宮田線を再トレースしてみました。ちょくちょく断片的には行ってはいましたが。あらためて全区間の現状をアップしました。やっぱり雑草群の少ない冬が一番行きやすいですね。筑前宮田駅の跡は以前に比べ変わった様子はありませんでした。
改札口へ下っていたホーム部分には虎模様が残る。
旅客ホームの終端部。ここにも虎模様が残っている。ホーム上は冬だというのにこの雑草群。夏なんかはとても歩ける気分になりませんでした。
駅構内中央部分より駅舎・磯光側をみたところ。
上の写真と同位置より終端部分を見たところ。全盛時はここにたくさんのレールと石炭車がぎっしり並んでいたんだなー。ここはいつ来ても何とも言えない空虚感を感じます。
旅客ホームの先、1線分引っ込んだ所に貨物ホームが残ってるんだけど、そこにあった一本の枕木。
筑前宮田から磯光へ向かう路盤跡を高台から見おろしてみた。うーん、実に廃線跡らしい光景だ(笑)。画面右付近に残るコンクリートでかさ上げされたレンガ橋台跡は、まだまだ健在です。
2002年末には跡形も無くなってしまった磯光駅跡。筑前宮田方面を見たところ。ガードレールで封鎖されている道路が線路跡。車線左側にレール右側にホームがありました。
磯光駅舎跡付近を見たところ。真新しいコンクリート構造物の付近には、2002年秋まで、本線と菅牟田支線の2本の短い鉄橋跡が残っていました。最後の最後まで残っていた遺構でした。
磯光から、さらに線路跡の道路を進む。県道と突き当たる信号のそばにはまだ踏切跡とわかるものが残っていました。
このお願い看板より、ここが霧ヶ浦踏切と名前が判明。左の写真では全く読み取れないが、近づいてみると消えかけた文字がうっすら残っている。
霧ヶ浦踏切より勝野側への路盤は今も深いブッシュに覆われ、侵入することは容易ではなかった。並走する道路から侵入できそうな所へアプローチしてみたが、そこにはバラストらしきものが少しころがっているだけで、その前後は林に飲み込まれていた。この場所は勝野駅起点より7〜800m付近の南良津にある旧長崎街道付近の踏切跡・菰牟田踏切より磯光側へ行けるところまで進んだ所。
路盤のすぐそばに民家が並んでる。そこには犬釘などが丁寧に並べられていた。
廃材の上手い利用法を発見。枕木が車庫の入口前に敷き詰められていました。
南良津の踏切跡(菰牟田踏切)から磯光方面を見たところ。上記の写真はここから侵入しました。夏は雑草群がひどくてホントとても進んで行くにになりません。
前ページで侵入した踏切跡より勝野側を見たところ。なんとあの忌まわしき雑草群がきれいに除草され、非常に歩きやすい状態になっていました。この部分の路盤上は歩いたことがなかったので、いい時に来たなと内心ニヤリでした。真っ正面には福智山が見えます。
さっそく路盤を進むと、小川にかかるガーダー橋が残っている。付近の護岸工事などで撤去か!?と思われた時期もあったけど、なんとか残っています。その時は向う側の路盤の一部がゴッソリ削られていました。その後、ご丁寧に元の形に戻されていました。そういえば、後藤寺線の山野支線跡の築堤でも同じように一部削除後元に戻すみたいなことがありました。
レンガ橋台+赤錆びた鉄橋跡。
これ最強ですな。
安全のために上のガーダー橋を迂回して向う側を進んで行くと、キロポストが残っていた。消えかけて読みにくいが「6」と表示してある。ということは勝野駅起点から600m地点になりますね。向こうに見えるのは電化された福北ゆたか線(いまだにこの名前になじめません・・)筑豊本線を走る電車。
さらに勝野方面へ進むと何かの小屋の跡らしき構造物を発見。見た感じでは信号機の土台ではなさそうでした。真っ正面に見えていた福智山の位置に注目。これで線路が勝野へ向かって左へカーブしていたことがわかるでしょ?
さらにさらに進むと、除草後路盤脇にまとられていた雑草群の中にレールを発見。
さらに進み続け、筑豊本線にもまたがる踏切跡まで来た。写真は今まで進んできた路盤を振り返って見たところ。
旧勝野駅構内より、前ページ最下段の踏切跡を望む。筑豊本線電化に際し、勝野駅は直方寄りに少し移動しました。なので、宮田線ホームも跡形もなく消え去りました。
向うに見えるのが現在の勝野駅。すごく雰囲気のあった旧駅とは全くイメージの違う、まともな駅舎も無い可哀想な駅に変わってしまいました。
路盤を歩いているときに発見。懐かしくない?このデザインのアクエリアス。ネットで調べたところ1990年にデザイン変更されるまで使われていた缶だそうです。宮田線が廃止になったのが1989年12月。時間を感じますねぇ〜。