福岡に戻って来られた倫堕さんのお誘いで、漆生線(嘉穂信号場跡〜才田駅跡間)の探索に行ってきました。この区間の探索は2006年2月以来、8年ぶりです。この間、県道整備に伴う嘉穂信号場跡の本屋解体、アーチ橋解体、踏切跡撤去など主に上山田線跡で様々な鉄道遺構が消え去りました。そんな中、漆生線の遺構は嘉穂信号場内の一部が撤去されただけで、大部分は影響ありませんでした。才田までのレールもしっかり残っているはず・・・。写真右側の法面に沿って漆生線の線路があったので、そこから辿っていきます。
嘉穂信号場跡付近ではレールが外されて法尻に放置されていました。
タイプレート、犬釘が付いたままのマクラギが放置されていました。
マクラギから外されて放置されたレールを右に見ながら進むと、竹やぶの中に以前探索した時と同じ姿で線路が残っていました。
竹やぶに入ってすぐのところに「太郎渕踏切(下鴨生より6k138m・第4種)」跡があります。手前に見えている構造物に薄っすらトラ模様が残っているので、すぐに踏切跡と分かりました。
倒竹はありますが、歩きやすかったです。とても雰囲気が良い。
竹やぶを抜けるとコンクリート橋に出てきます。これから藪に突入します!
藪が行く手を阻みますが、流石は藪将軍!野薔薇の攻撃など物ともせずドンドン進んでいきます。
何か誰か通ったような跡があるんですが。
同業者?イノシシ?シカ?
気がつけば何か臭う。糞か?獣臭にちょっとビビる(汗) まわりを見回しながら進みます。
コンクリート橋を越えてしばらく進むと、比較的藪化していない所に出てきました。ふと足元を見ると地籍多角点の杭がありました。同業者以外はなかなか踏み入れる場所ではないんですが、地籍調査で測量される方がたまに入るわけですね。夏とか嫌だろうなぁ。
レールに食い込んで生えている木。恐るべし自然のパワー。大きく成長した木を見上げると、廃線から経った時間の長さを感じ取ることができます。
時々こんな溝があるので、踏み外さないように注意!
「野添踏切(下鴨生より5k814m・第4種)」跡にはケーブル埋設の看板が残っています。ここは墓地への通り道となっているので、人の往来はあるようです。
踏切跡と分かる痕跡があります。線路は写真の左右方向に通っていました。レールは埋まっているか、外されているようでした。
踏切跡から先は盛土部分が続きますが、藪が酷く進めなさそうなので、墓地を通って20〜30メートル先の盛土へワープしました。その盛土上にTBが残っていました。これに鉄道用の携帯電話(今じゃ考えられないほどの大きさ。)の線をTB内の端子に接続して通話してました。
同じ場所から才田方向を見たところ。
さらに藪へ突入!
この先はコンクリート橋があるんですが、その下をくぐり、ワープしてきた墓地へ抜ける道(獣道)があるので、藪凸('A`)マンドクセの人はスルーするのもありでしょうね。
この辺からは太く成長した蔦が縦横無尽に絡んでおり、コケやすく進みにくい。
墓地へ続く道と高木神社へ続く道が別れるコンクリート橋。この上を歩いてきました。銘板の名称部分が読めず名称分からず。〇〇橋りょうまでは読めた。
コンクリート橋の両サイド(東側・西側)には獣道状態のスロープがあり、線路を横断して高木神社につながっています。
筑豊本線及び筑豊本線支線関係信号機位置図(S54-3)を開くと、ここに踏切の記載は無い。
さらに進みます。ここからは少し日当たりが悪い区間で、前が見えなくなるほど藪化していません。写真はシュロが邪魔してますが。生え方がスゴいですね。太陽を目指しておもいっきり曲がってます。さらに成長したら自重で折れそう(笑) 右隅にレールがあるのが分かりますか?
相変わらず倒竹が酷いですが、意外とスムーズに進めます。
直線区間なので見通しは良いです。以前来た時には、この区間でキロポスト(たぶん5.5kmポスト)が残っていたはずなんですが、見つけられませんでした。朽ちて倒れたか?引っこ抜かれたか?
竹やぶ区間の終わりぐらいの所にも溝があるので注意!ここから先は少しの盛土区間と「西貴船橋りょう」があります。
「西貴船橋りょう」の少し手前の盛土上に「C=8 S=5」と書かれたプレートがありました。カントとスラックのことでしょうか?
●カント(cant)
曲線部における、外側レールと内側レールとの高低差。
●スラック(slack)
曲線部において軌間を拡大する量。
(※JIS E 1001:2001より)
才田駅からこの辺りまではカーブしています。
プレートの場所からちょっと進んだ所。目の前には「西貴船橋りょう」ここの生え方が一番スゴかったです。
「西貴船橋りょう」を越えてさらに進みます。左手に山を造成しているのが見えてきました。ここもソーラーかな?線路はこの辺から土に埋まったり顔を出したりします。
目の前に道路橋(新才田橋)が見えてきました。才田駅跡はもうすぐ。藪こぎもあと僅か!
進行方向右側に何か発見。ケーブル埋設プレートにしては大きさが違うような気がする・・・。とりあえずひっくり返してみると・・・
ぉおおおおっ!?
ホントにこんな声が出た(笑)
こんなものが残っていたとは!大収穫であります。漆生側のやつは電信柱に括りつけられて今も残っていますが、まさか嘉穂信号場側にもあったとは。これはビックリしました。しっかり撮影し、元の状態に戻しておきました。次回の探索の楽しみにしておこう。
駅名の標識発見に浮かれながら才田駅跡を目指します。「第二才田川橋りょう」を渡ればもうゴール。
才田駅跡に到着。約1時間の探索でした。倫堕さん、おつかれさまでした。藪将軍様の靴をみると、藪と戦った痕跡が眩しく輝いていました。
「靴に穴がほげてますよ」
帰りは道路を歩いて嘉穂信号場まで戻ります。途中、新才田橋から歩いてきた線路跡を望む。よく歩いてきたもんだ。普通の人はこんな所行かんわなぁ(笑)