串野トンネル分岐点-菅原踏切跡(仮称)
串野トンネル分岐点から築堤までは不自然な急勾配になっているが、新旧県道が合流する際に、高低差のある築堤を削らなければ新県道が合流できなかった為だと推測される。急な勾配を登ると橋梁部分からは軌道敷きとしては自然な上り勾配に戻っており、直ぐに串野トンネルが口を開けている。坑口までの間は160mである。坑口の手前には二眼の信号機が設置されており、しっかりと仕事をしているのは9月2日に訪問した時点と変わりがない。
県道側からの串野トンネル内部。
坑口は非電化単線隧道の典型的な特徴である馬蹄型の形状であり、煉瓦巻きではなくコンクリートの型枠工法で掘削仕上げされている。この方法はコストと工期の両方が節約できる工法であるが、当初より宮原線自体が鹿児島線や日豊線の様に重要視されていなかったとも解釈できる。坑口手前からも内部は右カーブを描いている事が把握でき、照明によって照度も確保されていることが判る。坑口に近づくに連れて涼しい風が流れているのが感じられ、天井付近からの漏水が路面を濡らしている状況が照明によって照らし出されている。大きく右カーブを描いており、路盤はコンクリート舗装されている。
麻生釣側坑口より見た内部。
トンネル内部の路盤はコンクリート舗装されており、全体的に大きく描かれた右カーブによって出口は見えない。
麻生釣側の坑口にのみ名板が残っていた。それによると288mとなっているが、実測では300mあった。右カーブの左側、つまり外周付近を走行したために12m程の誤差が生じたものと推測されるが、如何に長くて半径の大きいトンネルであるかが判る。
分譲地入り口より麻生釣方面を望む。
トンネルを抜けると直線路になっており、200mほど進むと分譲地の入り口に到着する。路面の舗装はここまでで、これより先は踏み固められた土の未舗装路になっている。いよいよMTBの本領を発揮する領域に突入である。
分譲地入り口から串野方面を振り返る。 坑口は森の奥にあり、信号機はかなり手前に設置されている。舗装が途切れてからの路盤はしっかりと締まっており、轍部分はバラストが土中にめり込んでいる。 分譲地の入り口から50mほどの位置にビニールハウスが建っていたが、このハウスを最後に鉄道関係以外の構造物はいっさい見られなくなる。ハウスを過ぎた辺りで路盤は急に荒れ気味になり、轍間の雑草の伸び具合からも利用頻度が窺い知れる区間になる。周囲の風景はいきなり閉鎖的になり、さながら林道を走行しているようである。
分譲地との分岐点から200mほどで再びトンネルが掘削されているのであるが、坑口に辿り着くまでは軌道敷き跡であることを忘れてしまうほどである。低い切り通しと築堤により勾配は殆ど感じられず、単線軌道跡という狭い道は森林浴を楽しみながらのんびりとサイクリングするには恰好である。途中の谷間を埋めるべく築かれた築堤には短いながらもガードレールが設けられていたが、その脇で軌道用の表示杭が軌道敷きの跡であることをアピールしていた。文字は消えてしまって残っていなかったが、鉄道にそれほど興味がないために意味どころか何のための表示かすら不明のままである。
※キロポストだと思われます/otchee
表示杭の位置から50mも進むと、行程が単調にならないように次の坑口が待ちかまえている。 残念ながら名板の文字が消えており、名称は不明のままである。串野トンネルが右カーブだったのに対してこちらは左にカーブしている。 左カーブのこのトンネルは、さしたる特徴もないカーブのまま100mほどで出口に達するが、当日は蒸し暑かった為にトンネル内部のヒンヤリとした風は差詰め一杯の清涼剤である。