先ほどの目尾駅跡からは市道になっています。真っ直ぐでフラットないかにも線路跡道路といったかんじです。目尾駅跡を出てすぐ左手に車窓に合いそうな古めかしい味噌工場を見ながら、さらに進むと左へカーブしながら下って田園地帯を進みます。そこからも真っ直ぐ進み幸袋駅跡へ続いています。幸袋駅跡の少し手前に高雄貨物駅方面への分岐点跡と思われる場所があります。写真の左が幸袋駅跡へ、奥のマルシン方面へ向かう道路が支線跡と思われます。
幸袋駅跡。並木の奥の緑地帯にホームの跡があった。ここ何年かで僅かながら残っていたホームや廃線後、市が所有していた倉庫などが撤去され、店舗や郵便局が建っています。付近にあった幸袋工作所はリサーチパークへと変貌している。
幸袋駅方面を望む。
線路跡だなと一目で判る許斐神社下の歩道橋。左が線路跡で右が国道200号線。天井にSL時代の煤が残っていた事で有名な跨線橋は、道路が拡幅されたため取り壊されて新しく作られました。
こちらは二瀬方面。左が国道200号線で右が線路跡。
先の歩道橋を過ぎて、また直線が続く。しばらく進むと、ほっかほっか亭が右手に見え、そこから右へ緩やかなカーブを描く道路が分岐する。そこが川津信号所跡。道路は伊岐須方面への貨物支線跡である。その支線跡を進むと、本線上でクロスする国道201号線と建物一軒分を挟んで並走する。その先は跡らしき物は存在しなかった。この並走のせいで、九工大から降りてきた所は、幸袋線貨物支線跡道路と国道201号線と2回信号を横断することとなり、しかも同期してないものだからいつも待たされます。
先ほどの信号所跡からさらに真っ直ぐ進むと国道201号線とクロスします。その角に農協とスタンドがあり、そこに短い命だった新二瀬駅があったようだ。駅があったとは全く想像できません。この線全体的に言えますけどね。そこからさらに進むと横田の交差点へ出る。その近辺に二瀬駅はあった。小竹〜目尾間を除いては絶望的かと思いながら辺りを徘徊していると塀にしては低いアヤシイものが民家の軒先に見えた。「これってホームやん。」いやぁ、感動しましたね。二瀬駅跡は極僅かですが存在していました。
二瀬駅のホームをかすめて分岐していた枝国駅への貨物線跡。先ほどのホーム跡へ立つとなるほど交差点辺りで少し左へ向きを変えている。貨物支線跡を枝国側から見たところ。
同じ場所から枝国側を見たところ。枝国駅の正確な場所は特定できなかったが、距離的におそらく穂波ジャスコのある辺りだと思われる。この周辺にはかつて日鉄の炭坑がありました。