香春を出た添田線は途中で日田彦山線と分岐していました。写真左側が添田線の跡。右側の日田彦山線は少しずつ高度を下げ伊田へ向かう。(2003年5月撮影)
しばらく両線の並走が続きます。写真中央に橋台跡が残っています。ちょっと遠くて見にくいねぇ、スマンねぇ。(2003年5月撮影)
日田彦山線と別れ平成筑豊鉄道(旧田川線)とクロスする手前に残る路盤跡。写真は香春方面を見たところ。踏切跡もきれいに整備され、レールの残っていた部分も撤去されてアスファルトが敷かれている
上の地点から添田方面を望む。
すぐそばに橋台跡が残っているのが見える。残念ながら柵がしてあるので、近づくことはできない。
上の地点から少し移動すると、橋台の様子がよくわかる。桁部分はすでに撤去されている。
平成筑豊鉄道の踏切より橋台を見たところ。左が添田方で右が香春方。ん、橋台跡の高さが違うように思えるんだが。崩されたんかなぁ。
平成筑豊鉄道をクロスして少しの間だが築堤が残っている。その先はご覧のようにスパンと切り落とされ、下を通る道路と添田線跡の道路とがT字になっている。当時は鉄橋があったんだろうなと思わせる場所です。
上の場所から勾配になっている線路道へ進むとこれぞ線路道!っというような直線道路が見えてきます。上伊田駅は消防倉庫のあるあたりにあったようであるが、駅の匂いを感じさせるものは何もなかった。その後、道路は坂を降りて平地と同じレベルまできますが、ここは緩やかな勾配のある築堤があったんだろうなと想像できます。
気持ちがいい直線道路を進んで行くと、あたかもサーキットのピットレーンのような側道が右手にあらわれます。その先には今任駅跡の小さな公園がある。周辺の集落を見てもなんとなくここに駅があったんだなという雰囲気が伝わって来ると思いますよ。公園自体には駅跡を示すものはありませんでした。