志免駅跡は志免鉄道記念公園として整備されており、ここに鉄道ありきを伝えています。壁には現役当時の写真が数点埋め込まれています。その中の志免町の航空写真では、線路がどのルートを通っていたのか一目瞭然です。また、香椎線の旅石貨物支線がどのように勝田線と繋がっていたのかもわかります。
後に見えるのは福岡の炭坑遺構では最大級で数々のメディアでも取り上げられることもある旧国鉄志免鉱業所竪坑櫓です。
公園内の入口には5台の「てこ」が保存されています。幼少の頃「てこ」って何だ?って思いませんでしたか?私だけ? 駅に近づくと必ず「てこ扱所」と看板を掲げた建物がありましたよね。ポイント切替をやってる所だなというのは分かりましたが「てこ」って言葉の意味がわかりませんでした(汗)
側線が沢山ある駅の「てこ扱所」真下って、各ポイントから集った鉄管が集中して沢山並んでいたでしょ。直方駅とか飯塚駅とか最高でした。それを見るのが好きでしたね。特に「くの字が2つくっついた形の鉄管途中にある機具」が好きでした。へんな子供ですね。
公園内にはホームとレールが残されています。ボロボロになった腕木式信号機となんとも中途半端な警報機があります。
竪坑櫓と腕木式信号機。
ともに日本の成長に貢献した産業遺構。
ホームがあって線路があって、とても理想的な鉄道公園ですね。保存車輌があればもっと最高!?しかし、吉塚側を見てみると・・・
何じゃこりゃぁ!逆踏切状態ではないか!!
実はこの道路、あろうことか鉄道公園を分断してしまったんですね〜。1996年だったか1997年だったか、彼女(今は嫁さん)と遊びに来たときは一つの公園でした。香椎線と旅石支線と勝田線を使って、方向転換できない列車の大回り方向転換大作戦(笑)の話をお弁当を食べながら力説した憶えがあります(笑)。いつだったか忘れましたが、公園を分断して道路工事が行われているのを見たときはショックでしたね。とても良い雰囲気の公園だったのに残念でなりません。最初から都市計画の一環として入ってたのかな?
道路で分断された公園の吉塚側のホームには駅名板があります。それにしても分断してる道路は混みまくっていましたね。夕方だったせいもあるけど、旅石支線跡の道路の交差点と公園前の交差点の信号が近すぎて、常に車が止まっていました。
こちら側の端にも腕木式信号機があります。こちらは原型をとどめています。