10年ぶりに香椎線の貨物支線跡を探索してきました。前回の探索は2003年9月でした。
天神のApple StoreにAppleTVのリモコン交換(たぶん子供がボタンを押し込みすぎて壊した)をしに行き、要件終了後さてどうしようか?とバイクでウロウロしてると、目に飛び込んできた「しめたん」・・そうだ、香椎線の貨物支線跡を見に行こう!っと思いついたので、サクッと行ってきました。
まずは貨物支線が分岐していた酒殿駅から。写真はかつての支線跡から香椎方向を見たところ。真横に駅舎とホームがあります。ホームの先(画像奥方向)、香椎寄りから分岐していました。
上の写真と同じ場所から反対側(志免方向)を見たところ。線路跡は駅前ロータリーへのアクセス道路になっています。ゆるいカーブが線路跡らしくていいですね。私は貨物支線廃止直前、この駅を通っており、あのカーブしている線路は何なんだろう?と不思議に思った記憶があります。
ホームをかすめて分岐する点は、筑豊本線小竹駅からの貨物支線(新多)や日田彦山線香春駅の日本セメント香春工場専用線と似ています。
盛土跡の台形が良い!
中央に見えているのが西口。
昔は無かったよね?
駅前ロータリーから志免方向を見たところ。遠くにボタ山が見えています。飯塚の住友忠隈のボタ山もそうですが、いつの間にか緑のただの山になっちゃいましたね。線路跡の緩いカーブの道路を進んでいきます。
100〜200mほど進むとT字路にぶつかり、目の前に線路跡が見えます。タイミングよく草刈りされていて非常に歩きやすい&バイクで突っ込みやすい(笑)状態になっていました。
T字路から酒殿駅方向をみたところ。ちょうど列車がやってきました。しかも上りも下りも。もうちょっと駅で待っとけばよかった・・。
とりあえず歩きで線路跡を進みます。前の探索や車からチラ見した時は草ボウボウだったような気がするけど、これは初心者でも余裕の廃線ウォークが出来ますばい。
「工」杭はポツンポツンと残っていました。
バラストもいい具合に残っており、歩くとジャリッ!ジャリッ!っといい音がします。
少し進むと里道の踏切跡がありました。古レールで作られた幅員制限用?のガードが残っていました。
対面や反対側には無く、これ1基だけが残っていました。雰囲気的に第4種踏切だったような感じです。この古レールのやつですが、現役路線(例えば鹿児島本線)とかでも割と古い(当初は第4種で第1種になったような)踏切で見れたりします。
上の踏切を渡った所から志免方向を見たところ。線路跡が駐車場になってるのは10年前と変わらないようだ(笑) こんへんにも「工」杭が点在しています。
さらに進むと二車線道路の踏切跡があります。ここにはアンカーボルトが付いた基礎コンクリートが残っています。おそらく警報機か遮断機が取り付けられていたのでしょう。
ここまで探索してから一旦、バイクへ戻って線路跡の上を走行。バラストがある程度踏み固められていたので余裕の走りで、ここまで戻って来ました。
志免側には縁石が一部残っていました。
踏切跡のすぐそばにキロポストが残っています。じーっと見つめていれば文字が浮かび上がってくるはずです(笑)
起点から500メートル、と言うことは、上に1/2、下に0と記してあるはずです。そう言われると浮かび上がってくるでしょ?
この先もカーブが続きます。
ちょっと離れたところに「工」杭もあります。反対側の稲刈りが終わった田んぼにも何本か残ってました。
少し進んだところにあった何かの土台。
踏切制御機器?
そこに残ってたチョックと思われる物。ずっとカーブしてるからたくさん使われてたでしょうね。チョックはこちらを参照ください。
さらに進むと線路跡は道路で途切れます。昔の空中写真を見るとここは踏切だったようです。廃止後に道路の方をフラットにしたんでしょうね。
ここにも踏切制御機器の土台が残っていました。深さ表記のある通信ケーブルの杭も残っていました。ここで線路跡から道路へ降りられることを確認したので、1つ前の踏切跡に置いたバイクへ戻り、バラスト上を走行。少し浮いた箇所もあってなかなか面白かったです。
バイクを線路跡の縁に停め、ここから再び線路跡を歩きます。畑の横に「工」杭が残っています。
しばらく歩くと踏切制御子外箱が付けられていたであろうコンクリート製の柱が残っていました。写真は酒殿方向を見たところ。
この辺はしっかりとバラストが残っているので、廃線ウォーキングのテンションが上がります。写真は酒殿方向を見たところ。
少し直線になったところで1対の橋台が残っていました。橋台跡の横から道路へ抜けれられるのを確認したので、再びバイクへ戻って線路跡を走行(笑) 初めからバイクで行けって話なんですが、歩かないと細かく見れないじゃないですか。バラスト上で降りるのも面倒だし・・・
↑ヘタレバイク乗りのダメな言い訳(汗)
そっぽ向いてる道路標識には幅員3メートルの表記されていました。この橋台、幅員よりも高さのほうが大事じゃないですか?車はまず通れないでしょ。これは。自転車でも激突しそうな感じです。
しかもですね、石材で造られた橋台をコンクリートで嵩上げしてるように見えるんですが・・・。よくみると翼壁部分も同じように嵩上げされてるように見ます。これも採炭による地盤沈下の影響?
前回の探索記事の最後の写真と同じショットです。あの時はまだダイヤモンドシティ・ルクル(現イオンモール福岡ルクル)が建設途中でした。こいつが出来たせいで勝田線跡の緑道が分断されましたorz
橋台跡から先に進みます。ここから次の須恵川のガーダー橋跡まで一直線に線路跡が残っています。しつこいようですがバラストの残り具合もいい感じです。
基本的に廃線敷にはレールもマクラギも無く、線路脇の民家で少し流用されてたりする程度ですが、たまにこんな原型を留めていないマクラギが残っています。
須恵川にぶつかり線路跡が途切れる部分から志免方向を見たところ。奥の車が停まっているところに見える台形が反対側の線路跡。ここから1つ前の橋台跡に戻り、須恵川の志免側へグルっと迂回します。
志免側から須恵川を挟んで酒殿側を見たところ。橋台跡が辛うじて残っています。志免側には何も残っていません。ここにはガーダー橋が架かっていました。
ひと目で、あ、線路跡の盛土だなとわかるニヤリな光景(笑)
この先には1対のレンガ積みの橋台跡が残っています。田畑を行き来する人道と水路が通っています。きっと鉄道開通前から利用されていた水路で、どうしてもここは通さなければならなかったんでしょうね。
で、ここの橋台が煉瓦ってことでレンガスキースーパーニヤリ☆なわけですが(笑)、ここも嵩上げ歴が何度かあるようです。こちらは酒殿側の橋台跡。床石が地面ギリギリの所にあるのが分かりますか?
こちらは志免側の橋台跡。床石がなんとか地面の上に出てる状態ですよ。やはりここも鉱害なんでしょうか・・・?
志免側の橋台ですが、よくみると煉瓦の積み方が『  ̄|_ 』状になった不自然な所があります。
こちらは酒殿側。やはり『 _| ̄ 』状になった不自然な所があります。
酒殿側の煉瓦橋台から志免側の見たところ。ボタ山側に1線分ほどの用地があります。ここまで用地は単線分だったのに、何でわざわざここから複線分の盛土になってるんでしょうか?貨物の志免駅はこのすぐ先になるので、昔々には側線がここまであったのかもしれませんね。
煉瓦橋台から進める所まで進みます。藪が酷くなった所の先は民間企業の工場敷地内となるので立ち入りは出来ません。このすぐそばに枕木柵があるはずなんですが、次の用事があったので、この日の探索はここで終了。
線路跡はこの先、工場内を通り、しめたんの高台の下あたりで勝田線志免駅への短絡線を分岐し(橋台跡あり)、旅石まで続いています。旅石に向かう途中にも「工」杭があるので探しながら行くと楽しいですよ。