先日、遠賀川の土手を走ってたら、筑豊本線からすぐそばの宮田線跡に重機があるのが見えました。こりゃ何事?と思い見てきました。距離が短いのでついでに全線みてきました。探索の順番は前後しますが、筑前宮田駅跡から勝野駅方向へ進めます。
いよいよ廃線探索シーズン到来!ですが、まだ11月は雑草の勢いがようやく止まったかなって感じで、よほどの物好きじゃない限り突入しようとは思わない状況です。ん?私?とりあえずホーム下には降りましたよ(笑) 写真は駅舎跡側から石炭積込場があった方向を見たところ。
こちらは勝野側を見たところ。商店横にある線路跡は何ヶ月か前に来た時は綺麗に草刈りされていました。ちなみに商店左にある街灯の「桐野駅通り」はまだ健在です。
桐野踏切跡のそばに残っている用地杭はまだ残っていました。
前に来た時は上の写真の所からこの嵩上げ煉瓦橋梁跡まで草刈りされててバイクで走破できそうだったんですが、とても入る気になれませんでした(汗) 写真は橋梁跡から筑前宮田方向を見たところ。
この橋梁跡は隣接する民家の駐車場へのアクセス道路として機能していました。
タイミング悪く!? 線路跡を勝野方向に立って撮影しようとしたら、前から車が入ってきて焦りました(汗)
次は線路跡道路を走って磯光駅跡へ。ここは何も跡はありません。民家の前の旧道と線路跡の新道、2本の平行道路があるところがアヤシサを感じさせる唯一のポイントでしょうね。
起点から1km819m地点にあった霧ヶ浦踏切跡の交差点を勝野側から見たところ。線路跡はここから少し藪ります。
藪化してる線路跡の横の道をドン突きまで進むと、そこから先の線路跡は綺麗に草刈りされており、写真の奥にある工場横付近まで綺麗になってました。
起点から0km695m地点の菰牟田踏切跡から磯光方向を見たところ。緩やかなカーブを描く線路跡が見えます。足元には踏切時代の縁石が残っています。
筑豊本線から見えるガーダー橋跡そばの菰牟田踏切跡横から宮田線跡の盛土(磯光・筑前宮田方向)を見たところ。盛土の法面から法尻にかけて草刈りされていたので、用地杭か何か残ってないか調べることにしました。降りてすぐに目の前にアヤシイもの発見・・・・
コンクリートじゃなく石材・・・で、この質感
ということは・・・・・
『九鉄用地杭』
キタ━━━━(゚∀゚)━━━━ !!!!!
宮田線の開業は1902年(明治35年)、もし当時のものならば、120年前の遺構ということですよ!奥さん!
九鉄用地杭の発見に浮れてるところに、線路跡に隣接するお宅のご主人が声をかけてきました。線路跡を調べている旨を説明すると「何かありましたか?」と聞かれたので、発見したばかりの九鉄用地杭の説明をしました。すると非常に珍しい物ですねと大変驚いてくれました。そしてご主人も用地の境界に関心があるようでした。それはどうしてか? 実は写真に写っているU字溝がどっちの土地に含まれるか分からないので知りたいとのことでした。ちなみに草刈してるのもご主人だそうです。
他にも九鉄の用地杭が無いか探しましたが残念ながら見つかりませんでした。あともう1本でもあれば解決のヒントになったかもしれないんですが・・・「工」すらありませんでした。
磯光・筑前宮田方向を見たところ。奥まで進めますが途中から藪に飲み込まれます。
菰牟田踏切跡に戻って、先週目撃した重機の居る現場へ・・・・あら?てっきり道路化工事だと思ってたら、下水排水路整備工事でした。ガーダー橋前後は何も手が付けられてなかったけど、影響無いのかな!? ここは10年ほど前にも盛土が崩されて何かの工事をしたことがあるんですよね。工事後は元通りになってましたけど。
この辺は完全に線路跡で作業してます。
廃鉄的にはイヤな光景ですね(汗)
先へ進んです、筑豊本線と合流する地点にある北口踏切跡。トラ模様の防護柵がまだ残っています。余談ですが、写真右の道はかつての「長崎街道」なんですよ。
起点から0km411m地点にありました。この辺は宮田線の線路敷と道路の境界までJRの用地杭があります。
筑豊本線横に宮田線の線路敷が空き地となって残っています。
旧勝野駅の宮田線ホームがあったあたり。表側は綺麗に整備されましたが、こちら側はなんだか殺風景です。ちかんに注意の看板もうなずけます(汗)