上山田線跡の再トレースを行った。といっても、何度もヒマな時は往復してるんだけどね。今回はあらためてデジカメ持って出かけてみました。
まずは、飯塚から平恒までは筑豊本線の架線柱と雑草に埋もれてしまって、ほとんどわからなくなっています。途中の小さな踏切で辛うじてわかる程度です。平恒駅跡はホームと待合所、イスはまだ健在です。あと、例のゴミ箱は隅っこの方にありました。
ホーム上は花壇になっているところもありました。春にはたくさんの花が咲いていたようにおもいます。また、ご覧のように「穂波ライオンズパーク」という看板も建っていました。
平恒より臼井間は完全に道路になっているため、遺構は皆無。途中小さな踏切があったと思われるところに、警報機の土台跡らしきものがありましたが、そのままスルーしてきました。写真の臼井駅のホーム跡は以前と比べて変化はありませんでした。
臼井〜大隈(交通公園)間も道路になってるのでそのままスルー。嘉穂信号場あたりをフラフラしてみました。最初にこのサイトに載せた時に比べ、雑草の増えたこと増えたこと。先が見えないくらいまで増殖してました。飯塚〜上山田間で唯一レールの残っている付近です。
どこに線路があったのかわからないくらいに林に覆われてしまいました。真ん中チョイ左のT字の電柱付近を通っています。この草がなければ、嘉穂信号場の詰所も見えるはずなんですけどねぇ。
嘉穂信号場より日吉峠の道を外れ、車一台分の細い裏路地を進むと、見えてきました路盤が。随分前に来た時はレールもあったはずだが、今は剥がされているもよう。信号機だけが寂しく残っていました。
日吉峠の上山田線を跨ぐ橋より。
左が嘉穂信号場方面。右が下山田方面。
深い切取になっていて、人も寄りつけないところなので、放ったらかしのジャングル状態です。
左の写真の中にはチラッと信号機も見えてるんだけど、わかるかなー。車のチョイ下。
嘉穂信号場跡の先から上山田駅跡の先までは道路になっているのでそのままスル〜。山田川に架かる第1山田川橋梁もまだまだ健在です。山田川の水がすごく澄んでいたのが印象的でした。
第1山田川橋梁からはレールがバッチリ残っています。写真は百谷という付近。踏切跡はアスファルトで埋められていますが、前後にはレールが残っています。枕木の中には朽ちて空洞になっているものもあるので、足を取られないように気を付けましょう。写真左が上山田側、右が熊ヶ畑側。
民家の裏にもレールが残っています。物置となりつつあるようですが(笑)
>そのすぐそばで再び川を渡りますが、ここにも鉄橋がしっかり残っています。最初に載せたこれと同じものです。
熊ヶ畑までは立派な築堤が残っており、レールも枕木も健在です。途中このような機器も残っています。秋にはたくさんのコスモスが咲いていました。
熊ヶ畑駅付近の踏切跡。レール部分はアスファルトで埋められていますが、このように踏切機器が残っています。他にも数カ所、同じように機器が残っている所がありました。それと「地下埋込ケーブルあり」の看板もありましたよ。
熊ヶ畑付近の小さな踏切跡。ここらへんのレールは剥がされているようです。この手前を流れる小川には黒い羽根を持ったトンボのような虫がたくさん飛んでいました。しかし、その飛び方は蝶のようでした。
その先熊ヶ畑トンネルは相変わらず変化はないので、山越えで先に進む。トンネルから豊前川崎までは以前とあまり変わってないようだった。
写真は真崎駅跡の手前の細道にあった踏切機器。
奥に見えるのは、王様が歌って踊るCMの英彦山湯〜遊〜共和国というスパリゾート。「行こう行こう英彦山へ〜、行こう行こうゆ〜ゆ〜へ」(舟小屋でも可) (笑)
最初に載せたものの補足的な感じになりましたが、遺構らしい遺構が残る、第1山田川橋梁〜熊ヶ畑トンネル〜真崎付近までは、これからも、あまり手を加えられない状態が続きそうです。