漆生線が分岐していた、後藤寺線の下鴨生駅。近年までタブレット交換があるため有人駅だった。今は、無人となり駅舎の窓やドアに板張りがされているのが見られる。その改札口の真上に駅名標があった。よくみると、漆生線の次の駅「かもお」の文字が白で消されているのがよくわかる。その横にガムテープかなんかで上から貼られていた跡も見える。漆生線廃止後10年以上も経っているのに、いわゆる旧駅名標が状態よく残っているのには驚いた。この駅自体はまだ現役だからね。
アップで見るとよくわかるでしょ。
ホーム先端より、漆生線跡を望む。
中央奥を左にカーブするのは後藤寺線で少し進むと筑前庄内駅へと抜ける。信号機の右奥に見えるフェンスのあたりから漆生線跡の道路が続く。
漆生線跡の道路を進んで行くと両サイドを並行進む道路が迫ってくる。いかにも廃線跡道路らしい光景だ。3本の道路が一番近づいて密接したところが踏切だったんだろうなと想像しながら進むと、いかにも駅前っていう感じの場所に抜ける。鴨生駅跡だ。駅跡は鴨生駅跡公園としてきれいに整備されている。
ここに鉄道が走り、鴨生駅があったことを示す説明板兼駅名標。いつまでも後世に伝えていってほしいものですな。
駅名標の前には踏切の警報機と遮断機、レール、車輪がモニュメントとして保存されている。こういったものでは珍しく?落書きもなく、なかなか良い状態で保存されていたのには嬉しかった。
保存物の前にあるお手洗いはSLをおもわすデザインが施されていた。記念に用を足す・・・中にはやっぱり落書きあったのネ・・。いつまでもきれいに使ってほしいものですわ。
鴨生駅にもたくさんの側線が設けられていたようだが、資料の中から一番目を引いたのが駅舎の反対側に設けられていた石炭積み込みポケットなる巨大な建造物。高さ30m×長さ100mもあったそうで、昭和40年代後半まで使われていたそうだ。とうの昔に取り壊されており、今は当時を偲ぶものは無い。一度見てみたかったものの一つである。写真は駅跡公園の法面に塗られたコンクリートが剥げ落ちて、煉瓦造りの構造物が見えているところ。他にも至る所に煉瓦積みの跡が見られる。もしかして巨大建造物の名残?