左は3キロポストのあった踏み切り(車の停まっている所)から磯光方の小さな橋梁跡。
右は磯光駅のホームから、すぐの宮田方の橋梁跡。この辺りも道路化工事が進んでおり、撤去の日も秒読み開始か?
磯光駅ホームより撮影。ごらんのように道路化工事のため、路盤はホームの高さまで土盛が施されている。ホームには鉄道沿線でよく見られる、枕木の廃材で作られた柵が残っている。左に見えるガードレールの付いた道路は、かつてここから大之浦炭鉱新菅牟田坑方面へ分岐していた貨物線の跡。貝島炭鉱閉山の翌年、昭和52年に廃止された。
左側はホーム。その上には道路工事関係者のプレハブ小屋が建っていた。そこにあった駅舎は跡形も無く消え去っている。写真は勝野方面を見たところでちょうど分岐していた場所。左が宮田線、右が菅牟田支線。その先には踏み切り跡が残る。今は完全にアスファルトで埋められて、道路工事中の看板と柵が立てられているが、数年前、訪れたときは廃材レールを黄黒の踏切カラーに塗られた柵と、機器ボックスが残っていた。
勝野駅から筑豊本線と分岐して2つ目の踏切跡。道路には停止線と鋲が残っている。後になって気づいたが、確か、筑豊本線の車窓から私に存在感を表していた、蔦にぐるぐるからまれながらも踏切を照らしていた照明灯があったはずだが・・。撮り忘れか?それとも撤去されたか?
ここから磯光駅の手前、県道南良津宮田線の踏切跡まで草に埋もれた路盤が続いていて、その県道に出るところには道路工事のプレハブ作業所が建っていた。そこから磯光駅までは例によって工事が進んでいた。
上の踏切から勝野側へすぐのところにガーダー橋が残る。レールと枕木は無いが(当然か)、なかなかいい状態で残っているのではなかろうか。奥に見えるのは筑豊本線。ちょうど赤い快速が通過中。その脇には電化のためか真新しいコンクリート柱が立っていた。電化完成後“キハ”達はどこへ行ってしまうのだろうか?
勝野駅からすぐのところに車通行不可の踏切跡がある。トラ模様の柵と片側が取れてしまっているクロスが残っており、ここは踏切であったことを語っている。そばにはJRの境界標が埋まっている。写真の場所のすぐ手前は筑豊本線が走っている。
宮田線の起点、勝野駅の3番ホーム。かつて筑前宮田行きの列車が発着していたところは、今はレールが撤去され、車や自転車が停まっており、この駅を利用する人の駐車場になっているようだ。しかもご丁寧に階段まである。今着いたばかりの黒崎行きの列車に乗るため、おばちゃんがそこを通って走っていった。ホームにはワンコがいて、しっぽを振りながら近づいてきた。何かを探しているようだったので、一緒に0キロポストを探したが発見できなかった。