写真左の真っ直ぐ延びる道路は添田線跡。大任駅跡の手前から、油須原線跡の道路が近づいてくる。山越えへ向かって立派な築堤が残っていたんですが、今は見る陰もありません。添田線は20年前ぐらいに一度乗ったきりだけど、車窓に見えていたこの築堤は、今でもはっきり記憶に残っています。(2001年8月撮影)
大任駅は油須原線の中継ポイントとして通るはずだった。その駅跡は「大任町交通公園」として整備されています。その沿革はご覧の通り。油須原線に関しては触れられていない。開通してないんだから当り前か。(2001年8月撮影)
公園には腕木式信号機と車輪、レールがモニュメントとして設置してある。これはこれで、後世にここに鉄道ありきを語る、大変素晴らしいものなんだけど、欲を言えば、何か保存車両が欲しかったところですね。かつて日本経済を支えていた石炭王国筑豊の象徴として、セム・セラ等の石炭車1両でも置いてくれれば、またイメージが変わっていたように思う。イメージ的には負の方が強いんかなぁ。(2001年8月撮影)
これは保存車両じゃございません(笑)
この公園の隅にあります。
倉庫として使っているのでしょうかね?
(2001年8月撮影)
油須原線との並走地点より大任方面を望む。並走区間は結構長い。その間も油須原線側の路盤の端には錆で朽ち果てた手すり等が残る。添田線の目の前まで線路は敷設されていたようである。(2001年8月撮影)
先ほどの地点のそばに残る短い橋梁跡。手前が油須原線の「岩石橋梁」で、奥が添田線の「岩石架道橋」(それぞれ銘板より)である。油須原線は彦山川橋梁へ向かって勾配を上げている。(2001年8月撮影)
上の添田線「岩石架道橋」に残る交通標識と「けたに注意」。国鉄の文字が時代を感じさせる。この上には道路が通っているが、鉄道時代のコンクリート橋を活かし、増幅させる形で建設されているのがよくわかる。(2001年8月撮影)
上の地点より添田方面を望む。油須原線は進路を90度変え、彦山川を渡った後、川に沿って並走する。添田線跡は小さな切り通しを通りながら、次の伊原駅へと向かう。その車窓からは遠くに油須原線の大築堤跡が見られたはずである。今はそのほとんどが崩されているが。(2001年8月撮影)