南阿蘇鉄道に乗ると、終点の高森駅に着く手前で左に大きくカーブします。そのカーブが始まる地点から外輪山に向かって真っ直ぐ延びた所に、この高森湧水トンネル公園があります。高森の市街地に入るとあちこちで、この公園の「のぼり」を見かけるます。トンネルの入り口の上には「湧水館」という水や湧水に関する資料館があり、この中では、高森トンネルの歴史や出水事故当時の新聞の切り抜き、建設作業中の坑内の写真、現在のトンネルの利用法等の資料などが閲覧でき、他に水源の森・高森に関する資料、地球環境についてのパネル展示、展望所などがあります。一番興味を持ったのは、トンネルの断面の模型で、どこがどうなっているかというのがよくわかります。
トンネルからは常時毎分32tの湧水があり、とても澄んだ水が一面を覆っています。ここは少し幅が広くなっているので、離合施設でも建設するのかと疑問に思いましたが、どうやらここに新高森駅を建設する予定だったそうな。
訪れたときが1月だったので、ご覧のようにお正月の飾りつけがされていました。ここまでされる鉄道遺構も珍しいのでは?トンネルもさぞ嬉しかろう。
銘板には出水した場所までの2,055mと表記。予定の約1/3しか掘られてないんですなぁ。
トンネル内は中央に湧水が流れ、その両サイドに歩道が設置されています。一番奥まで進むとハリボテの切羽に突き当たります。その左側の隅には写真のようなペイントが。交点より1m645って何だろう?上の34Kはどこからの距離だろう? 交点は高森線の分岐点で、34Kは日ノ影駅からの距離っぽい?
実はこの先にもトンネルは続いており、一般人は入れません。以前、九州ローカルの夜の番組でこの先へ入って、本物の突き当たりまで行くというシーンを見ました。
こんな写真で申し訳ないですが・・・トンネルの中はこんな感じです。中央に湧水が流れているのは入口から半分位までで、奥までは蓋がされていました。
こんな写真で申し訳ないですが、その2・・・(汗)
一番奥まで進むとハリボテの切羽に突き当たり、そこから大量の湧水が流れ出ています。飲むための柄杓も備えつけられていました。右側の隅には水神が奉られてあり賽銭箱が設けられていました。
それにしても、謹賀新年のお飾りからはじまり、クリスマスツリーあり〜の七夕の飾りが天井から釣り下げられてるし、まぁなんとも豪華なトンネルではありませんか。
明治29年/日清戦争の直後に軍事産業路線として熊本〜延岡間の鉄道敷設の話が持ち上がった。
大正11年/高森線(現・南阿蘇鉄道)立野〜高森間17.7kmの工事に着手。
大正14年/国の財政難で工事が中断されたため、熊本・宮崎・大分の関係者が「高千穂高森間鉄道速成同盟会」を結成し、建設促進運動を起こした。
昭和3年/高森線、立野〜高森間が開通。
昭和14年10月/宮崎県側で昭和10年から12年にかけて開通していた、日の影線(後の高千穂線、現・高千穂鉄道)の延岡〜槙峰間を日の影まで開通させたが、それより先は戦争のため見通し立たず。
昭和22年/「日の影高森間鉄道敷設期成同盟会」が結成され、全線貫通を国に請願。
昭和37年/鉄道審議会が高森〜日の影間の建設を決定。
昭和41年/宮崎県側の日の影〜高千穂間着工。
昭和48年/高森〜高千穂間工事について運輸大臣の認可が下がり、高森トンネル(全長6,480m)の工事に着手。
昭和50年2月/高森トンネルの入り口から約2kmの坑内で毎分36tの大量出水。これにより高森町内の湧水8ケ所が枯れ、住民の水道が断水する騒ぎに。緊急対策としてトンネルからポンプで水を汲み上げる。
昭和51年3月/飲料水・農業用水等の応急対策工事が進められる。
昭和51年9月/トンネル工事の一時中断。鉄建公団との補償交渉開始。
昭和54年/高千穂新線建設の計画自体が廃止の方向へ。日本国有鉄道再建法案成立。
昭和61年/国鉄の分割民営化に向け、赤字の高森線は第1次廃止対象路線になっていたが、第3セクター運営による南阿蘇鉄道として再スタート。
平成元年/鉄建公団との補償協定が成立。補償金を基金に、運用益をポンプの電気代などにあてることに。
平成4月/鉄道新線用の建設用地(9,748平方メートル)、高森トンネル外工作物及び区分地上権の無償譲渡を日本国有鉄道清算事業団から受ける。
平成6年/工事を中断したまま閉鎖されていた高森トンネルと周辺を親水公園として開放するための事業開始。