2004年5月に十数年ぶりに長崎へ遊びに行きました。長崎駅の変貌ぶりにはたまげたね。観光と行っておきながら、さりげなく廃線跡へ行くのがおっちー流(笑)
長崎駅から出島へ行くにはここを通る方が良い・・と嫁を説得して(笑)、長崎〜長崎港の廃線跡を歩いてきました。
この区間は上海航路の連絡路線として1930年に開通しました。上海航路廃止後も旅客線として存続し、1987年、JR化と同時に廃止されました。旅客線とはいえ実際の旅客営業は上海航路廃止までで、以後は貨物線と同じだったようです。
上の写真は長崎駅アミュプラザ脇から廃線跡の元船遊歩道入口を見たところ。電車通りから一本通りをズレただけで、街並が全く違う雰囲気になります。
ここまで整備されていると鉄らしいものが全く見当たりませんね。港町らしい倉庫群の脇を列車が通っていた様子を想像するぐらいです。
おーっと待った。植え込みや土地の境界付近ばかりを見ながら歩いていたら、キロポストらしきもの発見。1/2表示だけ確認できる。ん、長崎駅から0.5km?それとも鳥栖から125.5km?どっちだ?
大きな幹線道路にぶつかると遊歩道は途切れる。横断歩道もなし。レールと枕木を思わせるゼブラ模様の演出もあってもいいんじゃないかなぁなんて思いました。ここはダッシュで横断。線路のあった部分はアスファルトの境界から確認できる。写真は長崎駅方面を望む。
しばらく歩くと目の前に川が見え、その向うに橋台跡が見えてきた。あれ、単線じゃなかったの?
向う側に行くためそばの橋を渡る。うーんどうみても複線仕様だ。おや動輪もあるぞ。
長崎駅側を見るとやっぱり単線だ。謎は深まるばかり。まさか川の上で分岐してたのか!?
長崎港側の橋台上には見開きになってる立派な案内板と動輪がありました。この案内板には当時の写真や歴史などが記してありました。この橋台が写っている写真も載っていました。当時から複線仕様でしたが、片側だけしか使われていないようでした。
動輪から長崎駅側を望む。ここに鉄道があったことを伝えてくれるモニュメントとして、いつまでも残って欲しいものです。
プラレールよりもヒドい(笑)、子供だましチックな信号を模したものがあります。もっとましに作れなかったのかなぁ・・。
この先から長崎港までレールは延びていたらしく、今では全く面影はないようである。
ここから出島へは歩いてすぐなので、長崎駅から出島へ行くときはこの遊歩道を通るといいかもしれません。表通りとは違った表情が見れると思います。