数々の探索のうち、お蔵入りになっていた記事を“web otchee!! 10周年”の時に期間限定でUPしていました。せっかくなので常時掲載することにします。
錆び付いたレールが時の流れを感じる。しかし、ここでは時間は止まったままだ。このトンネルには謎があった。それはトンネル下に空洞部分があり橋梁が存在する・・そうなのだ。どういう事?トンネル内に橋が架かっているのか?構造的にどうなってるんだ?トンネル内橋梁の想像は膨らむばかりだった
知人に「トンネル内橋梁」の話をしたら彼も別方面からその話を聞いていて、ぜひ調査を!ということになった。先陣部隊が恐る恐る調査に向かい、その全貌が明らかになった。その時は都合が悪く同行できなかった。画像は後日、勇気ある彼等と同行して撮影したものである。
画像を見ると分るように途中から形態が変わっていた。もしかしてここがトンネル内橋梁部分なのか?足元を見ても空洞がある様子はなく道床はコンクリートだった。だが、線路の形態は木マクラギに移動防止のけい材もあるし橋そのものだった。
砂利留め壁から先は線路の両サイドにコンクリートのU字溝が設置されており、流れは無いが少量の水が確認できた。
これがトンネル内橋梁なのか・・!?
後日、ネットで調査してみると、道路でトンネル内橋梁がある所を見つけた。詳細は「天崎鍾乳洞トンネル」で検索を。ここもこれと似たようなものなのか?この下には何があるのか?何故このような構造になっているのか?真相は謎のままである。炭鉱の坑道があるらしいとの話もある。周辺環境から考えればわからないでもない。
画像はかなり明るくしているが、実際は先が見えず真っ暗である。
橋梁部分はトンネル内の中間に位置し、実際に測ったわけではないが、全長の1/3ぐらいの長さだった。
かなりの年月が経っているのでレールこそ錆まみれだが、マクラギの状態は大きな腐食も無く比較的しっかりしていた。
謎の橋梁部分を越えると再びこのような形態になる。目の前は依然闇の中。
闇の中に続くレールを進んでいくと目の前に壁が現われた。行き止まりである。壁の隙間からは水が染み出し不気味さを醸し出していた。形状、だいたいの距離から判断して坑口部分ではなかろうか?という意見で一致した。トンネル内橋梁の謎は解明されないままだが、構造的にも非常に珍しく貴重な遺構だと思う。ただ、現況が行き止まりになっているし、放棄されて相当な年数が経っているので非常に危険な場所であるのは間違いなく、単独行動は絶対避けるべき場所です。何かあっても誰も気付かないと思います・・・。