明治34年2月13日、貝島炭鉱の貝島太助が石炭運搬のために、貝島炭鉱桐野線(貨物専用線)として勝野〜桐野間5.3キロ開設。同35年2月19日、九州鉄道に原費譲渡。同37年11月25日、勝野より2.5キロ地点に菅牟田分岐点を設置し、炭積場のある菅牟田(貨)までの支線を開業。同40年7月1日、九州線として国有化。同42年10月12日筑豊本線貨物支線と制定。同43年10月15日、菅牟田分岐点に鶴田信号所を開設。鶴田信号所〜菅牟田間2.2キロ地点の支線上に第二菅牟田(貨)開業。同44年5月12日、菅牟田を廃止して第二菅牟田を菅牟田と改称。同45年7月21日、桐野線に改称し、勝野〜桐野間、気動車による旅客営業開始。この時、鶴田信号所を磯光駅に格上げ開業。大正4年12月1日、磯光〜菅牟田間0.9キロ地点に新菅牟田(貨)開業。大正15年8月、桐野に貝島炭鉱専用線乗り入れ。昭和12年8月20日、宮田線に改称。同時に桐野を筑前宮田に改称。昭和32年、磯光駅(菅牟田からの貨物)で年間石炭発送トン数、83万トンを積み出し、石炭発送の最大記録を樹立。昭和52年7月9日、貝島炭鉱閉山のあおりを受けて磯光〜菅牟田間の貨物線廃止。第1次、第2次廃止対象線を特例で免れていたが、昭和62年、第3次廃止対象線になり、平成元年12月23日限りで明治、大正、昭和、平成と4世代を走り続けた宮田線は廃止となった。
駅前はロータリーになっていて、JRバスの筑前宮田バス停がある。前にはいかにも「駅前旅館」って感じ?の建物があり、少しではあるが駅前の雰囲気が感じられた。駅構内はプレハブ住宅が建設中で…
以前訪れた宮田線跡を再び辿ってみた。この日はGW中、唯一の雨になってしまったが、雨に打たれる廃線跡もなかなかいいものだ。宮田駅跡は以前は構内にプレハブ住宅が建ち並んでいたが、あれは…
磯光駅跡の一部で道路化工事が再開していた。地ならし程度の整備まではされていたが、形となって現われてきた。ついにホームの先端まで道路化工事の波に飲まれてしまった。完全に撤去される…
ホーム跡より定点比較
1997年12月に撮影。ホームは一部は欠けていはいたものの、端から端までしっかりと残っていた。路盤は既に埋められ、道路化の準備が始まってい…
磯光駅の最後の遺構だった、本線と菅牟田支線の小さな鉄橋跡には、道路化工事のための下準備か写真のような木枠と糸が張られていた。看板を見ると2002年内に工事が終るようである…
宮田線を再トレースしてみました。ちょくちょく断片的には行ってはいましたが。あらためて全区間の現状をアップしました。やっぱり雑草群の少ない冬が一番行きやすいですね。筑前宮田駅の跡…
2003年2月に宮田線の再トレース時に新規UPした区間でまた動きがありました。前回来た時は雑草群を取り払った路盤が顔を出していましたが、そこにはご覧ようにアスファルトで敷かれた歩道…
宮田線跡の路盤を使った仮設通学路がいつの間にか無くなってました。やっぱり仮設だったからいつかは消える運命だったんですね・・。アスファルトを敷かれた部分は剥がされて草ボウボウになり…
久しぶりの宮田線全線トレース。ますは勝野駅から。電化以降、駅舎すらないショボショボの駅になってしまいましたね。写真左には筑豊本線の旧ホームが残っています。宮田線は3番ホーム。写真…
私がカメラを持って初めて全区間探索したのが廃止後8年経った1997年。うちのサイトで初めて取り上げた線の中の1つでした。性懲りも無く先日も探索してきました…
筑前宮田駅跡〜勝野駅
筑前宮田駅跡。だだっ広い敷地に旅客ホームと貨物ホームがまだ残っています。この季節はよく見えますなぁ。ここも雑草が衰えてるのでよく見えます…
ここ数年、駅跡には何度か行ってるんですが、線路跡を久しく歩いてないな・・と思って、行ってきました。まずは筑前宮田駅跡。写真はかつての改札口前から構内を見たところ…
筑前宮田駅跡。だだっ広い敷地に旅客ホームと貨物ホームがまだ残っています。この季節はよく見えますなぁ。ここも雑草が衰えてるのでよく見えます…
廃止当日・廃止前後の様子。
最終日の筑前宮田駅。その後、封鎖された筑前宮田駅。廃止後の駅構内。桐野踏切跡は改修されています。 桐野踏切より磯光方を見たところ。
宮田線現役時1985年と廃線後の1993年の写真。
この時すでに「いそみつ」の文字板はありませんでしたが、右下の「かつの」で磯光駅とわかりますね。今は駅跡は何も残っていません。線路跡…