何年かぶりに福岡へ戻ってきた、遺構へ行こうの藪将軍こと倫堕さんとともに勝田線跡をウォーキングしてきました。かつて篠栗線と勝田線が分かれていた(分岐点ではない)場所にある柚須駅で集合。すぐにウォーキングスタート(笑) 写真は柚須駅から勝田線跡の歩道を歩いて振り返ったところ。奥に篠栗線の踏切が見えているのがわかりますか?その左側に柚須駅があります。緩いカーブが線路跡っぽさを感じさせてくれるんですが、この写真じゃわかりにくいですね・・・。
こちらは終点側を見たところ。ここも緩いカーブが続いています。線路跡はマンション、駐車場や工場等に挟まれた緑地帯となり、途中から道路に沿った幅の広い歩道となります。
しばらく歩くと旧国道201号線の県道607号線と交差します。ここは大規模に交差点改良や道路改良が行われているので遺構はありません。橋台が残っていたんですが、もうかなり昔の話になってしまいました。
県道607号線を通り越すと、目の前が御手洗駅跡になります。そこからは遊歩道整備された線路跡が続きます。御手洗駅の目印にしていた建物(こちらの駅名標の背後にある建物)が無くなっていたので一瞬わからなくなりました。
ここから志免駅跡の先まで続いている遊歩道の案内板。この案内図では最後まで繋がっていますが、現在は3箇所(県道24号線・イオン・県道91号線)で分断されています。
町工場やアパート等に挟まれた所を歩いていきます。
ここまで歩いてようやく第一用地杭発見!他にわかりにくい所にも残ってたかもしれませんが・・・。
緑地帯は一旦ここで終わり、空港へ続く県道を挟んで遊歩道は続きます。写真は起点側を見たところ。ちょうど空港へ続く道路を渡る時にtimeさんから携帯に電話があり、少し遅れて柚須駅からこちらに向かっているとのこと。しばらく待って合流後、3人でウォーキング再開。
途中、道路と並走する場所もあります。写真は左が線路跡(起点側をみたところ)。歩車道境界の柵は線路が現役時には枕木の柵が並んでいたんでしょうねぇ。
このトンネルを通過すると上亀山駅跡の公園。
結構広い公園です。廃線直前は1面1線の寂しい駅でしたが、駅用地は広かったんですね。
公園入口には駅跡をそのまま表した園名板がありました。このような駅名を名乗る公園は、ここに鉄道があったことを後世に伝えるのに良いですね。
園内には数本、杭が残っていました。これはトイレ前。
こちらは公園入口前、道路を挟んで反対側にある杭。
公園の先にも杭が残っていました。
しばらく歩くとコンクリート擬木の高欄や桁飾りが付いた橋を通ります。
この橋の下には当時の橋脚があります。少しコンクリートで嵩上げされてますが、桁を支える凸部分があるのがわかりますか?
橋を渡り終えると川に沿って木々のトンネル内を歩きます。
そして、かつては線路跡の緑道が続いていた場所に大きな道路が出来て廃線跡を分断しています。地図を見ると分かりますが、ちょうど写真の撮影位置から写真中心位置に続く緑道までの間、要は道路で分断されてる箇所だけが粕屋町なんです。だからといって志免町内にあれば分断を免れるわけじゃなかったんでしょうけどね。
先ほどの道路を横断して緑道の続きを歩きます。杭はしばらく歩いてポツン、またしばらく歩いてポツン程度に残ってます。この辺りに国有化前の南里駅があったようです。
転落防止柵も鉄橋をモチーフにしたデザインになってます。
こちらも同じようなデザイン。統一感があってよろしい。橋脚は当時のものを流用しているようです。
そしてさらにイオンで大きく分断されてしまいます。緑道の続きは広大な駐車場の先・・・廃線跡の緑道を歩くのは何ともないですが、ただの歩道を歩くのは苦痛以外の何物でもない・・・。
イオンで分断されてる部分も実は粕屋町。緑道が再開するここから再び志免町になります。ここまで来れば志免駅跡はもうすぐ。
イオンの手前にあったものと同じデザインの転落防止柵。ここの橋台は床石っぽく見える箇所がある。もしかして煉瓦の外側にコンクリートを打ったのかもしれませんね。
少し古めの杭。工の彫込が少し大きめです。コンクリートの骨材が他のものと異なっているので見分けがつきます。
ついに志免駅跡まで歩いて来ました。3人で話しながら歩いていると短く感じました。線路やホームが残されている駅跡はいいですねぇ。ホームから線路が離れてるから当時のものではない!などあーだーこーだ話しながら少し休憩。すると駅跡の写真を撮影している方が現れました。もしや同業者?(笑)
しめたんと腕木式信号機。いいねぇ。
かつて勝田線志免駅には香椎線貨物支線から分岐した短絡線が繋がっていました。勝田線の開業時は筑前参宮鉄道。香椎線の開業時は博多湾鉄道とそれぞれ別の私鉄だったので繋がっていませんでした。その後、1942年に九州電気軌道(→西鉄)となった時に博多湾鉄道の志免駅を筑前参宮鉄道の新志免駅(→この時、志免に改称)に統合、延長された際に出来たのが、この短絡線です。統合時の駅はこの橋台跡よりも宇美側にありましたが、1954年12月1日に300m起点側(廃止時の位置)へ移動したそうです。
志免駅跡の公園を抜けて緑道と道路が並走するこのあたりに旧志免駅(筑前参宮鉄道時代の新志免)があったようです。国土変遷アーカイブの空中写真や「今昔マップ on the web」で確認できます。こちらの地図では短絡線は描かれていませんが、空中写真ではハッキリと分かります。
ここまで歩いて結構くたびれました。ダラダラ歩いてきたので時間もかかったし、夜には倫堕さん帰福記念飲み会(こっちがメイン)もあるので、とりあえず博多方面へ戻ることにしました。私はバスの乗る前に1本飲んじゃいました(笑)
バスだと志免から博多駅まで20分ちょっとでした。1980年の時刻表をめくってみると、志免から吉塚まで15分くらい。乗り換え時間を考えると博多まで25分ちょっとって感じ!? 道路事情も違うので一概に比較はできませんが・・・まぁよく言われることですが、国鉄がもう少しやる気を出してれば・・・って話ですよね。