残っています。
煉瓦と御影石の組み合わせを見るとワクワクしますね(笑) この先に「川内橋りょう(起点より0k598m)」の煉瓦橋台跡が残っていますが藪の中だったのでスルー
(汗)
室木線の廃線敷が残っているのは川内橋りょう跡の先までで、それから先は新しく架けれた県道に飲み込まれます。
かつて第二丸の内橋りょうがあった付近から室木方向を見たところ。写真をクリックすると煉瓦橋台が残っていた頃が見れます。(左の家屋の位置を参考にしてください)
室木駅跡までの線路跡は全て県道55号線になっています。遠賀川駅方面からしばらく進むと古月駅跡を通ります。ここは駅跡を示すものは何もありません。かつては
写真左に見えている清新産業鞍手工場から肥料等を運ぶ貨物列車が運行されていたそうです。
写真クリックで1981年の古月駅の空中写真が見れます。ちょうど貨物列車が停車中です。(過去にwebGISよりDL加工したもの)
次は鞍手駅跡です。現在、筑豊本線にある鞍手駅とは別物で2代目です。写真はかつて駅舎があった位置から室木方向を見たところ。
鞍手町すまいるバスのサングリーン鞍手停留所の近くに古い用地杭が残っています。写真の中央付近にあります。わかるかな?
おなじみの「工」じゃなく「鉄道用地」と掘られている杭が残っています。
かつての鞍手駅前から駅舎、遠賀川駅方向を見たところ。ここだけ見せらても駅跡とピンとは来ないでしょう。え?来る?(笑)
田舎の駅近くにあった典型的な農協倉庫は無くなっていました。
次の八尋駅跡へ向かいます。八尋駅跡には古枕木の柵が残っている所が2箇所ほど、線路跡の県道西側に残っています。この写真は駅跡の遠賀川駅側に残る柵。
JRバスが運行していましたが、撤退後は町による運行になっていました。この空き地にキロポストが残っていましたが今はありません。
駅跡の室木側に残っている柵。こちらは遠賀川駅側よりもしっかり残っています。
県道を進み、九州自動車道の下を通ると室木駅跡。ここも駅跡を示すものは何も無い。
室木駅跡。駅舎があった場所はバス停の少し手前側。ここも町のバスが運行されているようです。写真クリックでJR九州バス時代の停留所が見れます。
室木駅跡の末端部分から駅舎方向を見たところ。写真左にあるのは古枕木柵の一部か?流用したものか?
山陽新幹線建設時はココから手前方向に運搬線があり、今も新幹線のトンネル付近には当時の盛土跡が残っています。